HOLAND
オランダは未来か?

「ホ〜!ラント」第16回目
【イアン・ケルコフ監督へのインタビュー】
第一夜:後編

イアン・ケルコフ監督への最初のインタビューの
後半全部を掲載します。
イアンさんの強烈なオランダ批判の言葉に気押されて、
私が「かなり辛口ですね」と思わず言ったあと、
イアンさんの感じがふっと変わりました。
それは、それまでのパフォーマンスの達者な
陽気な感じとはまた違った、暗く真剣な一面でした。
そして、また話し続けるうちに、
サービス精神に富んだ愉快な口調に戻ります。
その起伏のある心の幅が、
イアンさんの印象を立体的にしています。
そして、明るくても暗くても、
イアンさんは真っ正面から
歯に衣を着せずに自分の意見を語ります。
では、後編をどうぞ。

 

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イアン 「今という時代が悪いからこそ、
辛口のアーティストになる必要があるんだ。
アーティスト達は、
社会における役割を忘れてしまっている。
アーティストの仕事というのは、
『司祭』になることだ。
教会の司祭じゃなくて、魂の司祭になることだ。
もしアーティストが批判的であることをやめたら、
世界は本当にやばいことになっていると
思ったほうがいい。
アーティストにとって、
オランダには大きい危険があるんだ。
オランダには『コーオプション』という、
政府がアーティストに資金援助する制度がある。
しかし、政府に金を出してもらっていたら、
政府を批判することなんてできないだろ?
だから私は政府援助を貰うのをやめて、
東京で映画を作っているんだ。
政府のコマーシャルみたいな映画を
作りたくなかったからさ。
インディペンデントな映画を作りたかったんだ。
自分の考えが今までよりもっと、政府に対して
批判的な方へ変わってきていることに気がついた。
だったら、今までの政府から援助を貰っている
状況からは離脱するべきだろう?」
「さきほどイアンさんが言われたことが、
大変興味深いんでお聞きしたいんです。
社会というのは、一般の生活の行われている
明るい部分と、闇の部分がありますね。
オランダの社会は闇の部分を開放して、
みんな明るい部分にもってこようという政策を
取っているように思えるんですよ。
闇に隠れているものを公認していくことによって。
でもイアンさんの考えでは、
それはかえって不健全なことで、
社会が闇の部分と明るい部分に分かれているほうが    
人間の本来のあり方だと
おっしゃっている気がするんです。
そういう受け取り方でいいんでしょうか?」
イアン

「ウ〜ン。言葉の定義が違うんじゃないかな。
私が育った南アフリカの
『アンダーグラウンド(闇の部分)』は、
現在理解されているような
『アンダーグラウンド』じゃないんだ。
現在『アンダーグラウンド』っていう言葉は
『スタイル』だ。
現在使われている
『アンダーグラウンド』という言葉は、
マーケティングの手段でしかない」

「いや、私が言っているのは、
スタイルとしての
『アンダーグラウンド』じゃないんです。
例えば、ヤクザとか、麻薬中毒者とか、
仕事もしないプー太郎とか、浮浪者とか、
犯罪者とかが生きています。
日本にも、
リアル・アンダーグラウンドはあります。
それを行政が福祉政策などで、
ひとつの明るい社会にしていこうとするのが
日本や先進諸国の動きでしょう。
でも、それは余計なお世話というか、
そういうふうに一面化するのは
人間の社会の本来のあり方ではないと
イアンさんはおっしゃっているのかなと
思ったんです」

イアン

「確かにオランダは先進国ではあるさ。
なぜなら、オランダでは路面電車の料金が
安いとか、社会保障とか、
医療費を政府が持つとか、
そういう福祉の恩恵を1400万人くらいの国民が
こうむっているわけだから。
けれども、そういう制度は、
すごく残酷な植民地主義的なやり方によって
成り立っているんだ。
それはオランダだけじゃなく、
全世界的に行われてることだよ。
インドネシアやアフリカや南米の多くの人々が、
死んでいるし、死に瀕している。
彼らは1週間に1ドルにもみたないくらいの賃金で
働いているんだ。
そういう人達の犠牲によって、この世界の
経済的な不均衡が維持されているんだ。
洗練された、発展した社会であると思われている
欧米の社会は、結局白い肌の人間のことしか
考えていないんだよ。
そして、一方では貧しい国の人々に対して、
マドンナを聞いたり、ナイキの靴とか、
ヒップホップとか、
そういうのがクールだという文化を押しつけて、
文化の奴隷にしているんだ。
すごく哀しいことだ。

面白いことがあるんだ。
私が15年前にオランダに来た時には、
例えばイスラム教徒の人達はとても少なかった。
でも、ここ10年くらいで
たくさんの移民がオランダにやってきた。
知ってのとおり、オランダは彼らに対して
冷淡な政治的態度をとっている。
外国人がたくさんいなかった時には、
自由だとか平等だとか言うけれど、
いったん隣近所に
黒人が住むようになると変わるんだ(笑)。
閉鎖的になって、彼らを国から追い出そうと
みんなが言い始めるのさ。
    
