練馬で捨てたはずのステージ衣装がなぜか船便でパリに届き白塗りの人と何度も共演するはめになった件。
── TOBIさん、MIYAさん。
新年あけまして、おめでとうございます。
TOBI ボ・ナ・ネ~♡(Bonne Année)
── 本年2015年も、
読む人に勇気を与える「ひどい目。」話を
どうぞ、よろしくお願いします。
TOBI できれば平和に暮らしたいんだけど。
── ときにMIYAさんは、この「ひどい目。」には
はじめてのご登場ですね。
MIYA ウィ、ムッシュー。
── ということはつまり、
本日は、
本業レ・ロマネスクとしての「ひどい目。」を
ご披露くださる‥‥と?
TOBI ウィ、ムッシュー。
── ふだんとちがって「正装」ですもんね。
まぶしすぎて正視に耐えないほどです。
TOBI がまんしてください。

ところどころに「賀正」の気持ちを散りばめた
スペシャル・バージョンですので。
── さて、本日の「ひどい目。」は
おもに、ふたりがこの活動を開始した当初の、
「ライブ活動」にまつわる
各種「ひどい目。」であると聞いております。
TOBI なぜ、ぼくたちが、パリの地で、
こんな格好をして歌って踊ることになったのか。

それには、
ある「船便」が大きく関係しているんです。
── 船便?
TOBI ぼくがまだ若かりし青年だったころのことから
話はじめることを、おゆるしください。

東京の大学を卒業してからというもの、
就職する会社が
次から次へと、倒産していったんです。
── まるで倒産請負人‥‥。
TOBI 流れ流れて、
おじさま向けフーゾク店のもぎたて情報紙で
三行広告を取ってくる仕事にありつき、
「完全歩合制」という地獄のシステムのなか、
廃人のように、はたらいていました。
── ひとつお願いなのですが
その「入った会社が片っ端から潰れていく件」は、
また別の「ひどい目。」として
後日あらためて、ご披露いただけますと幸いです。
TOBI 鬼! ‥‥わかってます。そういう運命ですから。

ともあれ、話をもとに戻しますと
そのような折、
場末の安居酒屋で友だち数人と飲んでいたら、
イワツキくんという人が
「年忘れ弾き語り爆笑ライブを開催するから
 君も出てくれないか」と。
── 爆笑ライブ?
TOBI そう。
── なぜ自分からハードルを上げるような名前に‥‥。
TOBI 年の瀬で、懐も寂しく、窓の外には雪がちらつき、
ぼくはといえば「泥酔」していました。

なので、まったく覚えていないんですが
「ふたつ返事」でオッケーしていたらしいんです。
── 爆笑ライブへの出演を?
TOBI 数日後、イワツキくんから封書が届きました。

何かなと思って中を見てみると、
「年忘れ弾き語り爆笑ライブ」のチラシで、
そこには
「スキャットマン・ジョーク(出演:石飛)」
という演目が印刷されていたんです。
── そのタイトルは‥‥イワツキくんが?
TOBI そうです。石飛というのはぼくの苗字ですけど、
勝手に演し物のタイトルまで決めていたんです。

飲み会のあと速攻チラシが届いたので
どうやら、
どうしても埋まらなかった「最後のひと枠」に、
ぼくが、嵌めこまれたようでした。
── 「アメコミ・キャラ」ならぬ
「ハメコミ・キャラ」というわけですね。
TOBI 申し上げたように泥酔していたので、
そんなライブに出ること自体ビックリでした。

そもそも、人前で歌なんか歌ったことないし。
── そんな人が、いま、この格好ですか。
TOBI むしろ人並み以上に恥ずかしがり屋で
経済学部をきっちり4年で卒業するくらいの、
何のヒネリもない人生でしたから
「絶対につとまらない」と思いました。

人前で歌って踊るだなんて、
「文学部に7年、籍を置いた末に中退」
みたいな肝の太さがないと
絶対つとまらないと思っていたんです。
── ずいぶん穿った見方ですが‥‥
とにかく「それは自分の役割ではない」、と。
TOBI 昭和の映画スターみたいに
ステージ映えするような豪快さもなければ
芸術方面の人によくある、
大正時代の文学青年みたいな病弱さもない。

チンアナゴみたいにヒョロヒョロしていて
猫背なんですけど、ずっと健康優良児でした。
小中高を通じ一度も学校を休んだことがなく、
視力だって「2.2」もあるんです。
── 何の話ですか。
TOBI ようするに、人前で歌って踊るなんて行為とは
無縁の人生だったので
濃いメイクをして、金髪のカツラを被って、
ギラギラした衣装を着て‥‥
まったくの別人にならなきゃ無理だと思いました。
── 出たんですね‥‥爆笑ライブに。
TOBI 当日、本番のステージでは、
極度の緊張から、思いつきでこう言っていました。

「日本のみなさん、ボホンジュ~ル♡
 わたしの名前は、ロマネスク石飛。
 おフランスからやって来た貴族です」
── え、じゃあ、つまり‥‥。
TOBI そう、「フランス出身の貴族・ロマネスク石飛」
というキャラクターが、
まさしくその瞬間に、生まれたんですよ。
── 現在につながる設定は、そんな最初期の段階から。
TOBI 逆に言えば、いまと、まったく同じなんですよね。
一歩も前進していないんです、当時から。
── 舞台では、どのようなパフォーマンスを?
TOBI 友人の友人である「オノニュエルベアール」くん、
実名オノハラくんが
中学時代につくった曲に歌詞をつけて歌いました。

