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「ほぼ日刊イトイ新聞の本」が出るよ!

【見本読み その14】
キャラクターの誕生。



今日は、

1)「ほぼ日」のおさるがどうして生まれたのか
2)それに協力をしてくださった
  ふたりのアートディレクターのかたとの会話
3)さらに「おもしろいことがしたい欲」

この3つの内容を、主にお届けします。
『ほぼ日の本』の中でも、特にオススメしたいところです。

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【キャラクターの誕生】

『ほぼ日』のキャラクターやロゴタイプのデザイン、
ホームページのアートディレクションは、
友人のアートディレクター、
青木克憲さんと秋山具義さんに相談した。
広告制作会社「サン・アド」の青木さんと、
広告代理店「I&S」のアッキィこと秋山さんは、
最近カッコイイ広告ってどんなの?というとき、
必ず名前が出てくるような
注目の若手アートディレクターだった。
 
青山キラー通りにある
「第一神宮」で焼き肉を食べながら、
「ちょっと面白いことを考えているのだけれど、
 だまされてくれないか」
と頼んだ。

ふたりとも、ぼくの『ほぼ日』構想に
興味と関心を持ってくれ、
「だまされます。やりますよ」
と即座に返答してくれた。
 
ふたりとも、仕事として会社でやっている
仕事だけでは持て余してしまうほど、
デザイン意欲のある青年だった。
ぼくも、同じくらいの年齢のころは、
なにかおもしろい仕事が飛び込んでくることを
いつも待っていたおぼえがある。

本職は広告のコピーライターなのに、
矢沢永吉の「成りあがり」の
聞き書きと構成をやったり、
沢田研二の「TOKIO」などの作詞をしたりしていたのは、
ビジネスとしてというよりは、
「なにかおもしろいこと」にぶつかりたくて、
なんでも引き受けていたせいだった。

アッキイも、青木さんも、
それから独立して自分たちのプロダクションの
経営者になったけれど、その独立にしても、
「なにかおもしろいこと」を、
もっとやりやすくしたいという
動機があったからだと思う。
 
青木さんに『ほぼ日刊イトイ新聞』のロゴ、
アッキィにキャラクターの制作を依頼したのは、
それから数日後だった。
 
キャラクターについては、
ぼくの頭の中に
だいたいのイメージが固まっていた。
「聞くことはしゃべることより大事」
というような考えを表すキャラクターを
つくりたかったので、聞くための耳が
とてつもなく大きいおサルを考えていたのだ。
キャラクターの原型は、ぼくが
マッキントッシュを使って下手な画を描いた。 
 
その下手な画をもとに、アッキィには
耳のでかいサルの顔を何十種類も描いてもらった。
このころは、ファクシミリのやりとりが中心だった。
ぼくの自宅と、アッキイの会社の間を、
何度も何度もサルの画のファックスが往復した。
 
キャラクターは『ほぼ日』のイメージを
読者に想起させるカギとなるし、
アイコンとしても使いたかったから、
非常に重要なポイントだった。

そのときのコンセプトは、

 ・シンプルで記号性が高いこと
 ・再現性が高いこと
 ・大小プリントサイズに左右されないこと
 ・モノクロの画面でも視認性があること
 ・支持年齢層を限定しないこと

ま、いろいろ言っているけれど、
簡単でかわいい、ということだ。
 
結局完成までには一ヵ月以上も
アッキィといろいろやりとりをすることになった。
 
アッキィはその後独立し、
デイリー・フレッシュという事務所をつくった。
この事務所の名前はぼくが付けた。
オサルたちのお礼でもある。
いま現在も自分の仕事で多忙な中、
いまでも新しいコンテンツができるたびに
アイコンとして使う新パターンのサルを
描き続けてもらっている。
サルもいまでは百パターンを越えた。
 
ちなみにサルの名前は、モンキーと、
ダンボをあわせてモンボと言ってたりもしたが、
いまのところ、正式な名前はないが
別に不都合もないのでそのままにしている。
 
青木さんには、その後、ぼくが編集長を引き受けた
「インターネット博覧会」の
アートディレクションもお願いした。
 
神田生まれの江戸っ子アートディレクターふたりは、
いつでも意気に感じて仕事をする楽しさを
知っている人たちだ。
そういえば、ふたりとも、
「ほぼ日」創刊前には独身だったけれど、
そろって同じような時期に結婚したなぁ。


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(明日に、つづきます)

2001-04-21-SAT

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