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「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【編集者の談話 その2】
毎日変化するほぼ日を、どう本にまとめよう?



編集者の田中浩史さん(講談社)の
談話をひきつづきお届けいたします。
今日からは、どうやって本にまとめるかの、
きっかけや方針についての話を伺っています。
では、さっそく、どうぞ。

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【田中さんの談話 その2】


まずは、なぜ、
編集者としてこの本を作りたいと
思ったかというところから言いますけど・・・。

いちばん最初に「ほぼ日」のことを知ったのは、
ぼくは以前、立花隆さんの担当編集者でしたので、
そのつながりで、立花事務所の秘書をやっていた方から、
「糸井さんが、こんなページをやっていますよ」
と、教えていただいたんです。それで、読んでみました。

当時、坂本美雨さんの連載があったり、
「吉本隆明・まかないめし」がはじまっていまして、
1998年の12月頃だったと思います。
その時は一日に3つくらいの
コーナーが更新されるという程度で、
いまほどコンテンツも多くなかったですね。

編集者から見ると、ほぼ日もひとつの媒体ですよね?
どこかの雑誌で連載されているものを書籍にするのは、
ひとつのかたちではありますので、
「もしおもしろいものがあったら、本にしてみたいな」
とは思っていたんです。でも、当時読んだ感じでは、
そのまま本にできるようなタイプのものではないなあ、
と、感じていました。

その頃のぼくは、そんなに熱心な
「ほぼ日」の読者ではなかったので、
週に一度くらい読んで、
「こういう風になっているのねー」
と、思っていた程度でした。
98年の終わり頃は、今と違って、
週1でも、ついていけていたんです。

そうこうするうちに時が経っていって、
見ればみるほどコンテンツも増えてきて、
ぼくがいちばんおもしろいと思って読んでいる
「ダーリンコラム」が充実してきました。

最初に読みはじめた頃は、ぼくも、
糸井さんが、どうして、この、
「ほぼ日」のようなことをはじめたのかを、
まったく知らなかったですよ。
でも、コラムを読んでいるうちに、
糸井さんは、こういうことを考える人だったんだ、
真剣に「ほぼ日」で何かを作っていきたいんだなあ、
というのがわかってきて、おもしろかったんです。

こういう言い方をすると、
糸井さん自体は嫌がるとは思うんですけど、
糸井さんは、ある種の成功者ですよね?
その糸井さんが、そういう成功を一度ご破算にして、
50歳を超えてから、まったく新しいことをはじめる、
しかも、それが大真面目にやっている、ということが、
すごくおもしろいものに、ぼくには見えました。

だったら、「ほぼ日」から、本を出すのなら、
コンテンツのひとつを取り出すというよりは、
そのまま本にしたい、という・・・。
そう思うまでには、最初にほぼ日を読んでから、
既に、1年くらい経っていたと思いますけど。
それで、糸井さんに、出版のお話をしにいきました。

ぼくは、
まったくのゼロからはじまった「ほぼ日」が、
なんか、グワグワグワッと増殖していくような
イメージを、前面に、出したかったんです。
それをするには、時系列で編集された本にするのが、
いちばんいいんだろうなあ、と思いました。

そういうことをするために、
ほんとうにベストなのは、それをすべて
糸井さんご本人に思い出してもらって書いてもらう、
ということなんですけれども、実際問題としては、
どう考えても、糸井さんは忙しいので、
そんなにたくさん本にかけるだけの時間がない。

だから、ダーリンコラムはコラムとしておいて、
それ以外の、ほぼ日の実際の動きは、関係者のかたに
いろいろとインタビューをするなどして、
入れ子構造にしていけば、いいんじゃないかなあ・・・
そう思って、編集はスタートしました。

具体的なほぼ日創刊までの動きを、
まずは、「アッキイさん」や「ひょんさん」や、
最初からいるスタッフの方々といった、詳しい方に
伺っていまして・・・それはいいんですけど、
取材を文字にしていくのが、なかなか難航しまして。

それと、ドキュメントにするのなら最後に
どういうところを持っていこうか、というのも、
非常に難しいものでした。
「ほぼ日」は、ずっと続いているものですから。

ふつうだと、「何かをした」というかたちがあって、
本は、できますよね?
松永真理さんの『iモード事件』にしても、
iモードを成功させて退社するまで、というのが、
ひとつのストーリーじゃないですか。
そのストーリーを、どう描くかが、見えなかったんです。

「SHALL WE DANCE?」をアメリカに持っていって、
版権交渉をやった、という話の
ドキュメンタリー本があるのですが、
それは、時系列でできていて、
どうやって交渉をしていったのか、
の、細かいことも描いてありました。
そういうようなおもしろさがいいなあという
イメージを、ぼくとしては持ってはいたのですが、
版権交渉にしても、結局は、おわりのある物語なんです。

今回の本には、そういう意味では、
話題としておわりがないものだし・・・。
ほぼ日はまだまだ続くわけだけど、
どこかで切らないと本が完成しない
という、
そこでどうするのかは、非常に悩みました。

ですので、最初は
ほぼ日の2周年の頃までのところで
出版をしようと思っていて、そのつもりで
取材をさせていただきましたが・・・それはできなくて。
本としては、どういう終わりかたがいいのだろう?
と思ううちに、のびのびになっちゃっていました。

そうこうしていながら、毎日のほぼ日を読んでいると、
2000年の夏くらいかなあ? 何か、ちょっと、
「ほぼ日」が、変化してきた
ような気がしたんです。


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※「ほぼ日は、続いているものだし、
  その時々に増殖していくから、
  物語としてまとめるのが、難しかった」
 と田中さんはおっしゃっていましたが、
 気持ちは、なんとなく、わかります。
 いつまでも、終わらないんだもん。

 明日は、今回の話題の最後に触れた
 「2000年夏からの、ほぼ日の、変化」
 と、それが本をまとめるための導火線だった、
 というような話を、ひきつづき伺います。

 (つづく)

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2001-04-09-MON

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