(このおすすめ記事は、
ストーリーの本筋に触れないようにしています。
観劇前でもネタバレにはならないはずですので、
ご安心ください。)
野田秀樹さんが作・演出を手がける
NODA・MAPの第24回公演
『フェイクスピア』を観てきました。
約1年半ぶりの新作です。
この公演が発表されたとき、
野田さん直筆のメッセージに
いままでとは異なる期待が高まりました。
まずはどうぞお読みください。
わたしはこれを読んだとき、
野田さんがここまで
「コトバ」を強調することに、
ものすごく興味がわきました。
創ることのできない、フェイクではない、
(しかもシェイクスピアでもない)
野田さんが描きたい「コトバ」ってなんだろう。
わたしは学生のころから演劇が好きで、
この世界にはまっていくきっかけになった
演劇体験のひとつが
野田作品であり、
野田さんの書く「ことば」でした。
野田さんの書く戯曲にはいつも
いわゆる「ことば遊び」が
散りばめられています。
そのことばたちは、
きれいな一本線でつながる
‥‥わけではありません。
意味もわからず煙に巻かれたり、
ささやかなギャグに単純に笑ったり。
でも、そうやって目の前で
役者の口から飛び出していく
たっくさんのことばを浴びているうちに、
客席にいるわたしたちも
いつのまにか演劇に巻き込まれていきます。
たぶん、本を読むように
紙に印刷された活字で
野田さんの戯曲を目で追っていたら
同じようには決してならないだろうと思います。
舞台の上には視覚的な表現がたくさんあって、
ことばにならない動きや
役者それぞれの表情があります。
でも、それだけでなくて
人間の肉体を通して
音として「ことば」が届けられると
おもしろさや強烈なインパクトが
いきなりどかんとやってきます。
『フェイクスピア』にも
いまも反芻する「ことば」が
いくつもありました。
そして、野田作品のさらなる醍醐味は
「ことば」が連れていってくれるその先、だと
わたしは感じています。
野田さんの描く世界では
ふつうに日々を生活していたら
まず重ならないものたちが関わりあいます。
そのいろんなピースを結びつけているのは
やはり、野田さんの「ことば」の糸です。
「ことば」に導かれながら
重なる層をたどっていくと
核に気づく瞬間があるんです。
それはだんだんと香り、
確信に変わっていきます。
その瞬間の、
体の芯からぞくぞくと震えるような感覚は
とても表現できないものがあります。
『フェイクスピア』でも
まったく思ってもいなかった方向に
連れていかれました。
野田さんが描きたい「コトバ」が
たしかにそこにありました。
「ことば」の先で、
「コトバ」が描かれていたのです。
そういうことだったのか! と思いました。
すごい時間でした。
今回は休憩もはさまらないので
幕があいてから、カーテンコールまで
立ち止まることなく物語は進みます。
その集中した時間も、わたしはとても好きでした。
最後になってしまいましたが
主演の高橋一生さん。
舞台でそのお芝居を観たのははじめてでした。
「リアル」と「フェイク」を
するりと行き来するような存在で
ほんとうにすばらしかったです。
とんでもない作品に、
ここまでフィットするなんて。
俳優さんとしては
もちろん存じ上げていましたが
驚くくらい、よかったです。
御年79歳の同級生コンビの
橋爪功さんと白石加代子さんしかり、
今回も、舞台上で
いちばんパワフルなんじゃないかと思わせる
野田秀樹さんしかり、
(ご本人も毎回役者として出演されています)
ほかの出演者のみなさんのことも
書きだしたらきりが無いので、
ここまでにします。
ふだんはチケットが販売されると同時に
完売になることの多い
NODA・MAPの公演ですが、
補助席などが追加されたたため
これからでもまだ見られる機会はあるようです。(6/2現在)
よろしければ、ぜひ。
と終わりそうなところで、
ここまで読んでくださった方に
すこしだけ補足です。
「フェイクスピア」と聞いて
シェイクスピアはこれまでに読んだこともないし
ちょっとむずかしそう、と思った方が
もしもいらっしゃったら
なんの心配もいりません。
むしろ、なにも考えずに席にお座りください。
野田さんは、そういう出会いが
きっとお好きだと思います。