それが記念すべきデビュー曲『愛の無人島』です。
── オーディエンスの反応は‥‥。
TOBI 爆笑ライブの名を汚さぬよう、
ぼくは一生懸命に歌い、苦笑程度にはウケました。

当時は練馬に住んでいたんですけれど
去り際に「再来日に期待してます」と言われたり、
真っ白い菊の花束をもらったりました。
── 仏花じゃないですか。
TOBI まさか「次」があるとは思ってませんでしたが、
ライブを見た知らない人から
宴会の余興や結婚式の二次会などのオファーが
次々と舞い込んできました。

気が弱く、頼まれると断りきれない性格のため、
「何をしているんだろう?」
と思いながらも、すべて、引き受け続けました。
── フーゾク店のもぎたて情報コーナーの傍らで。
TOBI もぎたて情報紙はとっくに廃刊していました。
── さすがは倒産請負人‥‥。
TOBI ともあれ、
はじめは、単なる宴会の余興だったんですが
そのうちに
学園祭に呼ばれ、テレビの深夜番組に呼ばれ‥‥。

気づけば、アントニオ猪木と一緒に
木更津の海開きで、餅つきをしていたんです。
── 例のビンタは?
TOBI 頂戴しませんでした。
── そのような活動には
ギャランティ的なものは発生するんですか?
TOBI 頂戴していました。

ただ、あいかわらず
就職した会社が潰れまくる倒産スパイラルに
巻き込まれており
副収入もすべて衣装とカツラに消えていくし、
何か‥‥だんだん、疲れてきてしまって。
── 無理もないでしょう。
TOBI しかも、そのころになると
「ロマネスク石飛とナンチャラ」ってグループを
いくつも掛け持ちしており、
総勢15、6人のメンバーがいたんです。
── ワクにはめられてはじまった扮装人生でしょうに、
なんでまた、そのような展開に?
TOBI 飛んでくる球を必死に打ち返しているうちに
ムード歌謡コーラスグループを
なぜだか‥‥やりたくなってしまったんです。

「内山田洋とクールファイブ」のような、
「敏いとうとハッピー&ブルー」のような、
「森雄二とサザンクロス」のような、
「秋庭豊とアローナイツ」のような‥‥そういうやつを。
── 詳しく知らないのですが
どれも「人名+カタカナ語」って構造なんですね。
TOBI ぼくらのグループ名も、その暗黙のルールにのっとり、
「ロマネスク石飛と揉みあげホテル」としました。

ただ、まわりには「ムード歌謡」をやりたい人が
皆無だったため、記念すべき初ライブも
「メインボーカル1人・コーラス1人」という
実にさみしい編成での船出となりました。

バック・コーラス役の「メゾンド池場」さんは
曲中で「アァー」と2回、言うだけでした。
── 今のレ・ロマネスクとまったく同じ状況‥‥。
TOBI その後、医療機器の営業マンの方が
「マイルド森井」として参加してくれたんですが
おふたりとも本業が忙しく
次々と舞い込むオファーにこたえ切れなくて。
── ええ。
TOBI しかたがないので、バック・コーラスの人に
都合のつくときだけ来ていただく
「登録制」のようなシステムを考案して
主婦・バスの運転手・デパート店員‥‥などなど
たくさんの人に、登録してもらいました。

それに伴い
「ロマネスク石飛と魅惑のセシボンズ」
「ロマネスク石飛とアクアマリンズ」
「ロマネスク石飛と
 アンダーグラウンドスクールメイツ」
などグループも次々結成していったのですが、
登録者が増えれば増えるほど
みなさんの本業のとの間の調整が大変で。
── ご自身は倒産スパイラルのまっただ中なのにね。
TOBI メインボーカルであるぼくが
バック・コーラスさんの日程調整に汲々となり、
ライブも満足にできなくなって
そもそも
何がしたかったのかわからなくなりました。

やがて就職面接をこなしながらの扮装ライブは
限界を迎えました。
── はい。
TOBI そこで、ある日のステージを最後に
「これ以上、ぼくに期待しないでください。
 期待されたら、また出てしまいます」
と言って静かにマイクを置き、
フランスへと、旅立つことにしたんです。
── おお。
TOBI 練馬区のルールにのっとり、
衣装やカツラを
燃えるゴミと燃えないゴミに分別して出し、
すべてをかなぐり捨てて
ほとんど文無し状態でパリへ向かいました。

もし、人生にリセットボタンがあるのなら、
とにかく押したかったんです。
── でも、「人生を変えるんだ」と夢見たパリで、
銀行強盗に拳銃を突きつけられたり、
大西洋で漂流して干上がりそうになったりという
「ひどい目。」に遭うとは‥‥。
TOBI ははは‥‥‥‥思ってもみませんでしたよ。

すでに、お話ししていますけれども、
パリで「三行広告を打ち込むバイト」をしながら
そのように次々と「ひどい目。」に遭うので
こんなにもキツいのなら日本へ帰りたい、
フランスなんてもうまっぴらだと思っていたとき。
── ええ。
TOBI 届いたんですよ‥‥「船便」が。
── 船便。
TOBI 過去のぼくが、未来のぼくに宛てて発送した、
あの「運命の船便」が‥‥。
<つづきます>
2015-01-05-MON

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