アンリ | もちろん、基礎っていうか、 革を切るとか、革製品を作る基礎は 僕はロランドさんに習ったけど、 でもその後の基礎以外のものは 全て自分で作っていくうちに、 あ、これはこうなんだっていうような 発見との毎日の出会い、だったんです。 学校に行ったらやっぱり何年か 習わなきゃいけないですよね。 でもぼくが習ったのはほんとうにシンプルな基礎で。 それがほんとうによかったと思うんです。 なぜかというと、 5年間なり3年間なり習ってしまうと その中で閉じ込められて、 そこからの発想がなくなる。 僕にとってはとてもとても 自由に進むことができました。 すべては自由のためなんです。 |
糸井 | そうですね。 新しい言葉を習って、 作家が文体を作ってくみたいなことなのかなって 思ったんです。 |
アンリ | 日本人の方は自分の肌のように感じてるから、 きっと、あまり強くは感じられないと思うけど、 僕にとって日本に来ての発見は、 それが高価なものであっても、 高価じゃないものであっても、 1つのものに美を感じることができるということ。 自分の中に豪華さがあるっていうことを、 日本の皆さん、一人ひとりが 持ってるものだと思っています。 |
糸井 | 多分、価値っていう言葉も 日本人は意識しないで生きてるけど、 西洋の人たちは価値があるかないかということを すごく意識しますよね。 |
アンリ | 意識しますよね。 |
糸井 | で、その、日本人の価値という言葉を、 あ、そういうことがあるんだっていう、 その感じっていうのは逆に、 アンリさんは学んでらっしゃるんだなあって。 |
アンリ | そうですね、いつも日本に来ると、 たとえばお辞儀の仕方に関しても、 どこかのお店での人の対応ですとか、 そういう文化というものを、 いつも学んでますね。 日本っていうのはやっぱりシンプルさをとても 大切にしている国だと思うんです。 たとえばそれがキズ物であったとしても、 そのキズ物をよりよく再生しますよね。 欠けたお茶碗でも修繕して長く使うような、 そういうようなところが、 僕が日本をとても好きな理由なんです。 |
糸井 | 一輪挿しってあるじゃないですか。 庭に生えた草花を1輪、1本だけ、 値段にしてみたら1円か2円か10円か 100円か分からないものを挿しますよね。 ああいう感覚ですとかね。 |
アンリ | まさにそのことなんです。 西洋だったら花束ですから。 |
糸井 | そうですよね。でも一輪挿しは、 雑草でいいんですよね。 |
アンリ | 最初、妻がやはり1輪だけ花を挿して 玄関だったりキッチンに飾るのを見て 「それ、何?」と言いました。 |
糸井 | 驚くんだ。 |
アンリ | そう。やっぱり驚くんですよね。 西洋はその哲学がないですから。 高価なバラをいっぱい飾ることが、 たいせつなお客さまが来るときの おもてなしっていう考え方です。 |
糸井 | 日本と付き合うようになってから 発見したことってたくさんあるんですね。 |
アンリ | 日本に来る度に、 心がどんどんどんどん豊かになっていきます。 年に1回、京都で4日間、 東京で4日間というように イベントをするんですけれども、 僕がいろいろ作ったりするのを見ていただくんです。 そうすると、1時間とか2時間とか、 ずーっと見てくださる。 20歳の子、30歳の人、40歳の人、 もう全ての人がとても興味深く 僕のやってることを見てくださる。 僕は、そのことが、とてもありがたいし、 それによってまた、次の発想に行くんです。 これは西洋では考えられないですね。 日本というのは、職人さんや、 手作業で何かをやっているっていうことに関して とても‥‥、 |
糸井 | 尊敬があるんです。 |
アンリ | 尊敬、そうなんです。 あと、とても興味をもってくださる。 |
糸井 | アンリさんの作品は、 たとえばこの犬の置物にしても、 一輪挿しじゃないですか。 |
アンリ | (笑)。 |
糸井 | そう思って見ると、 アンリさんのやってることはみんな、 俳句のようですね。 |
アンリ | ああ、俳句。ありがとう。 |
糸井 | 自分がアンリさんのつくるものに惹かれる理由が ちょっと分かった気がしました。 あるいは文人画のようでもあります。 日本人が尊ぶ、作家の描く絵のことです。 |
アンリ | そういう比較をしていただいて光栄です。 |
(つづきます。) | |
2008-11-05-WED