オランダのメディアも面白いんだ。
私は12年間テレビを見ていないんだけど。
テレビは(と言って、イアンさんは
自分のちんちんを指差した)
精子をぶっこわすっていうからさ。
ヨーロッパやアメリカのメディアが、
自国の視聴者に向けてアジアやアフリカを
とりあげる時は、
必ず貧しい姿とか救われない様子や
災害なんかをとりあげる。
例えば日本だと、今の不況の状態とかさ。
それが白人至上主義を助長するんだよ。
白人達は、日本人が
災難にあっているのを見て喜ぶわけさ。
『ホラ、見ろよ!
資本主義を日本人に与えてやったら、あのザマだよ!
資本主義は、白人だけが
うまくやっていけるものなのさ』
ってね。
彼らは資本主義が最高だと思っている。
しかし彼らも、
白人が一番優位なんだという意識に囚われて、
そういう意識の奴隷になっているんだ。
とても哀しいことさ。
資本主義とか民主主義とかいうのは、
すべての世界にとって良いものではないんだ。
それらは、ほんのわずかな
支配的な人間達にとってのみ良いシステムなんだ。

資本主義は購買欲を煽り立てることばかりを
押しつけるキチガイじみたシステムになっている。
日本も、物を生産しまくって、消費しまくって、
それに囚われて不幸になっている感じがするよ。

(ここでイアンさんは、
メモ帳を取り出して絵を描いた。
それは蛇が自分の尾を呑み込んでいる絵だった)。

これが、ジレンマだよ。
これは蛇が自分を食うという、
ギリシャのウロボロスという図だ。
蛇が自分の尾を食べていって、
もう食べ切れなくなっているんだ。
それが資本主義だ。
作って消費して、作って消費して、
ついにどこかで破裂してしまう。
人間を生き物として考えると、
技術を中心とする発展に
ついていけなくなってきているんだ。
だから資本主義の発達が、人を狂わせ始めるんだ。
酒鬼薔薇少年の犯罪も、
そのひとつの現われなんじゃないかな」

「オランダは日本からは
自由な国に見えるけれども、
白人至上主義で、資本主義で、
それは作って買わせるということが
一番の原理であるシステムであって、
そういう社会であることには変わりがない、と。
だから、要するにイメージにだまされるな、
ということですか?」
イアン

「私は日本の政治や歴史を
よく知っているわけじゃない。
本は読んだけど、学者として
調べたわけではないからね。
しかし、日本人が日本人の魂を持つこと、
これが日本人の未来だと思う。
オランダ人の魂を持つことではない」

「インタビューできる時間が
残り少なくなってしまいました。
本当はイアンさんの映画のことで
いっぱいお聞きしたいことがあったんですけど、
最後にひとつだけ聞かせてください。
イアンさんは
『アーティストは
クリティカルでなくてはならない』
と言われました。
その信念の一番原体験にあるものは、
南アフリカ共和国で若い時に実際に見られたり
体験されたひどい差別とか、
反政府運動をして国外に追われて
オランダへ行った時の体験なんでしょうか?
その体験が、
イアンさんのソウルの中にいつもあって、
いつも忘れられないで、
そこから様々なことを見ていると、
お聞きしていて感じるんですが」
イアン 「私は産まれた時に、足が蟹のように
湾曲する病気だったんだ。
赤ん坊の時に手術をして、8才ころまで
矯正のための重い靴を履いて過ごした。
アフリカでは、私のような病気で産まれた子供は、    
石をぶつけて殺してしまうらしいんだ。
もしも、自分がアフリカ人だったら、
石をぶつけられて殺されていた人間だった、
ということがいつも頭にあって、
それでずっと、
自分がアウトサイダーなんじゃないかって、
そう思ってきたんだ」

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イアンさんはその夜、ほかの取材も控えていて、
30分とっていただいたインタビュー時間は
すぐに過ぎてしまいました。
それはしかたのないことですが、
しかし私は諦めきれないものがありました。
イアンさんは資本主義に対する
呪詛の言葉を吐いています。

それは論理としては、日本の社会の中でも、
かつても今もよく語られてきたものです。
しかし、私は論理よりも、それを強い感情を込めて語る
イアンさんの声の中にあるものに
惹きつけられてしまったんです。

私はインタビュアーのプロでもないし、
パンピーですから、
私の勘になんの権威もないことは承知しています。
でも、私にはこの夜、イアンさんの声の
奥行きの中に潜んでいるものと、
イアンさんの映画の奥に潜んでいるものが、
確かに重なるように思えました。

それで、ダメモトと承知の上で
もう一度だけインタビューをさせていただけないか
と頼んでみたんです。
私はイアンさんの南アフリカで体験が、
映画の表現に繋がっていくニュアンスが
とても聞きたかったのです。

イアンさんは、おそらくツバキさんの友人だからと
思ってくれたからでしょうが、
撮影が終わったら酒でも飲みながら
もう一度話してもいいよと言ってくれました。
図々しいとは思いながらも、私は嬉しかったです。
そこで、次回はインタビューの第二夜をお届けします。
では、第二夜でお会いしましょう。

1998-12-12-SAT

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