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【見本読み その3】
クリエイターの
「まかないめし」を提供してもらおう



さあっ。見本読みの第3回目です。

今回からは、しばらく、
本屋で目をとめてぱらぱら眺め読んだあとに、
1ページずつの真剣な立ち読みに入っていくように、
第2章「とにもかくにもはじまった」の冒頭から、
続きものとして、お届けしていきますよ。

では、さっそく、だうぞ。

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【クリエイターの「まかないめし」を提供してもらおう】

ぼくにとって新しい仕事の方法論、それが、
「インターネットという手段で、自前のメディアを持つ」
ということだった。

自前のメディアを持てば、
クリエイティブという目に見えにくい仕事に
「場」をつくってやることができると思ったのだ。

クリエイティブがダンピング(安売り競争)によって
衰弱させられているという現実は、
制作ディレクターやデザイナー、ライター等
ものをつくる人間みんなが肌身に感じていることだ。

たとえば広告のコンペティション(入札競争)では
死屍累累の山が築かれ、作品そのもの優劣よりも
他の要素で勝ったり負けたりすることも増えてきた。

どんなに知恵をしぼって考えても決定の理由が、
スポンサーの好きなタレントを起用することだったり、
ほかよりも低予算ということだったりする。
広告制作ディレクターや
デザイナーの不満は大きく蓄積することになる。
仕事にあぶれたクリエーターばかりでなく、
意に染まぬ仕事を次々にさせられている実感を持つ
忙しいクリエーターも、相当に疲れている。
ときどき、仕事の合間の雑談で話していると、
みんな似たような希望のなさを
感じていることがよくわかった。
「走れば走るほど暗くなって、先はどうなるんだ?」
という状況だ。

しかし、こうした現実の中でも、
「あえてタダでもやりたいことをやりたい」
と考え実践するクリエイターが
少なからずいることだった。
古い職人的な考え方なのかもしれないけれど、
「思いっきり、仕事がしたい」という欲望は、
実力のある人ほど強く持っている。
ぼく自身、いままでにやってきた仕事のうちの相当量は、
ただでもやります、
という姿勢でやったものだったりする。
そういう職人的な考えが、
いまの時代に有効だとは言えないのだけれど、
まず動機ありき、という姿勢はとても大事だ。
やりたいことがやれない、という状況のなかで、
みんなが疲弊してきているのは、
ちょっと業界を知っている人なら、
よく知っているだろう。

そんなとき、情報の発信者と受け手が、
既成のメディアを通さずに
直接向きあうインターネットは、
とんでもない可能性を秘めているように思えた。

クリエイティブな仕事をする人間が
自らのメディアを持ち、
直接受け手に届けられるというのは
かつてないことだった。
そのうえ、あえてタダでも
やりたいことをやりたいというクリエイターたちが
現実に存在していたら、なんでもできそうだ。
文化祭のような構造で、
遊びか仕事かという区別のつかない楽しさで
何かをつくっていくことが、
インターネットなら可能かもしれない。
「クリエイティブが主体となった
 新しいメディアとしてインターネットがつかえそうだ」
と、ぼくは思った。

ホームページと言われる「場」は、案外、
いままでのマスメディアとは
別の意味を持つ大きなメディアになれるかもしれない。

もちろんメディアとしてのホームページが成立するには、
ある程度は、読者のマスとしてのかたまりが必要だろう。
少数だけを相手にする
同人雑誌のようなものをつくっても発展性はない。
「どこまで開いているか」が意識されていなければ、
趣味のホームページ以上のものにはなれないだろう。
執筆者も読者もいろいろな人がかかわり、
いままでの領域や分類にあてはまらないような
カオスができる必要があるだろう。
その中から、きっと新しい
いままでに見たことのないものが
つくられていくのではないか。
もともと、ぼくは、整理しきれないものが好みだったし。

ぼくはビジネスマンやOL、
学生、家庭の主婦、フリーター、女子高生、
定年退職し暇をもてあましている元気なお年寄りなど
さまざまな人々が通りかかる繁華街、
銀座通りのようなホームページを
つくりたいと思うようになった。

銀座を固定的にイメージしなくても、
帰宅途中にふらりと立ち寄れる
コンビニのようなホームページをつくればいい。
チャーミングな商品=コンテンツを棚に置いて、
手軽に手にとってもらえるようになれば、
お気楽なメディアになる。
時には、人を寄せ付けないくらい
難しいコンテンツがあっても、かまわないだろう。
それはそれで、
「なんだか、すごいものがあるなぁ」
という印象で、店のイメージを
謎めかせる効果があったりもするだろうし。

「コンテンツはいくらでもある」
と不思議な自信を持っていた。

なんといっても、タダでも
自分のやりたいことをやりたいという
クリエイターたちが、ぼくの周囲にも存在していた。
そうした人たちに、
自分たちの「まかないめし」を提供してもらえばいい。
 まかないめしとは、料理店やレストランの料理人が、
仕事の合間に作る従業員用の食事のことだ。
客に出す料理には使えないけれど、
質のいい食材で手早くつくるけど、おいしいうえに
栄養バランスもちゃんと考えられていたりするる。
まかないめしが店のメニューに載ることはないが、
客にとっても、けっこううらやましい料理なのである。
いまでは食通の好物とかいわれている
「平目の縁側」や「鮪の中落ち」も、
もともと客に出すものではなかった。
それも、まかないめしの一種だ。

クリエイティブ仕事にも、
まかないめしみたいなものは少なくない。
ピカソの春画だって、
ある種のまかないめしだろうし、
小説家がまだ書いてない小説について
友人に熱く語ることがあったら、それもまかないめしだ。
まかないめしの中には、
自分のほんとにやりたいことや、
実力というようなものが秘められているのだと、
ぼくは思っている。

もちろん読者や視聴者も、
そうしたまかないめしを見たがる人は多いだろう。

ホームページを作った経験はないけれど、
遊び場をつくることなら、
ぼくはかなりの経験を持っていた。
メディアで遊ぶノウハウは、
週刊文春で連載していた「萬流コピー塾」や
もうなくなってしまったけれど
雑誌『ビックリハウス』に連載していた
「ヘンタイよいこ新聞」などの
読者参加型の企画でかなり鍛えられていた。
はじめさえすれば、おもしろいものはつくれるだろう。
場もつくれるし、書き手もきっといるはずだ。
そこまでは、考えられるようになった。
もし、誰もいなくても、
いざとなったらひとりでもやれそうじゃないか。

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(明日のものに、つづきます)

2001-04-10-TUE

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