1101
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【見本読み その2】
「最初はダメ話」を集める。



初心の気持ちではじまった立ち読みです。
毎日、少しずつ、これから発売される
『ほぼ日』の本を、ここで見本として読めますよ。
第2回目は、疲れたなあ、と感じる時に、
どういうことを思い出すのか、という話題ですよ!

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【「最初はダメ話」を集める】


一見すると順調なスタートを切った『ほぼ日』だが、
だれもやったことのない世界だけに、
「えらいこと始めちゃったなあ」
という気持ちももちろんあった。

ふだんは仕事をしているのに夢中で
そんなことは忘れているのだが、ふとしたはずみに
弱気の虫が頭をもたげてくるのだ。
なんだか、ダメだ。無力だ。疲れた。苦しい。

そういう気持ちになった時には、
先人たちの経験を知っているだけで、
ずいぶん励まされる。

ぼくは、
「最初はダメだったんだよ」
という話をする人が大好きだった。

とくに自分が聞いてうれしかったのが、
偶然のようにお会いした
「ぴあ」の社長の矢内廣さんから聞いた話だ。

「ぴあ」は四畳半の
安アパートの一室からスタートしたという。
スタートした当初、まったく雑誌が売れず、
四畳半の部屋は返品の山で埋まり、
寝るためのスペースもなかったという。 

自分が精魂傾けてつくった雑誌が
読まれないのがくやしい矢内さんは、
バイトの学生と一緒に雑誌を背負い、
山手線や地下鉄の電車の網棚に置いていった。
四畳半の部屋に寝るスペースを確保することと、
宣伝にもなるという
一石二鳥の策だったのだそうだ。
買われなくもいい、買われもしないし
読まれもしないよりは、ずっといい、と言う。
少ない資金でバイトの学生に
まともに給料を払えずずいぶんつらかったらしい。

あまりにも辛い毎日だったので、
深酒をしないと眠れない。
酒代にも事欠いていたが、
飯代で安酒を買って飲んでいたものだから
栄養失調で入院したこともあった。

ぴあが軌道に乗るようになったのは、
創刊四年目に紀伊國屋書店の田辺茂一さんから
応援してもらえるようになったからだ。
創刊から四年か、短くないなぁ。

ぼくは矢内さんの話を聞いたとき、
「俺はまだラクじゃないか」と心強かった。
四年もガマンできる自信はなかったが、
いまでもメシくらいは食えていたし、
初期のぴあと比べれば、
『ほぼ日』のほうが育つ速度もはやいと思えたからだ。
もちろん、「ぴあ」はその後、ちゃんとうまくいったし、
「ほぼ日」は別に成功もしていないのだから、
比べても仕方ないんだけれどね。
『栄養失調』とか『電車の網棚』とか
『四年』というようなキイワードは、
まじないのように、ぼくらを元気づけてもくれたものだ。

いい店にはかならずサクセス・ストーリーがある。

志のある寿司職人が独立すると、
最初は仕入れたネタを毎日捨てざるを得ない。
その日の朝に仕入れたネタの量と客足が
なかなか一致しないからだ。

朝に仕入れたネタは、
活きのいいその日のうちに使わねばならない。
翌日はネタの活きのよさが失われてしまうからだ。

もし翌日も前日のネタで握ったりすると、
いい客の足は遠のく。

いい店の寿司職人は、泣きの涙で
その日の朝に仕入れたネタを捨て、
翌朝も豊かとは言えない
財布の金で新たな活きのいいネタを仕入れる。
そうした苦労を積み重ねた店が、
いい店といわれるようになる。

ぼくのよく行っていた寿司屋もそうだった。
「最初はランチをやりましてねぇ。
 昼のランチを八百円で出したときは大入りなのですが、
 夜はさっぱりお客が来てくれないものなんです。
 幸い、『ネタを仕入れるのにけちってはいけない』と
 女房がいってくれたので・・・」
いい夫婦なのである。
そういう時期を過ごしてきたのである。

ぼくはこうした話を聞くのが、
どうも趣味的に好きなのかもしれない。
なんだか、特別に
こういう話を集めたがっていたもの。


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(見本読みは、明日につづきます。
 明日からは、ほぼ日創刊前の話になるよ)

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2001-04-09-MON

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