KAGUCHI
カナだから、の手紙

「カナだから、の手紙」のカグチヒナコさんは、
12月3日が初日の、竹中直人の会公演のために、
しばらくこの連載を休止しておりましたが、
さて始まってしまったら、これはこれで毎日舞台なので、
来月までここに戻ってこないんじゃないかしら??
で、空き家のままにしておくとゴキブリがふえたりするし、
蜘蛛の巣が張ったりしてよくないんではないか。

ということには、まったく関係ないのですが、
12月3日、カグチさんの出る舞台とおなじ日に、
初演の野田秀樹さんの芝居「Right Eye」を、
長谷部さんに誘われて観てきたのですが、
これがすっげぇおもしろくて、
なにか書かずにいられなくなったんです。

カグチさんの芝居のほうは、家のなかのどこかで
彼女に会う機会があったら、インタビューでも
申し込んでみますから、断られなかったらそのうち出ます。

じゃ、そういうことなんで、カグチさん場所借りますね。
けっして長居はしませんから。
ほんの覚え書き程度のことを、書き留めたかっただけです。

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「速度が弾丸を殺すとき」

「せっかく日比野克彦くんが
撮影してくれたけど、
デジカメじゃなかったので、
間に合いませんでした」

野田秀樹の舞台を観るのも10年ぶりなら、
芝居を観に行くのも10年ぶりである。
このごろちっとも眠ってないから、
ちょっとでも油断をしたら観客席で
絶対に寝てしまうだろうという妙な自信はあった。

「つくりばなし」でない演劇手法というか、
「ドキュメンタリー」の手口をとりいれたとかいう話も、
この芝居についてちょっと聞こえてきていたが、
10年ぶりに芝居見物に行くおっさんにとっては、
そんなこたぁどーだっていいわけで、
ぼくの知ってる野田秀樹が、
そんな演劇的なハードウエアを大事にしている
はずがないと思っていた。

出演者は、野田秀樹と、牧瀬里穂、吹越満の3人だけだ。
照明も美術も衣装もとてもよかったのだけれど、
ひとつひとつ紹介してほめたりするのは
なんだか儀礼的な気がするので、そういうことは
自分で調べてください。

結果から先に言えば、ぼくはぜーんぜん眠らなかった。
それどころか、芝居というものが
こんなにおもしろいものだったのかと、
身体ぜんぶが思い出したようになって、妙に興奮していた。
こういう時に、ぼくはいつも嫉妬しているのだ。

あ、ぼくにとっての最高の誉め言葉は、
「嫉妬した」である。
人間に嫉妬するというのではなく、
なにかの「あらわれ」に嫉妬をするものらしい。
ある監督の映画に嫉妬するといったら、
その監督という人ではなく、
その監督がつくった作品という「あらわれ」に嫉妬する。
そういうものである。

その嫉妬の源泉にあったのは、
大きな意味での「演出」ってやつだったのだと思う。
ぼくの嫉妬について書きながら考えていこう。

この「Right Eye」という芝居で野田秀樹は、
一般的にはナレーションと言われる
地の文章を、たくさん使っている。
セリフというかたちをとっていない散文が、
散文詩のようにたっぷりと、何度も語られるのだ。
こういう演出は、もともと野田秀樹が「夢の遊眠社」を
やっていたときからあったものなのだが、
ぼくの観ていない間に、それがどんどん増殖していたのか、
と思ってあとで本人に聞いてみたら、
「今回は特別に多いんだ」という。

地の文というやつは、活字の小説などの文章と
基本的には何も変わらない。
セリフは声に出すことを前提に台本に書かれるが、
小説などの散文は目で読むために書かれるものだ。
それでは、この劇中で語られた「朗読」のような散文は、
どういうふうに書かれるのだろうか。
ぼくが知っている「夢の遊眠社の劇作家・野田秀樹」は、
「ひとり語り」の形式でナレーションの文章を
書いていたような気がする。
つまり、登場人物の独白という演劇用の
セリフのひとつとして、散文風の文体を用いていたわけだ。

それが、今回は、はっきりと「活字とおなじ書き方」で
書かれた散文体に変化しているようなのである。
これを、ドキュメンタリーの手法をとりいれたと言って、
整理することはできる。
しかし、それを手法と呼んではいけないのだ。
そういう呼び方をするくらいなら、
「この手法は、アニメ版『ちびまる子ちゃん』の
キートン山田のポジションに想を得ている」くらいのことを
言わなければいけない。
そのほうが説得力があるし、
野田という天才とさくらももこという天才の衝突は、
修辞的にとてもカッコいい。

手法などではなく。
優れた散文書きでもある野田秀樹は、
<散文とおなじもの>を「演劇」のなかに
無造作に投げ入れた。

「これは事実である」というひとつの散文が、
活字になった状態で読まれたときと、
そのおなじ散文が、舞台の上で演出され、
役者の肉体というフィルターを通して
客席と共演者に向けて発語されたときとでは、
まったく意味が変わってくる。
むろん、根元的な意味は同一であるけれど。

