ほんとうにほんとのハワイ。 |
派手な観光のハワイでもなく、 |
■Vol.51 ハワイの宗教 アンティ・タマラの話 以前「ハワイアン・ランゲージ」のご紹介のときに お話ししたことがあるかと思いますが、 私は5歳の頃、父に連れられて 初めて親族のお墓に花を供えに行ったとき、 私とまったく同じ名前のお墓を見つけて 息が止まるほど驚いたことがあります。 そのお墓は、わずか6歳でこの世を去った 父のお姉さんのものでした。 私はそのお墓の前に、花を抱えたまま ただじっと立ち尽くしていました。 自分の名前が刻まれたお墓があることが とても怖くて、自分も死んでしまうような気がして 動けなくなっていたのです。 「タマラ、こっちに来なさい。 お前の伯母さんの話をしてあげるから」 父は、そんな私の様子を見て アンティタマラ(タマラ伯母さん)が 亡くなったときのことを話し始めました。 その日、墓地の小高い丘の上で 父が聞かせてくれた話は、幼い私の頭では ちょっと理解するのが難しいものでした。 父が3歳、アンティタマラが6歳のときのこと。 ふたりはずっといつもと変わらず元気に遊んでいたのに 夜になって突然ひどい病気になりました。 40度以上の熱にうなされ、 どんどん衰弱していくふたりの様子に 父のお母さんとお祖母さんは慌てふためきました。 “このままでは、ふたりとも死んでしまうかもしれない” 子供たちのお母さんとお祖母さんは、 どうしたものか相談しました。 お母さんは、子供たちを西洋医学の医者に 診せることを主張しました。 父のお母さんが生まれたころ、ハワイでは 伝統的な物事はほとんど人々の心から 忘れ去られていました。 彼女が育った時代はカフナもどんどん少なくなり、 わずかに残ったカフナたちも、 その存在を世間から隠していました。 西洋文化第一の風潮の中で育ってきた彼女が 医者に診せようと主張するのも当然のことでした。 ところが、お祖母さんは違いました。 お祖母さんは娘の意見に断固として反対し、 「子供たちを助ける方法はただひとつ、 カフナのところに連れていって、 祈ってもらうことだけ」 と言い切りました。 自分もカフナだった彼女には、 子供たちの病状はただごとではなく、 誰かの呪いによってこうなったと 思えてならなかったのです。 だから、それを救うにはカフナに頼んで 呪いを解くしかないと判断したわけです。 お互いにとても頑固だったため、 結局、お母さんはアンティタマラを 西洋医学の医者に連れていき、 お祖母さんは父をカフナのところに連れていきました。 父はカフナに呪いを解く祈りをあげてもらいましたが、 一方、アンティタマラを診た医者は、 「なんの病気かまったく分からない。 対処のしようがない」と言って 困ってしまったということでした。 そして次の朝。 ちょうど陽が昇ったころ、 父の病状は急に嘘のように回復しました。 ところが、アンティタマラは突然、 父が回復したと同時に息を引き取ったのです。 「アンティタマラはとても愛くるしくて 誰もが彼女のことを天使みたいだと言ってたよ。 まだ3歳だったお父さんは、どこへ行くにも 彼女のあとばかり追いかけていた。 すごくお父さんを可愛がってくれてね、 まるで小さな母親みたいに お父さんの面倒をいつも見てくれたんだよ」 そう話す父の目はちょっと赤くなっていました。 なぜ、父だけが突然回復し、 アンティタマラは亡くなってしまったのか……。 もしかしたら、本当に曾お祖母さんの判断した通り、 誰かがなにかの理由で父とアンティタマラに 呪いをかけたのかもしれません。 真実はわかりませんが、 私はそのとき、伯母の小さなお墓を静かに見つめている 父の大きな手をぎゅっと握りながら、 “父を助けてくれた曾お祖母さんの決断は きっと正しかったのだ”と、 そう思わずにはいられませんでした。 |
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2000-12-14-THU
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