HOLAND
オランダは未来か?

 

「ホ 〜!ラント」第6回目

前回、ツバキさんが話してくれた
「スクウォット」というのが面白かったので、
調べてみようと思って本を探しました。
でも、アムステルダムの現状を説明してくれる日本の本は
チョー少ないです。
だもんで、詳しくは分らなかったんですが、
「スクウォット」にはかなり曰く
因縁があるらしいことは分りました。

「スクウォット」というのは住居の不法占拠、
つまり、持ち主にはシカトで家賃も払わず
空き家に勝手に住んでしまうことです。
詳しくは分らないんですが、アムステルダム市の公文書に
「空き家の不法な占拠は刑事罰の対象にならない」
という条文がすでにあったために、
市の行う不法占拠者への立ち退き請求が
法律的に手間のかかるものになっていたらしいです。
したがって不法占拠者から見れば
都合のいいザル法と化していたわけでしょう。
その法律の抜け道をくぐって
スクウォッティングをする人達がいたらしいんです。

しかし、そのスクウォッティングが
単なる個々のチャッカリ行為ではなく、
ひとつの社会的な「運動」として拡大したのは
1970年代から1980年代のようです。

投機のために空き家にして放置している建物群が
アムステルダムにあって、そういう所に住家のないプータロー
みたいな若いやつらがどんどん勝手に住み始めたらしい。
その運動を、当時の反体制の政治運動の思想が
後押しをしていたようです。

この時期のアムステルダムは、
反体制の労働者運動や学生運動、世界中から流れてくる
ヒッピーの連中などで大揺れに揺れていたみたいです。
アート・ポルノのジャネットが
「アムスがもっと危なかった時代」
と言っているのはたぶんこの頃のことでしょう。
日本にも同じような時代があり、
大学を占拠するという政治行動もありました。
だからスクウォッティングのそのへんの経過までは、
同じではないけれど、
似た発想のものとしてたどれる気がします。

しかし、解せないのはその後です。
そうした不法占拠運動の名残として今もスクウォッティング
しているスクウォッターたちいるわけです。
ところがアムステルダム市は、ある程度長く住んでしまった
スクウォッターには、居住を認める場合があるというのです。
こういう行政判断は日本とかなり異質な気がします。
そう思いませんか?
だってもともとは不法占拠なんですよ。

こういう行政の寛容さ、
というか不思議な物分かりの良さっていうものは、
アムステルダムに、広く言えばオランダの行政全般にも
見られる特長のようです。
そうした背景にはどんな議論が、どんな必然性が、
どんな決断があったんでしょう。
またそういう行政の寛容さは日本の未来にとって
どういう意味を持つんでしょうか。それは興味を惹きます。
でも、今のところ私にはさっぱり分りません。

分らない時は労を惜しまず知ってそうな人を尋ね歩く。
それだけが私の取り柄です。
頭が悪けりゃ足を使えってやつです。
「人間みな我が師」BY山岡荘八。

では、私が長く書いちゃったために短めですいませんが、
お縄パフォーマー・ツバキさんの
インタビューの続きをどーじょ。

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お縄パフォーマー・ツバキさんの話シリーズ6
【未来都市アムステルダム?】
(縄というのが、ツバキさんの発言です)
「こないだビデオで
アムステルダムの町を観たんですけど、
ちょっとびっくらこきましたね。あの運河!
運河のある町だとは知っていたけど、
運河だらけですね。
運河と運河の間に
街区がサンドイッチになってるみたいな映像だった」
「そう。だから運河が通りみたいで、
運河と橋の名前を言えば
だいたい場所がわかるみたいになってる」
「きちんと運河も区画されてて、
運河でできた京都みたいですよね。
あれは変わった町ですね。人工的で」

「アムステルダムの駅の裏は海で、
町は駅から放射線状に広がってるの」

「青森駅みたいですね。
裏に津軽海峡があって」

「そういう感じ。
アムステルダムは
東京に比べたら小さい都会なのよ。
繁華街は新宿と渋谷を合せたくらいの感じ。
ちょっと歩くと住宅街になっちゃう。
古い住宅街のまわりに新興の住宅街がある。
それから、
海の向こうの島には日本人村が見えるの」

「日本人村? 
日本人が島に集まってるんですか?」

「そうらしいよ。 昔、長崎に出島があって
そこにオランダ人がいたみたいに、
日本人が集まって住んでる島があるんだって」

「ほ〜! 
閉鎖的にまとまっちゃってるんですかねえ」
「そう言ってた。
『あそこには入れない』って。
だから私みたいなのは珍しがられた。
『変な日本人』だって。
アート・ポルノみたいな変なガイジンに
変な日本人って呼ばれちゃって(笑)」
「在蘭日本人は、
日本人同士で交際しちゃうのかなあ。
アムステルダムって、
ひとことで言えばどんな町ですかね?」
「う〜ん、『村っぽい』ね。
『お隣さん』っていう感覚が存在してるのよ。
東京にはなくなりつつあるけど。
村っていっても閉鎖的じゃなくて、
すごく開放感のある村っていう感じ。
ゲイもいるし、中毒者もいるし、
いろいろな人種が集まってて。
でも村っぱい人間のつながりもあって」
「ほ〜! 東京砂漠みたいじゃないんだ」
「オランダも昔は大半は農民だったわけでしょ。
で、私達日本人は島国で農民やってたんだけど、
あっちは陸続きで
他の国と戦争やりながら農民やってた。
だから住民みんなに
生命の危機感が常にあったんだと思う。
だからみんなで決めようという
風になってきたんじゃないかな。」
「なるほど。
危機感が共有されてるってことですか。
村っぽさはそういうところから
来てるのかもしれないですね。
アムステルダムって人
種のるつぼみたいじゃないですか。
人種差別もあるんですかやっぱり?
「ない。少なくとも私はアムスでは
人種差別をぜんぜん感じなかったな」
「ヨーロッパのほかの国には深刻な
人種差別があるじゃないですか。
オランダに人種差別がないのかなあ? 
驚きますねそれは」

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アムステルダムは「村っぽい」。
それはアムスの町の真ん中に、度胸よく入り込んだ
ツバキさんの率直にして鋭い感想かもしれません。

私の住んでいる東京は、日々「村っぽさ」を失っていきます。
もしアムステルダムが村っぽいとしたら、
それはアムステルダムが「昔」だからでしょうか、
それとも「未来」だからでしょうか。

そして「人種差別がない」という驚くべき印象は、
どこまでオランダの現実を表わしているんでしょうか。

謎は謎を生み、続きはすぐまた数日後。

1998-09-19-SAT

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