第2回 ヒッピーの時代、サッカーという仕事。
アンリ 確かにスポーツ自体はとても自由な世界です。
ただ、どんなスポーツにも、枠がありますよね、
テニスだったらテニス、
サッカーだったらサッカー。
その1つしか考えることができない。
もちろん時間の拘束もあるし、ルールがある。
でも僕はサッカーを愛していたので
そういうことは最初は気になりませんでした。
でもやっぱり、20歳になったこととか、
ヒッピーの時代っていうことも
あったんだと思うんだけれども、
何か、スポーツの中のサッカーの世界が
とても狭く感じるようになりました。
要するに選手は金銭で売買される立場ですよね。
メンバーがあっちに行く、こっちに来る、
っていう、ゲームの駒のように
自分自身が感じられて。
糸井 そうですね、うん。
アンリ 動かされる自分が嫌だった。
自分で動きたい、
自分のことは自分でという、
そういう精神があったものですから、
発散をしたかったんです。
糸井 僕もその頃にヒッピーの影響を受けていました。
時代背景としては、体育会系の人たちと
ヒッピーな考えっていうものの違いは、
今よりずっとたくさんありましたね。
アンリ 同感です。正反対のことかもしれないです。
だんだんと、
サッカーの中で自分を表現するっていうことが
少なくなっていきました。
自分では自分の全てを曝け出しているのは
サッカーしかなかったのにもかかわらず。
そんなときに、たまたま偶然に、
ロランド・ロッシさんとの出会いがあり、
ベルトをつくってみて、それが認められて、
僕は自分の頭の中が爆発したような、
新しい発見をしたんです。
こういう自分の表現の仕方もあるんだ、
ああ、こういうふうに僕は何かをできるんだって。
あの、愛情の時代、
表現の自由というのがあった時代、
その時代の流れに自然に
乗ってったんじゃないかと思うんです。
僕はこの時代に生まれたことを
とても感謝しています。
この時代に生まれて、
そういう時代を暮らしてきたってことは
やっぱり宝だと。
  1968
糸井 うん。偶然なんですけども、きょう、僕、
シルク・ドゥ・ソレイユの創始者の
ジル・サンクロワさんというかたに
会ってきたんですね。
彼も、ヒッピーなんですよ。
アンリ ヒッピーの時代っていうのは、
平和と愛と、戦争反対っていうような時代だけど、
僕にとって大切なことはもう一つあって、
それは子どもに還るっていうことなんです。
子どもに還る、子ども時代に還る、
子どもの気持ちを大切にするっていうことに
自分の中に共感するものがあった。
それからその後、もの作りをするに当たっても
子どもの気持ちを忘れずにいます。
時々、僕は鏡を見ながら思うのは、
“この子ども”はどんなふうに
これから育つんだろうって。
糸井 自分のことをね。
アンリ 今でも自分でそう思うんです。
アンリ そしていま、僕には
5歳の子どもがいるんですけれども、
彼を見て、僕も子どもに還ることができる。
これがもっと若いときの子どもだったら
今のようにはいかなかっただろうと思います。
  henri
▲エルバ島にて

糸井 年を取ってからますます、
自分の中の子どもの部分というのが、
わかるようになってきますね。
子どもである部分っていうのは
弱いっていうことでもあるし、
もうひとつはやっぱり、
自由だっていうことだし、
2つの意味でますます大事にしなければ、
っていうふうに僕は思うようになりましたね。
アンリ シンプル。
シンプルに生きること。
それはとても難しいけど、
シンプルであることで、
子どものように純粋でいられます。
年を重ねていくと、経験であったりとか、
いろんなものが重荷になってきますが、
だから、もっとシンプルになろう、
もっとシンプルになろうということを
いつも思っています。
糸井 アンリさんはもしかしたら
僕と同い年かなあ?
僕は1948年なんですよ。
アンリ 僕は47年生まれです。
糸井 ああ、やっぱ同じような年ですね。
アンリ お若いですね(笑)。信じられない。
糸井 いや、だから、僕も、子どもなんです。
初めてお会いしましたが、
何かとても通じますよね。
じゃあ、話を1回戻して、
街で、手づくりの革ベルトを売ったときから、
今に至る道をおしえてください。
  henri
  (つづきます。)
協力:Henry Cuir 青山本店

2008-11-03-MON