しかし、後者の「これは事実である」というフレーズは、
音色と強弱のコントロール、タイミングの管理、
舞台環境の設定などのほとんどすべてを、
演出家が「火気責任者」のように創りだしている表現だ。
そのメッセージの受け手である観客は、
ほとんど送り手によって加工された散文の意味を、
「受けとめる(官能する)こと」のみに、
集中することができる。
ということは、それ以上の意味への批評は
禁止されているということでもある。

このことが、野田秀樹の復讐なのだと、ぼくは思う。
テキスト自体がかかえている意味なんてものを、
「それだけで、おもしろいの?」と、
からかいにやってくるのが、
作家でなく演出家であることを出発点にしている野田の、
これからしつこくやっていくのであろう「大仕事」なのだ。
優れた散文書きでもある野田秀樹が、
散文を、単なるモチーフにして
芝居をつくる「演出家の野田秀樹」によって、
ひと芝居ごとに殺されていくのが、
ぼくの考える「Right Eye」という芝居のテーマである。

ライトアイとは、右目である。
事実、右目を10年前に失明していたという野田秀樹は、
自らの光りを失った「ライトアイ」を、
「Right=正しい目」と誤訳してみせた。
そして左目「Left Eye」を、彼はそれに対応させて、
「Left=とりのこされた目」と超訳してくれた。

正しさという意味、正しいにしか過ぎないとも言える
「ライトアイに届く光り」を受容できなくなった
野田秀樹のトータルな肉体は、
レフトアイというとりのこされた感覚器官だけで、
この後の表現活動を続けていくしかない。
しかし、それは「意味にしか過ぎないもの」つまり、
「たかがテキスト」の無力を訴えるには
最高のハンデキャップとなりうるわけだ。

たかが正しさ、たかが意味、たかがテキストに対して、
「とりのこされた目」は、これからも全力をふりしぼって
戦いを挑み続けることだろう。
しかしそのことは、「ライトアイ」をも自身の一部として
つくりあげてきたこれまでの野田秀樹総体を、
殺していくことでもあるわけだ。

右目を失うことは、じつは、
そのまま左目だけの男として生きていくこととは違う。
ほんとうは、
左目はこれまで、右目を当てにして存在してきたからだ。
レフトアイの野田が、ライトアイに
攻撃をくわえればくわえるほど、
正しさというニックネームの「右目」が
なぜ人間に標準装備されているのかという
疑問が浮かび上がってくるはずだ。
野田秀樹はそれを知っている。
ネスカフェ・ゴールドブレンドを飲まなくても知ってる。
わかっちゃいるけど喧嘩を売るのココロ。
おそらく、その苦渋にみちた謎かけが、
演出家である野田秀樹の最高の快楽なのだろう。
このへんのとこに、ぼくなんかシビレちゃうわけよ。

この先、舞台に立つたびに殺されていく右目の運命を、
とりのこされた目を持つ演出家(殺す側)の野田秀樹は、
両眼健常のふりをした「右目だけの人々」にこそ、
見守ってほしいのではないだろうか。両目ってやつでサ。

ぼくは、この舞台の観客席にいながら、
ずううっと、嫉妬していたわけで。
その嫉妬は、まずは、
「ああ、あの野田くんのモノマネをしたいなぁ」
というかたちで表れ、
「スピードが速いのでモノマネのコツをつかめねぇや」
という、残念な気持ちに変化し、
「いいなぁ。ああゆーのやってみてぇのになぁ」
という羨望になり、できっこないことに気づいて
「ちきしょう」になって
嫉妬として成仏した。
最高のお客さんでしょ、野田くん。

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銃に込められた弾丸は、
弾丸それ自体では何もできない単なる存在である。
しかし、そいつがひとたび発射されたときには、
あってはならない事件が引き起こされるのだ。
では、諸君に聞こう。
その事件は、速度が起こしたのか?
弾丸が引き起こしたのか?

(darlingひみつの日記より)

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弾丸は、右目。
速度は右目にとりのこされたものの生みだすもの。
ぼくは、速度になりたいから、
野田秀樹の演出という行為に役者という動きに嫉妬した。

◆タブンココマデ読ンデクレタ読者ッテ、
セイゼイ200人クライダト思ウンダケド。
ナンダカ急ニ書キタクナッタンデ、
長クナッタケドショウガナイト、ソノママ掲載シタンダ。
アリガトウゴザイマシタ。

この舞台がどこでやってるとか、
チケットがどうとかいうことは、
よくわからんままで掲載しちゃったんで、
もっと専門のHPで調べてください。すいません。

1998-12-04-FRI

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