1101
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【見本読み その7】
いまさらインターネット?

見本読みの第7回目は、
インターネットについて書いた、
ぜひいちど読んでもらいたいものになりました。

----------------------------------------

【いまさらインターネット?】

インターネットが、
いままでの社会では実現できなかったことを、
次々に実験的という程度ではあっても現実化している。
そういう事実のひとつひとつが、
ぼくには、いちいち新鮮だった。
毎日、そのことを考えるのが
たのしくてしかたなかったし、
知るための時間はどんどん増えていって
寝る時間が少なくなっていった。

これは仕事だと、自分に言い訳しながら
毎晩睡魔と戦争をしているような状態になっていた。
おいおい、
オレはこんなに仕事好きだったのかい?

熱心にインターネットや
新しい社会のことを知りたがっている自分に、
驚きがあった。

ぼくはそのころ、
友人や知人に会うたび口角泡を飛ばして
インターネットのすばらしさを語っていた。
「いつのことかはわからないけれど、
 自分でも真剣にホームページをつくる」
というと、カンのいい友人は
「おもしろいね」と言ってくれた。

しかし、おおかたは、
「ふーん。大丈夫なのか?」
というものだった。

他人のことだから、誰も反対はしない。
しかし、ぼくがいままで生きてきた分野と
インターネットは遠すぎるように見えたろうし、
なにより、ぼくのいままでの信用や技術のストックが
役に立たなそうに見えることは、
自分にだって不安に思えた。
「うまくいくわけがないよ」
というムードで話を聞いている人のほうが、
ある意味で正しかったと思う。

それでも、けっこうつらかったのは、
コンピュータやインターネットに
詳しいというプロやセミプロたちの反応だった。
「もう、インターネットの
 ビジネスは出尽くしている」という考えや、
「ぼくは、もうネットには飽き飽きしている」
というような感想が多かった。

趣味でやろうとしているから気楽にいえるのだ、
ビジネスとして成り立たせていくことの
難しさがわかっているのか、という
軽い反感もあったかもしれない。

「お前の考えていることは、
 すでにみんなが考えて、
 みんなが失敗したことだ。
 周回遅れの素人ランナーを志願しているのか?」
と冷たくあしらわれているようにも思えた。
ぼくの素人っぽい熱気が、かえって周囲の人々を
クールにしてしまったのかもしれない。
そのつど、
ぼくは若者のように落ちこんで、夜中になると
「オレだけはちがう」という理屈を生み出そうと
コンピュータの前でじたばたした。

たしかに日本でもインターネット上の
バーチャル・ショップ(仮想店舗)や
バーチャル・モール(仮想商店街)が
九五年後半から急増したが、
ぼくには、とてもすごいものには思えなかった。
各テナントが、
「これでは売れない」と気づいてしまったら、
次はどうすることもできないのではないか。
こういうことじゃない。
インターネットが、
省エネでモノを売る手段になるという発想は、
売り手の希望的な思い込みなんじゃないか?

それでも、そのころの日本は、
アメリカのネット好況に刺激されて、
インターネットという言葉が
ビジネスのおまじないのように
あふれ出してきていた。

だが、ビジネスの世界で
話題になっている成功例は、
会社立ち上げに関わる創業者利益や、
インターネット景気というものへの
お祭り的なお囃子ばかりのように聞こえるのだった。

ぼく自身ははじめから、ホームページを
片手間でやるつもりはなかった。

クリエイティブがイニシアチブを握る
新たなメディアをつくるなんて言ったって、
見たこともないのだから困難に決まっている。
だからこそ、ぼくの仕事の重心を
すっかりホームページづくりに
移さなければならない。

さらに資金面や人材面などの手当ては、
フリーで身勝手に生きてきたぼくが、
いままでは考えないできた問題だ。
苦しいだろうという実感さえもてないくらい、
遠い感覚だった。
いやだなぁと思うのは、
そのあたりがいちばんだった。

ただ、ぼくが多くの人を引きつける
魅力あるホームページづくりができないとは
思わなかった。それは、
「できるまでやめなければ、できる」と考えられた。
いままでの仕事だって、いつもそうだったのだ。
できないというところでやめなければ、できるのだ。
野球は9回の表裏で終わりと決まっているけれど、
現実の仕事は答えが出なければ
他人が眠っている時間まで試合を
続行していてもかまわないのだ。
早朝になった15回の裏に、
逆転のアイディアがホームランのように生まれたら、
そこで勝ちなのだ。
そのあたりの自信は、経験のおかげだったのだろう。

しかし、ビジネスとして
成り立たせる方法は、わからない。
わからないことをわかるまで考えても、
前に進まないから、
これはやりながら考えようと言う気持ちだった。
場として一定の軌道に乗ったあとで考えればよい、
と思っていたのだが、おかげで、
いまでもこの問題には頭を悩ませている。

当時、日本のネット人口は一千万人といわれていた。
日本の人口からすると、
まだ母数が決定的に少ない段階だった。
誰も三千万、四千万と母数が飛躍的に増えたときの
イメージを持てずにいたようだった。
いわゆる右肩上がりにネット人口が増えても、
そこに関わるビジネスや市場のイメージが、
そのグラフと平行に進むとは考えにくい。

ネット・ビジネスに関する
書籍や雑誌記事などを読んだり、
その筋の専門家の話にも耳を傾けたが、
解答は見えてこなかった。

インターネットが、
ビジネスマンやコンピュータに
詳しい理科系の人々のものに限られているうちは、
将来の姿をイメージするのは難しい。
だが、すぐに、インターネットやメールの利便性や
快適さを女性やパソコンと縁遠かった
若者、老人も知ることになるだろう。

そうなったとき、社会は
大きく変わるにちがいないという予感があった。
だって後から
インターネットにつながってくる人々のほうが、
ずっと数もおおいのだし、
そっちのほうが、ぼくの知っている人々なのだ。

ただ、それがどんな変化なのかは、
正直に言って、ぼくによくはわかっていない。

どちらにしても、
インターネットだろうがなんだろうが、人間が使う道具だ。
人間のほうがとてつもない変化をするはずはないのだから、
そっちをじっと見つめていれば、
なにかがわかってくるのだろうとは思っている。


--------------------------------------------

(つづく)

2001-04-14-SAT

BACK
戻る