第0回 「グレートジャーニー」という壮大な旅のこと。
 

約700万年前に生まれた原生人類は、
およそ6万年前にアフリカを飛び出し、
果てしなく長い時間をかけ、
世界のあちこちに拡散していきました。

その壮大な人類拡散の過程を
ブライアン・M・フェイガンというイギリスの考古学者が、
「グレートジャーニー」と名付けました。
基本的に「熱帯性の動物」であるヒトが、
アフリカからユーラシア大陸を経て、
広大な無人の新大陸(南北アメリカ大陸)へと旅していった、
この過程「グレートジャーニー(The Great Journey)」は、
人類の歴史のなかでも
最大級の冒険、と位置づけられているものだそうです。

その「グレートジャーニー」のなかでも、
もっとも長い距離を旅した人々の軌跡が、
ベーリング海峡をわたって
(=ユーラシア大陸と北米大陸をつなぐ海峡です)
南米最南端までたどりついた人々の旅路。

1993年、
関野吉晴(せきのよしはる)という探検家が
その、いちばん長い距離を旅した人々の来た道を、
逆向きにたどることをはじめました。
南米最南端のナバリーノ島から、アフリカ・タンザニアまで。
それが、関野さんの「グレートジャーニー」です。


関野吉晴さんの「グレートジャーニー」のルート


地図デザイン:棚橋早苗
地図素材©デザインエクスチェンジ株式会社


「太古の人々が旅で感じていたことを、
 自分も味わってみたい」
そう思った関野さんは、
自動車やバイク、電車、飛行機といった
「近代的動力はつかわない」というルールを自分に課し、
徒歩や自転車、カヤック、
馬、らくだ、犬ぞり、トナカイのそりなどを使い、
旅をしていきました。

自分が操れない動物は、
土地に暮らす人々に、その扱い方を教わって、
「自分で括れるようになったら、つかっていい」
というルールにしたそうです。

ベーリング海峡など、一度で渡ることができず
何度目かの挑戦でやっと進めた箇所もありました。

先へ先へ急ぎすぎるのではなく、
「寄り道」を大切にしながら旅をしよう、と考え、
世界のあちこちで、さまざまな家族のもとに
滞在させてもらいながら。

そして最終的に、
関野さんは足掛け10年で、
「人類最古の足跡の化石」がある
アフリカ・タンザニアのラエトリまで
たどりつきました。

どんな旅だったかを、すこしだけ写真でご紹介します。
(長い旅の、ほんの、ほんの一部です)


南米パタゴニアで。荒れる海をシーカヤックで進む。
©グレートジャーニー


広大なウユニ塩湖を、自転車で走り抜ける。
©グレートジャーニー


関野さんがずっと親しくしている、マチゲンガ族の人々と。
©グレートジャーニー


シベリアにて。凍った川の上を犬ぞりで駆けていく。
©関野吉晴


シベリアの凍った湾内も、犬ぞりで走ってゆく。
©グレートジャーニー


カヤックを漕いでいたら、目の前にザトウクジラが。アラスカにて。
©関野吉晴


トナカイのそりは、意外と簡単に乗ることができた。
©グレートジャーニー


砂漠をラクダに乗っていったことも。アフリカのアファール盆地にて。
©関野吉晴

足かけ10年の旅は、
2時間のドキュメント番組8本となり、
1年に1本のペースで放映され、大好評を得ました。

「グレートジャーニー」に出かけたことで、
南米からアフリカまで一本の線を引いた関野さんは、
今度は「日本に暮らす人がやってきた道」の
線もそこにつなげてみたいと、
2004年から、2011年までの期間に、
「新グレートジャーニー」として、
日本列島に人類がやってきた3つのルートをたどりました。

それぞれ、北からと、中国・朝鮮半島からと、海からのルートです。


関野吉晴さんの「新グレートジャーニー」のルート
(日本の3つの旅のルート)


地図デザイン:棚橋早苗
地図素材©デザインエクスチェンジ株式会社


こちらの旅のすごさをひとつ、お伝えすると、
そのひとつ「海のルート」をたどるにあたり、
関野さんは、
「砂鉄を集める」ことから
旅をはじめていったのだそうです。
集めた砂鉄を、
日本の昔ながらの「たたら製鉄」で製鉄し、
斧や鉈などの道具をつくり、
それらを使って、舟をつくったのです。

そしてつくりあげた丸太舟で、
インドネシアから石垣島までの約4700キロの航海に
成功しました。


関野さんが砂鉄集めからはじめ、つくりあげた舟「縄文号」。
©関野吉晴

そして、このたび、
関野吉晴さんが、国立科学博物館にて、
「グレートジャーニー」「新グレートジャーニー」の
集大成のような展覧会を開かれるそうで、
糸井重里に「お会いしてみませんか」という話があり、
「ほぼ日」上で、対談させていただくことになりました。

(糸井はもともと「グレートジャーニー」という番組のことが
 気になっていて、DVDも持っていたのです)

関野吉晴さんは、1949年1月20日生まれ。
探検家であり、また、医師でもあり、
現在は武蔵野美術大学で、文化人類学の教授をされています。

糸井重里は、1948年11月10日生まれ。
ふたりはたまたま、同級生でもありました。

関野さんの旅のように、
あちこちへの「寄り道」を大事にしつつ行われた
対談の連載は、次回からはじまります。

対談のすぐあと、糸井重里はこんなツイートをしました。



「グレートジャーニー」の関野さんと、対談でした。
話題は思いっきり寄り道ジャーニーだったけど、楽しかったよー。
(次回に、つづきます。)
 
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2013-03-22-FRI
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