濱口秀司さんのアイデアのカケラたち。
USBメモリやマイナスイオンドライヤーなど、
数々の商品を企画された濱口秀司さん。
松下電工を経て、現在はポートランドを拠点に、
世界中を飛び回られています。
元々Twitter上で交流があった、濱口さんと糸井。
お互いにはじめて会う日を楽しみにしていました。
そして夏の終わりのある日、
ふたりは笑顔で握手を交わします。
濱口さんはこれまでのことや、これからのことを、
たくさん話してくださいました。
なんと、対談は、6時間オーバー。
「あの場所にいれたことが、うれしかった」
そう思った、あのワクワクドキドキした対談を、
たっぷりとお届けします。
濱口秀司さん
ビジネスデザイナー。
京都大学卒業後、松下電工(現パナソニック)に入社。
研究開発に従事したのち全社戦略投資案件の意思決定分析担当となる。
1993年、企業内イントラネットを考案・構築。
98年から米国のデザインコンサルティング会社、Zibaに参画。
99年、USBフラッシュメモリのコンセプトを立案。
2009年に戦略ディレクターとしてZibaにリジョイン(現在はエグゼクティブ・フェロー)。
2014年、ビジネスデザイン会社monogotoをポートランドに創設。
京都大学卒業後、松下電工(現パナソニック)に入社。
研究開発に従事したのち全社戦略投資案件の意思決定分析担当となる。
1993年、企業内イントラネットを考案・構築。
98年から米国のデザインコンサルティング会社、Zibaに参画。
99年、USBフラッシュメモリのコンセプトを立案。
2009年に戦略ディレクターとしてZibaにリジョイン(現在はエグゼクティブ・フェロー)。
2014年、ビジネスデザイン会社monogotoをポートランドに創設。
濱口秀司さんの
アイデアのカケラたち。
9
お客さん目線で物事を理解していく過程を想像して、人と人とのコミュニケーションのように
丁寧に説明しないと売れない、という
僕の設計の根本ができあがったんです。
2018-02-14
- 濱口
- セメントの次は水回りの担当になったんですけど、
職種は変わらず研究職。
でも、すこしずつ企画にも手を出しはじめて、
ここで開発したのが
「マイナスイオンドライヤー」です。
- 糸井
- やりたいことができるようになってきた、
という感じでしょうか。
- 濱口
- いや、ゲリラ的に、
勝手に手を出しました(笑)。
- 糸井
- (笑)
- 濱口
- そのとき「水を科学する商品をつくる」
というお題が経営層から与えられていて、
みんな人の体に影響を与える水の企画を
一生懸命考えていました。
家の中で温泉水が出るようにできないかとか、
身体にいい水が浄水器から出るとか。
でも、どれも実現性に欠けるし、
なにかあったら身体に関わることなので
訴えられるような可能性もありますよね。
それで、ほんまに一生懸命考えて、
僕が出した答えは「髪の毛」だったんです。
人体ではなくて。
- 糸井
- へえ。
- 濱口
- なぜ髪が傷むのか調べたときに、
実は髪の毛は結構つよくて傷みにくい。
でも、濡れているときに傷むらしいと
わかってきたんです。
つまり、洗っているときと、
濡れている髪の毛を乾かすときに
傷むのではないかと仮説をたて、
髪の毛の痛み方と原因を捉える実験をはじめました。
その仮説に基づいて企画開発したのが、
髪の毛のダメージを抑える水が
流れてくる洗髪洗面台です。
これがヒットするんですけど、
物が大きく値段も高いから
家電製品と比べると
販売数としては小さいわけです。
- 糸井
- 購入する母数が少ないんですね。
- 濱口
- そうなんです。それで、
「これはあかん。もっとスケールを上げたい」と思って、
髪の毛を乾かすときに傷めない商品という
もうひとつの仮説の方向で考えたのが、
マイナスイオンドライヤーでした。
ドライヤーなら洗面台より
価格も手ごろですし売れるやろと思って、
企画書をつくって。
大阪でセメントこねていた人間が、
ドライヤー部門のある滋賀の彦根に
直談判に行きました。
- 糸井
- おお。
- 濱口
- 「きみ、なんの担当なんや?」
「洗髪洗面台です」
「洗髪洗面台とドライヤー、全然関係ないやん。
その前は?」
「瓦です」
「瓦!? なんで瓦の人間がここにおるねん?」
みたいなやり取りからはじまりまして。
- 糸井
- それは相手も驚いたでしょうね。
- 濱口
- びっくりしてましたね。
まずはじめの企画として、
ドライヤーに水タンクをつけて、
乾かすときにイオナイズした水を飛ばして
キューティクルを守る商品を提案しました。
でも「乾かすのになんで水飛ばすねん、おかしい」と
全然とりあってもらえなくて。
- 糸井
- たしかに(笑)
- 濱口
- でもこれは絶対売れると思っていたんで、
6ヶ月くらい事業部長のところに通って、
データも揃えて、何度も説得しました。
最後は発売できたんですけど。
- 糸井
- たしか我が家にもありましたよ、そのドライヤー。
- 濱口
- ありがとうございます。
でも、実は、あのドライヤーにはもっと進化があって、
さらに認知の設計を加えていまして。
- 糸井
- はい。
- 濱口
