436.どんな縁も。
悪友、って「親友」の別名だよなぁ。
悪妻とか、悪夫ってのも、そういうものなのかも?
ガンジーさんは、タスデ美さんにとって害虫だって、
自分で言っているけれど、
それはそれで、「悪友」みたいな関係
だということなんだね。
タスデ美さんの意見は聞こえてこないから、
想像できないんだけど、
元気でおだやかにいい時間を過ごしたいって気持ちは、
きっと、おなじなんでしょうね。
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「取り乱して候」
タバコの害についてとやかく言われてるが、
ある医師の場合せがれが国家資格をとり
いよいよ医者として後継してくれる、と喜び
愛煙家の彼は禁煙した。
ところが突っ張り棒がはずれてように
突然の死が彼を迎えた。
ということを以前書いた。
読売新聞からの引用でね。
うぬぼれてるようできまりわるいが
タスデ美にもそのような事がおこりはしないかと
心配になる。
彼女にとってガンジーは害虫の存在かもしれないが
40年にもおよぶ長い付き合い、
それはどんなふうにお互いの身体に蓄積され発酵し
ある日突然どんな形で噴出するかわからない。
読者の方から何通かのメールをいただいた。
いわく、タスデ美さんをひとりにしないで、というもの。
ご主人を亡くされた方かもしれない、
ご夫婦仲のよかった人たちかもしれない。
あるいは親戚か知りあいの人で
その後の落ち込んだ毎日をみてそういって
キーを叩いてくれたのかもしれない。
やはり新聞で読んだことだが
その投書の方は書いている。
あれほど仲がわるくケンカばかりしてて
何度も離婚を考えた相手なのに
今こうしてひとりになってみると
その寂しさはいいようがない、と。
そんなもんかねぇ、とその時は思ってた。
だってさガンジーの母親はオヤジが死んだ時、
1週間もたたないうちに立ち直ったようだし、
その後の元気ぶりは前にもましたものだったから。
でも夫婦の仲ってはたから見てるほど、
のほほんじゃないんだね。
長い年月は悪は悪なりにつじつまがあって、
うまく機能してるのかもしれない。
悲しみ、苦しみを時間がいやしてくれるのと同様に、
とんでもない夫婦の組みあわせでも
長い年月がお互いに侵食しあって
ひとつの形をつくりあげてしまうものなのか。
そんなことを考えていると、
先日富山での学生さんたちとの
デスカッションを思い出した。
「人はわがことより
他人のために働くことが一番楽しいんではないだろうか」
というもの。
カッコイイこというな!とつっこむ気にはならなかった。
ホントにそう思い始めてるからね。
ガンジーはタスデ美のために1日でもながく生きよう!
懺悔をし彼女の愚痴をきくだけでいい。
そう思うとそれらのこれまで耳にタコの言葉だったのが
お経のように、賛美歌のように聞えてくるんだなぁ。
不思議だぜ、なんか落ち着くよ。
あたらしいエネルギーを得て
さらなる活躍をしてるバツイチやバツニの方々もいる。
でも害虫ガンジーはいつもそばにいてくれたタスデ美と、
それを支えてくれた諸君に感謝するよ。
なんだかしめっぽくて流行語でいえば
おもーい内容の新聞だねぇ。
スタバのコーヒーでも飲んで気分を変えてくれ。
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誰かのために生きよう、っていうのは、
たしかに、大人になるとわかる気持ちだよねぇ。
「家族」の重みが、こどもの時よりも、独身のときよりも、
ずっと大きいものになってくるんだよなぁ。
自分がこども役のときには、わかりにくいんだけどねー。
(つづく)
※『出前ガンジー』あるいは『ガンジー水戸黄門』の
企画について。
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詳しくは9月24日付けの『ガンジーさん』を
ごらんくださいませ。
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