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「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【見本読み その6】
空中ジーンズ工場。


 ではーーーー!!!! 
 さっそく、今日の見本読みに入りましょう。
 前回に、darling糸井重里が、タダでも人が
 一所懸命に働く場所を探しにいった続きです。
 あるジーンズ好きの人たちにコンタクトしたんだ。

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【空中ジーンズ工場】

一方、のちに「空中ジーンズ」と呼ぶことになる
いくつかのジーンズ関係のサイトを発見したのも、
同じ時期だった。

ネット上で「ジーンズ」という言葉を検索したら
「Real Jeans」
というホームページに行きあたった。
「Real Jeans」は
軒信治さんという茨城県在住の事務職の人が
つくっているホームページで、
ジーンズに関する愛情あふれる知識が満載されていた。

カネばかりかけた企業のホームページに
少しも魅力を感じていなかったぼくは、
「ひとりの個人ができること」を
たっぷり見せてくれた軒さんに強いシンパシーを感じた。

職業は別にあってお給料をもらっている軒さんが、
仕事をしっかりやった上で、さらに
これだけのホームページをつくっているということは、
やはりまた「素晴らしい只働き」だ。
これを見たぼくは、「退社後のパワー」とか
「放課後のパワー」という言葉を思いついた。

「とても楽しく拝見しました。
 これからの世の中は、放課後と帰社後のパワーが
 動かしていくのだと思っています。
 がんばってください」

ぼくは浮かれて、軒さんのホームぺージに
応援メッセージを送った。
見ず知らずの人にメールを送るのは
勇気のいることだったが、
ぼくのようないい年をしたおっさんだって、
応援しているのだということを、
伝えておきたかったのだ。

この感じは、オートバイでツーリングに出たときに、
行き道のライダーと帰り道のライダーが、
見ず知らずでありながら互いに
ピースサインを指でつくって挨拶する感覚に近い。
おお仲間よ、ってな感じだ。

軒さんの「Real Jeans」は、
同じジーンズ好きの渡辺益弘さんが主宰する
「Rare Rare Club」(RRC)
というホームページと、島本康孝さんの主宰する
「Ray Design Units」(RDU)
というホームページに相互リンクが張られていた。

そして、この3人はRRRという
ネットワーク・チームを結成して、
インターネットのうえで
「自分たちの理想のオリジナルジーンズをつくろう」
としていたのだった。

いずれも多くのアクセスのある人気サイトで、
RDUの掲示板を媒介にRRRは事実上
ジーンズ好きのコミュニティと化していたが、
そのいわば三巨頭
(なんて言い方はかえって嫌がられるだろうな)が
お互いの顔も見ないままメーリングリストを使って
討論を重ね、現実のジーンズをつくる。
おもしろいなぁ、とぼくはわくわくした。

軒さんと渡辺さん、島本さんの三人のホームページに、
この企画を持ち込んだのは
「Ark」というホームページを持つ
ジーンズ縫製工場の昼田清文さんだった。
リアルな商品を作っているプロのジーンズ好きの
昼田さんも、もっといい商品を開発するには、
とにかく知恵と情熱をインターネット上で集めるべきだ、
と考えたのだ。

「あなたのジーンズを
 つくらせてくださらないでしょうか。
 もちろん無料です。もし、よろしければ
 感想などをレポートしていただければ幸いです」

昼田さんが送ったメールをきっかけに、
自分たちで最高のオリジナル・ジーンズをつくろうと、
ネット上で四人のやりとりが始まり、
「RRR(トリプル.アール)」
というサイトがスタートしたのが、九七年の七月だった。

渡辺さんは福岡県に住むプログラマー、
島本さんは栃木県居住の家電デザイナー、
昼田さんは岡山県のジーンズ縫製工場主というように
職業も住むところもてんでんばらばらだが、
ジーンズ好きという一点が共通していた。
彼らは結局一回も直接顔を合わせずに、
ネット上で情報を交換して、
五ヵ月後の九八年一月にオリジナル・ジーンズ
「RRRジーンズ」という夢の商品をを生み出したのである。

軒さんや昼田さんらのやりとりは
RRRの掲示板で行われていたから、
アクセスしてきたジーンズ好きなら
誰でも見ることが可能だった。
どんなジーンズができるのかを逐次確認できたから、
受注の受け付けがはじまると
すかさずメールで注文してきた人がたくさんいた。

「いつか来ると思っていた未来が、
 もう来ているのではないか」

ぼくは目を見張った。
そのうち、こういうことが起こるだろう、では遅すぎる。
もう、未来ははじまっているのだ。

製品をつくる、ということは、
かつては「企業」の仕事だった。
それを売るということを前提にすれば、
「商品」といったほうがいいかもしれないが、
自分やその仲間たちで
消費するためにつくる場合もあるから、
必ずしも商品とは呼べないかもしれない。