- 新しい機能というのは、
簡単に理解してもらえるものではありません。
なのに、多くの会社は
新機能を「どうだすごいだろ」と
大声で自慢さえすればいいと思っています。
でも、人と人とのコミュニケーションと同じで、
自慢だけでは購入してもらえないし、
すこし広まったところで
市場はつくれていないんですね。
たとえばマイナスイオンドライヤーなら、
「マイナスイオン飛びます」とだけ伝えても
目に見えないから実感がわかないし、
どれだけすごい機能なのか理解できません。
最初から水タンクをなくすこともできました。
でも、それではマイナスイオンがなにか、説明できていない。
もっと丁寧に説明しなきゃいけないんです。
- 糸井
- ああ、まさにコミュニケーションと
同じことですね。
- 濱口
- そうですね。
それで僕がやったことは、
すこしずつ機能が進化した商品を
3つ続けて販売することを想定して、
商品企画の設計をしました。
「マイナスイオン」機能だけは変えずに、
1つ目は水タンクがついていて、
2つ目の商品は水タンクがなくなり、
3つ目も水タンクなしで、マイナスイオンの量が増える。
そうすると、水からマイナスイオンが
つくられることを視覚的かつ概念的に説明できます。
そんな風に機能の進化線を描いて、
マイナスイオンについて丁寧に伝えました。
お客さんからするとシリーズがあることで、
物事の理解が進んでいくんです。
- 糸井
- はーーー。
- 濱口
- これには過去にトラウマになるできごとがあって、
反省して見つけた答えでした。
痛い失敗ですし、会社のこともありますので、
公に語れないのが残念ですが。
僕の場合、そんな話ばっかりですけどね(笑)。
- 糸井
- (笑)
- 濱口
- でも、そのトラウマのおかげで、
ただおもしろい商品をつくるだけでは
売れないということを学びました。
お客さんが物事をどう認知するのか、
理解するのが鍵だと。
お客さん目線で物事を理解していく過程を想像して、
人と人とのコミュニケーションのように
丁寧に説明しないと売れない、
という僕の設計の根本がここでできあがったんです。
- 糸井
- 濱口さんの仕事のやりかたは、
まるで自分をつかった人体実験ですよね。
失敗をしたり、悔しい思いをしたり、
ご自身で経験されたことに基づいて考えている。
それらの経験を基礎にして、
あとは応用問題を解くように。
- 濱口
- 性格的に、自分で実験して
体感しないと気が済まないんです。
ビジネス書を読んでもほんとかわからないですし、
全部、実体験でないと信用できない。
- 糸井
- そういうのはつまり‥‥、
自分の中に大衆像の典型を
見つけているということですかね?
- 濱口
- 自分の中の大衆像は意識しているかもしれませんね。
仕事柄新しいものには飛びつきますけど
基本は奥手なので、
「僕でも買うものはたぶん売れるやろ」と思っています。
だから僕は、テストの第一関門なんです。
- 糸井
- 自分自身でテストする感覚はわかります。
会社って調査をしたり、
マーケティングをしたり、
大衆の意見を信じようとするじゃないですか。
でも、実は自分の中にも大衆があって、
自分が好きなら他人も好き、
みたいなことは山ほどあると思います。
それらを見捨てずに
自分なりに咀嚼することは大事なんでしょうね。
- 濱口
- 大事だと思いますね。
自分の中の大衆も観察しますが、
周りにいる人、会ったことのない人たちの
認知プロセスを常に意識しています。
- 糸井
- 新しい企画をする前に、
必ず意見を聞く仲間や友人は
いらっしゃいますか?
- 濱口
- いや、いないですね。
基本は自分で考えます。
- 糸井
- でも濱口さんが考えることを、
みんながおもしろがってくれている。
それが、濱口さんが大衆に通じていることの
証明になっていますね。
- 濱口
- 美化しないように正直に話すと、
もともと人の考えや気持ちを理解するのが苦手なんです。
いろいろ試行錯誤しながら
ラッキーもあって、
失敗もたくさんあって、
すこしずつやりかたがわかってきました。
まあ、ふつうはセメントこねていた人が
ドライヤーの企画をしたり、
投資分析をしたり、
そんなことさせてもらえませんよね。
最初が変な会社やった(笑)。
- 糸井
- ずいぶん、話が飛びますもんね(笑)。
投資分析もされていたんですか?
- 濱口
- 水回りの数年後には、
研究開発事業であるR&Dの
戦略投資案件の分析を担当していました。
意思決定についての科学的なツールが
必要だと思っていたので、担当したかったんです。
なんにもない状況から
不確実性の高い投資案件の分析手法を導入して、
関係者を巻き込んで分析し、
分析結果を経営層にプレゼンし、
すごく大変で、連日徹夜でしたね。
でも、そのおかげで、
30歳くらいでR&Dを超えて
全社の戦略投資案件の分析を
たくさん請け負う立場になり、
意思決定もいろんなパターンを理解できて、
僕の財産になってますね。
ほんまに感謝しています。
(つづきます。)
2018-02-14-WED
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN