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「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【著者による談話 その1】
「外からの目」と今回の本の関係について。


今回から、
「ほぼ日の本」の作られ方だとか、
「こう読んでもらいたい」ということを、
著者の立場で、darlingに話してもらいました。
まずは、この本が、どう書かれたのか、です。

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【著者darlingによる談話 その1】

ぼくは最初、自分たちのことが
「外からどう見えるのか」が知りたくて、
この本を出しましょうと言っていたんですよ。
前に、NHKの「未来潮流」で
ほぼ日の特集をやっていただいた時も同じです。
早い話が、鏡で自分たちを見たかったんです。
よく言う、原寸大の自分たちを知りたいってことで。

「未来潮流」の時は、テレビのスタッフに、
とにかく、ありのままをぜんぶ見てもらって、
それを表現をしてください、
とお願いして、そうしてもらえました。

欠点を含めて、
「外からの目で自分たちを見られる」というのは、
すごく幸せなことだと思ったんです。
今回の本を作るスタートも、
そんなつもりでやっていました。
いま総裁選とかやってるけど、
政治なんかの場合だと、
足ひっぱるために相手を批判する
ってことが多いじゃない。
「ためにする」っていう世界は大嫌いなんだけど、
「ためにする」じゃない批判はやっぱり必要なんです。
外部の人に、内に入って見てもらったら、
自分たちのいいところ悪いところが見えるでしょう。
そういうのが、自分でも読みたかったんです。

やっぱり、自分のことというのは、
いくら嘘をつかないつもりでいても、
照れもあるし、見栄もあるし、
わざとクールにするというようなことを、
無意識に、やっちゃうんですよ。
そういうことをやらないで、
(2000年の春の時期から)
第三者の目みたいなものを入れて
自分たちのやってることを表現した本があったら、
それは、ぼくらにとっても、読み手にとっても、
これから何かものごとをやっていくうえでの
大きな資料になると思いました。

スタートはゼロからだったし、
自分たちには、直そうと思えば
いくらでも直すところがあるわけです。
その直すところを探すためにも、
「外部からの取材のかたち」
で本を出すのは、
すごくいいなあと考えていました。
近いところに、取材者がいる。
それは、長いことぼくらを観察しているから、
ぼくらも本性を見せていくしかないってことになる。
それに、観客のいるところのほうが、
いい試合ができるじゃない?

考えてみれば、ぜいたくなことですよね。

でも、それがうまくいかなくて、
やりかたを途中で変更した
のは、
何でだろうかなあ?

確かに、いままでの取材本だったら
順番に碁石を置いていって、
こういうふうに勝ちました、だとか、
将棋で言ったら、詰め将棋のように、
これがこういうふうにこうなったら
こうなった、とか、順を追って
ロジカルに説明をできるようなことが
多かったと思うんですよ。

企業の歴史とかを書く時には、
だいたいが、あとから書くので、
終わってから、成功から逆算して
ものごとを見ることができる
んですよね。
でも、今回の場合は、着地点があって、
そこから書くわけではないんですよ。

ですから、途中に起きているいろんなことの
何がキーポイントになるのかだとか、
何がおもしろいことを起こしそうなのかとか、
ポテンシャルがボコボコボコボコ、
メタンガスみたいに飛び出すその瞬間を、
『あとへのつながり』として、
それから、『前からのつながり』として、
両方の意味としてとらえないと、
まとめられないんですよ。

それは、ぼくら自身にもできないような
難しいことで、それを外側から
ときどき取材をしてやりきるというのは、
ちょっと、むつかしいんですよね・・・。
外にいるライターが、ここ(ほぼ日)の考え方を
ぜんぶわかって、なおかつ、ここの偶然もわかって、
なおかつ、先の社会はどうなるんだろう?という
漠然とした絵のイメージがあって、
それがぜんぶないと、書ききれないと思うんですよ。
価値観が変っていくというときの物語だから。

だから、その意味で
このまま外部からの視点でまとめようとしても、
答えは見えないし、問題さえも見えないうちに
終わってしまうというところでしたので、
外部の取材者による第1稿の構成が出たところで、
原稿に、ぼくが手を入れ直すというか
もういちどプレイヤー自身が解説をするとか、
そういうことが必要になったんですよね。

つまり、書類にはしていないけれども、
なぜこういうことを考えていたのか、
重要に思っているか、とか、
そういうところを埋める仕事を、したんです。


自宅で『ほぼ日の本』にかかりっきりになっていた時は、
そういうことをしていたってわけです。
人に任せないで自分ひとりで
最初から書いていたらうまくいったかというと、
自分ひとりなら、最初からそこまで
やらなかったと思います。

こんなことがあったんですよね、という
ワイヤーフレームを作ってもらって、
そこに、
肉の質感だとか表面だとかをつけていったり、
どっちのほうに向かっていくかを
提示するというかたちで、
コラボレーション
として作っていくという
やりかたをしたんですね。

ぼくが、もしひとりでやっていたとしたら、
まだ入れていない部分が山ほどあることに
なっていたと思います。

「当時は見えないままだったけど、
 ここのところが大事に思っていたんだよ」
というのは、あとから書いたから書けたけど、
最初から書いていたら、
「これ、要らないな」と抜かしちゃったと思う。

その意味では、やっぱり、外からの目で
ある程度土台になるものを作ってもらって、
それをぼくが、建築にしていくというような。
いわば曲のあるところに
詩を載せていくというか・・・。
そういう方法でやったのが、結果、よかったです。

あとで僕自身が読んでおもしろかったですから、
よかったなあと思います。


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このつづきで、本をまとめたあとの気持ちや、
本が出る節目のいま、darlingの思うことが、
次回以降の談話になってゆきます。
おたのしみに!

(つづきます)

2001-04-13-FRI

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