しかし、モノをつくるということが、
工場をもちそこで働く労働力を確保したうえで
なければできないものではなくなっている。

そのいちばんいい例が、ゲーム機やコンピュータ用の
「ソフト」という生産物だ。
いわゆる原材料費は、ほとんどかからない。
必要なのは、誰でもがふつうに買えるパソコンと
コンピュータのスキルだけだ。
これに、優れた「アイディア」とか
「クリエイティブ」という要素が加わっていれば、
大企業が生み出す商品と競争しても負けないだけの
市場や利益さえも手に入れることができる。

生産手段は借り物でもかまわないし、
極論すれば事業計画さえも不要であったりす
る。工業社会型の、生産を軸にした考え方が、
だんだん無効になってきている。

いちばん大事なのは、
買い手の存在「市場」だという時代が、
とっくにはじまっているのだ。
もちろん、鉄鋼だとか、自動車だとかは、
生産手段を持ってないと難しいのでしょうけれどね。
「ソフト」の生産は、認可が必要であったり、
大資本が不可欠というものでない以上、
市場を持っていてそこにアイディアや
クリエイティブという付加価値
(というよりは、これこそが根源的な価値でしょう)を
付けられる人なら、誰でもモノをつくり
ビジネスをはじめることが可能だ。

しかし、従来の生産手段を持った企業のほうは、
そういう流れがじぶんたちの身にあわなくなって
苦しんでいた。

市場の規模も見えにくいし、
市場になにがフィットするのかもわからない。
なのに、生産はできる体制を持っているし、
おおぜいの労働力を抱えているのだから
利益を出していかなくてはいけない。

『売れなくてもいいものなら、
 企業はいくらでもつくることができる!』
これが、このころから
現在にいたる企業のすがただと、ぼくは思う。
市場が見えなければ正確な生産計画も立てられないし、
開発に時間をかけることもできない。
とくに九〇年代後半に入ってからは、
気まぐれな消費者の動向を調査しては
後追いし、ますます自分たちが
なにをどうつくるのかが
わからなくなっているように見えた。

売りたい側、生産の現場にかかわる人は、
日々の仕事に追われて消費に
「時間コスト」をかけられない。
社会を引っ張っていく立場の人が、
消費にかかわれないまま生産しているのだから、
人々が何をよしとし、何を無視しているか
自分で判断しようがない。

一方、消費の最前線にいるのは、
もっぱら消費に「時間コスト」を
たっぷりとかけられる高校生や大学生、
フリーターといった人たちだ。
彼らや彼女らによって、安くてちょっと目立つという、
いままでの価値観からすると
チープといわれているような商品が、
次々に買っては捨てられていく。

しかし、世の中には自分の気に入った商品なら、
ちょっと高価でも手に入れたいと望む人が確実にいる。
十万、二十万という単位で大量に売れなくても、
ある程度の小さな市場を前提として
それに見合ったコストを投下した商品も、
ほんとうは成立するはずなのだ。

ぼくは以前からそんなことを考えていたのだが、
四人がつくったオリジナルジーンズ
「RRRジーンズ」はまさにそのひな形だった。
消費する側が生産にかかわり、
ある程度の量がはけるという見通しが立てられれば、
生産者はよりよいものを安心して生産できる。
消費する側も自分の好みにぴったりとあったものが
入手できてうれしい。

インターネットは消費者が生産にかかわるためには、
とても有効な手段だ。生産者も
消費者の意向をきちんと受けとめられる場として
活用できる。
なによりも、市場のほうから、
こういうものがほしいと言ってくれるのだから、
それに合わせて生産手段を稼働させるだけでいい。

この「RRRジーンズ」の試みは、
数百という単位の製品を日本の市場に
配っただけだったかもしれないけれど、
ここにあった動機やシステムは、
その後の時代を予感させるものだったと、
ぼくは考えた。

さらにぼくは、彼らの活動に、
これから自分が始めようとしているホームページの
可能性を見たように思った。

その後、ぼくは彼らとコンタクトをとり、
彼らのジーンズがつくられていくまでの道のりを、
単行本として出版してみないかと話した。
4人は快諾してくれて、
やがて、その本は筑摩書房から出版されることになった。
タイトルは『空中ジーンズ工場』。

爆発的に売れることもなかったけれど、
ある時代の変わり目の記録として、それなりに
大きな意義のあるプロデュースができたように思う。
特に、バーチャルとリアルをセットにして
ものごとを考えたりする実験としては、
その後のネットバブルの時代を経て、
いまこの本はあらためて
示唆に富んだものになっていると思う。

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見本読みは、明日にもつづくよーーー。

2001-04-13-FRI

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