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「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【見本読み その9】
スタッフ探し。年賀状を毎日書く。

最近、ほぼ日を読みはじめた人には、
特に、ぜひ、見てもらいたい内容なんです。

毎日こんなことを言っているかもしれないけど、
今回は、とりわけ読んでもらいたいなあ・・・。

新しいスタッフと、
どういうふうに仕事をしたいと思っていたか、と、
どのようなスタンスで「ほぼ日」の中身を作るかの
おおもとのようなことが、書かれています。

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【スタッフ探し。年賀状を毎日書く】

何でもタダでやりたいとは思っていたけど、
さすがに常駐のスタッフまで
タダでしかも長期間雇う方法は思いつかなかった。
そりゃ、非常識というものだ。
タダで、ということから発想はするけれど、
ほんとうにタダってことはありえないくらい、
わかってはいたのだ。念のため。

自前のスタッフを組まねばならないのは明らかだった。

ぼく自身は、パソコンを購入して
まだ二ヵ月もたたない初心者で、
ホームページをつくる際の
ウェブ言語HTMLなどに関してまったく知らない。
企画の設定、著者とのやりとり、さらに編集作業、
日々の更新作業をひとりでやるなんて、
技術的にも物理的にも絶対無理だった。

もともと糸井事務所には
ふたりの女性スタッフがいた。
彼女たちにもホームページづくりに
参加してもらうにしても、
やったことのない仕事なのだから
スムーズにいくわけがない。
それにいままでの仕事の
マネージメントもやってもらう必要がある。
おそらく、アルバイトだけで
やりくりするのは無理だろう、と踏んでいた。

新たなスタッフの条件は、
なかなか思いつかなかった。
どういう人が必要なのかについては、
やりたいことをきちんと
把握していなければわかるものではない。
ただ、漠然とふたつのことを考えた。
それに、どういう人が必要だと言ったからといって、
そういう人がいなければどうしょうもない。
そして考えたことは、じつにつまらないことだった。

ひとつは自宅から通勤している人がいいということ。
理由は単純で、給料を払えなくなるような
事態に陥る可能性もあるため、
食うことと住むことが確保されているほうが
安心だということだ。

もうひとつは実績がなくても、
自分からなにかをやってみたいという
意欲ある若者であることだ。
新しい場所で自分がやりたいことを見つけ、
ひとつのステップにすればよいだろう。

すでに実績のある人ばかりを
スタッフとして集めれば、
たしかにそれなりに順調なすべり出しになるだろう。
しかしそんなスタッフを集める金銭的余裕もなかったし、
それになにより、
まだ出来上がってない人が持っている
可能性に期待したかった。

結局、人を介したりして、
金澤一嘉と茂木直子という二十代のふたりに
新しくスタッフとしてきてもらうことなった。

ただ茂木は当時、
DVDロムの製作プロダクションに勤めていたし、
金澤も勤めていた出版社をやめる予定だという
話を聞いたところで
「じゃ、うちに来てみるか?」
と声はかけたものの、
彼が考えている退職の時期は
しばらくあとだった。
ぼくのほうも準備しなければならないことが
たくさんあったので、それはそれで
ちょうどいいかもしれないと思った。

いままで、自分と同年代の人たちや、
そのまた少し年下の人々と
やって来た仕事が多かったので、
一気に仕事仲間が若くなることが
とてもたのしみだった。

『ほぼ日』のコンテンツを
どうやって出していくかというイメージは、
ホームページを自分でつくろうと
決めたときから、頭の中にあった。

「糸井さんの年賀状は面白い。
 あれ。毎月出せばいいのに」
最初に浮かんだのは、知人のこの言葉だ。

ぼくは毎年の年賀状に、
その年にやりたいこと考えていることを、
新年の挨拶代わりとして
八百字程度にまとめて記していた。

たしかに年賀状の文章は
毎年力を入れて書いていた。
誰から依頼されたわけでもなく、
自分の思いのままに書ける機会なんて、思えば
年賀状くらいしかなかったのかもしれない。

だから、いつも楽しかった。
自由に書きたいことを書いているという
気分があったからこそ、受け取った人にも
おもしろいと思ってもらえるのだろう。

友人にぼくは、こんなふうに答えたと思う。
「あんなものなら毎日でも書けるよ。
 ハガキ代と印刷代がタダだったら、
 やってみるよ」
ほとんど冗談だったけれど、考えてみれば、
インターネットだったら実現可能なのだ。
いまでもぼくが毎日書いている
「今日のダーリン」は
このときの年賀状談義から発している。

ちなみに「ダーリン」というのは
インターネットをはじめてから
自分で勝手につけた「役割」名だ。
他人にダーリンと呼ばせたり、
そうやって呼ばれたりするのって、
さぞかし恥ずかしいだろうなぁと思って、
自身に命名した。

予想はしていたけれど、
ダーリンということばは、あっというまに
何の意味もない恥ずかしくもないことばに変質した。
こんにちは、ダーリンです、などと、
いまではぼくは平気で言っている。
はじめてこの呼び名を聞いた人は
不気味がることまちがいなしである。


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「ダーリン」の呼び名の秘密も、わかったでしょう?
次回につづきます。

2001-04-16-MON

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