第9回 歌舞伎、ジュネーブ、バイオリン。
糸井 | 早野さんのやってることを 詳しく知れば知るほど、 「早野さんという人」が気になるというか、 早野さんの仕事のなかに、 生活とか、日常とか、人としての早野さんが 活きているんだろうなと感じるんです。 早野さんがきちんと生活しているからこそ、 赤ちゃんを測定する装置の デザインに気が回るというか。 |
---|---|
早野 | ああ(笑)。 |
糸井 | 実際、ツイッターなんかで拝見してても、 研究室にしかいないみたいなことじゃなくて、 いろいろたのしんでらっしゃいますものね。 頻繁に歌舞伎をご覧になってたりとか(笑)。 |
早野 | はい(笑)。 ぼく、昔、東大の教養部で、 単位の出ない「歌舞伎の授業」っていうのを やってたことがあるんですよ。 月に3回教室で授業をやって、 4回目はみんなで歌舞伎座に行くっていう。 それを3年くらい続けてました。 |
糸井 | それは、文化としての 研究対象のようなものではなくて。 |
早野 | いえいえ、単に観るだけです。 |
糸井 | そういうところと、 毎日グラフをつけるようなところが、 なんとなく、無関係でないように思えるのが おもしろいところですね。 |
早野 | そうですか? |
糸井 | たとえば、公表されたデータから 毎日グラフをつくるっていうことと、 給食を測定しようっていうことは、 早野さんのなかで当たり前にできてますけど、 じつはけっこう距離があるような気がするんです。 |
早野 | ああ、距離はあると思いますね。 だから、やってきたことを積み重ねて、 その延長上へ移っていくんじゃなくて、 そのままでは行けないようなところに ポッと飛ぶっていう。 |
糸井 | うん。飛んでますよね。 |
早野 | 飛んでます。 |
糸井 | 数字だけを見つめてる人の発想じゃなくて、 その数字と生活がつながってるということが 当たり前にわかってないと 出てこない考えだと思うんですよ。 そこに住んでる人がいるんだっていうことが 実感できているかどうか、というような。 悪い例でいうと、選挙活動をしてる人が、 選挙の間だけやってきて 田んぼに入って握手したりするでしょう? あれって、なんか、生活と つながっていないように感じるんですよ。 |
早野 | ああ、なるほど。 |
糸井 | 失礼な言い方かもしれませんけど、 早野さんは、学者としての研究の仕事に 人生のすべてを割いているような 気がしないんです。 ちゃんと遊びの部分があるというか、 バカなことも、わかってやってる。 |
早野 | まぁ、そうですかね。 人生ってほとんど無駄の積み重ねで できているじゃないですか。 そこってけっこう大事だと思うんです。 |
糸井 | 学者としての自分を高めるために そういうふうに 考えるようになったわけじゃないですよね? |
早野 | たぶん、そうではないと思います。 |
糸井 | ちっちゃいころから、そんなふうに? |
早野 | ええ。 |
糸井 | 早野さんの小さいころって、 いわゆるガリ勉だったんですか? |
早野 | そうではないと思います。 |
糸井 | いろんなことに興味があったんですか? |
早野 | いろんなことに、興味があったんでしょう。 いまでもあります、いろいろ。 |
糸井 | ああ、そうでしょうね。 だって、歌舞伎と、 ジュネーブの物理学の研究所がふたつ並ぶと、 ぼくらにとっては、こう、 ちょっとシュールな景色に感じられますから。 |
早野 | シュールかもしれませんね(笑)。 あの、4月2日って、 新しい歌舞伎座の初日だったんですけど、 ぜひとも初日を観たかったので、2日に観て、 3日は朝ジュネーブに飛んで、 帰国した日は歌舞伎座に直行してまた観ました。 それは、ぼくのなかでは、 まったく無理なくつながっている。 |
糸井 | そうなんですね。 ああ、それはカッコいいな。 ぼくも相当、振り幅のめちゃくちゃな 人間だと思ってますけど、 早野さんはまた、そのスケールが違いますね。 |
早野 | はははは。 |
糸井 | こないだ、よその編集者の人に、 「糸井さんは、だいたい1日に 何種類ぐらいの仕事をしてますか?」 って言われたんですけど、 その訊かれ方は、すごく自分に合ってるなと思って。 時間でもなく、質でもなく、 品目とか種類が人と違うなぁと思って。 その質問、早野さんにもしてみたくなります。 |
早野 | ああ、そうですねぇ。 自分ではあまりそういう意識もないですけど。 やっぱり、無理なくつながっているから。 |
糸井 | それは、震災のあとに多様化したんじゃなくて、 昔からそうなんでしょうね、きっと。 それこそ、子どものころから。 |
早野 | まぁ、そうでしょうね。 急にそうしなさいと言われても、 なかなかそうはならないと思うので。 |
糸井 | 歌舞伎のほかに、隠し事はないですか? じつはこんなことを‥‥みたいな。 |
早野 | いやいや(笑)‥‥あ、でも、 最近はまったく弾いてませんが、小さいころは、 かなりなバイオリンプレーヤーでした。 |
糸井 | え。 |
早野 | 弾けと言われれば、たぶんいまでも、 弾けるはずなんですが。 |
糸井 | いいネタ、出しましたね。 へぇーー、そうですか。 |
早野 | あるときまでは、 音楽家になるんじゃないかと、 まわりが思っていた節があるという。 ま、子どものころの話ですけど。 中学生ぐらいまでは、やってました。 |
糸井 | いや、中学生ってことは、 ずいぶん続けてたってことですよ。 |
早野 | まぁ、そうですね。 |
糸井 | もっとなにか、隠してますか? |
早野 | いえいえ(笑)。 |
糸井 | でも、訊いていくと、あるんだろうなぁ。 本人は得意と思ってないけど‥‥ みたいなことが。 |
早野 | あとは、コンピュータのことは、 あるかもしれません。 いまでもぼくはコンピュータ上で、 ホールボディカウンターのデータとか、 いろんなデータベースを 毎日チェックしてるんですけど、 コンピュータに関しては ずいぶん早い段階からかなりの使い手だったんですよ。 というのも、ぼくの若いころって、 誰でも使えるコンピュータって 存在しなかったんです。 だから、ぼくの世代としては、 かなり使えるほうだと思います。 昔、日本のコンピュータが はじめて外国からの侵入を受けたとき、 それが西ドイツからの侵入だっていうのを つきとめたのは、ぼくなんです。 |
糸井 | へぇぇ(笑)! |
早野 | そういう、ネットワークの黎明期に、 めずらしい体験をいろいろしてると思います。 |
糸井 | ああ、だからこそ、 ツイッターをつかいはじめたのも早くて、 その長所も短所も理解していたから、 震災のあとに、その特性を うまく利用することができたという。 |
早野 | そうです、そうです。 |
糸井 | 全部それは役に立ってますね、やっぱり。 つながっているんでしょう、きっと。 |
早野 | そう、だから、何度も言うようですが、 自分のなかでは、すべてが まったく無理なくつながっている。 |
糸井 | なるほどーー。 だから、総合的にいうと、早野さんって、 研究室に閉じこもってる感じが ちっともしないんですよ。 理論だけでもないし、現場だけという感じでもない。 実践も、理屈も、いろいろ混ざりながら、 こういう人なんですよ、っていうふうになってるのが すごくおもしろいんですよ。 |
2013-06-27-THU