HOLAND
オランダは未来か?

「ホ〜!ラント」第17回目
【イアン・ケルコフ監督へのインタビュー第二夜】

イアンさんへのインタビューの第二回目をお届けします。
このインタビューは、
イアンさんが日本で撮影した映画が完成した
記者会見の夜、渋谷の打ち上げのパーティー会場の
片隅で行なわれました。
お縄パフォーマーのツバキさんも同席してくれました。
打ち上げが盛り上がる前に、
主役であるイアンさんを
お借りしてインタビューさせてもらいました。
撮影スタッフの人たちの歓声や笑い声、
喋る声が、イアンさんの話し声の後ろから響いています。
では、第二夜のインタビューをどうぞ。


 

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「オランダ映画祭の時に
インタビューさせていただいて、
ありがとうございました」
イアン

「ツバキの友達は、私の友達だ。
別に改まらなくてもいいよ」

「このあいだのインタビューで聞けなかった
続きをお聞きしたいんです。
前回のインタビューで、
イアンさんからオランダに対する
鋭い批判をお聞きしました。
オランダの社会は自由に見えるけれども、
やはり白人中心主義はあるし、資本主義の、
金銭が至上価値の世界であるんだと。
私はイアンさんの世の中に対する批判の根本に、
南アフリカでの子供時代からの体験が
あるのではないかと感じているんです。
それについて話を聞きたいんです」

イアン 「確かにそれはあるね。
南アフリカの政治や権力の中枢は、
権力を私物化して腐敗しているんだ。
それはとても哀しいことだ。
そういう現象は、
どこの国でも程度の違いはあれ見られることなんだ。
私はいろいろな国に行って、
その国々の権力構造を考えてみた。
例えば日本とオランダの権力構造は違う。
しかし形や見かけは違っても、
少数の人間が多数の人々を
支配している構造は同じなんだ。
そしてメディアは、その少数の権力に追従していく。
それも同じだ」
「イアンさんは、子供の時に足が湾曲する病気に罹って、
重たい靴を履いて過ごした話をしてくれましたね。
イアンさんが白人だったから病気を治してもらったんで、
もし黒人だったら風習に従って
石を投げつけられて死んでいたかもしれないと」
イアン

「私が日本に来て作った映画のタイトルは
『シャボン玉エレジー』というんだ。
このシャボン玉の歌のいわれというのは、
昔、飢えのために赤ん坊を育てられない母親が、
自分たちが生き残るためにしかたなく
山に赤ん坊を捨てに行った、そういう歌だと聞いたんだ。
そういう赤ん坊の魂が、
シャボン玉といっしょに空へ昇っていくのだと。
それを聞いた時、私の骨という骨に電流が走ったんだ。
それは私の境遇に似ていたからだ。
私もアフリカの習慣に従っていたら、
山に捨てられていたんだから。
日本に限らず、飢えのために、
村の掟に従って赤ん坊が犠牲にされるということは
世界の各地に存在する風習なんだ。

私は、生き残った赤ん坊なんだ。
私は、シャボン玉ベイビーだ。
私のケルコフという名前は、『墓地』という意味なんだ。
私は、『墓地』だ。
私は、死人だ。

 

「私はイアンさんの作る映像のイメージの一番奥に、
その蟹のような足に生まれて、
重い靴を履いていた
子供の頃のイメージがいつもあるような気がするんですよ。
それがイアンさんの映画を、
すごく難しくしているし、
魅力のあるものにしているとも思うんです。
そのことにとても興味を持ってます」
イアン 「ドウモアリガトウ(日本語で言ってくれた)
世の中には、恐ろしい嘘があまりにも
はびこりすぎているんだ。
映画やテレビや新聞といったメディアは、
人々の人生を単純化し、
人々の体験を単純化して伝えている。
アメリカ式に、
メイクマネーが最大の価値だと
人々に信じ込ませようとしている。
しかし、それは本当の現実じゃない。
人生はもっと複雑なもの、コンプレックスなものだ。

私が撮りたいフィルムは、
ドキュメンタリーではないけれども、
ドキュメンタリーに近いフィクションなんだ。
私は、私のライフを反映させた映画を作りたい。
人生に直結した映画を作りたいんだ。
もし単にフィクショナルな作品を作るなら、
たくさん題材があるし、
メディアも余りすぎるほど用意されている。
政府の援助を受けることができるメディアもある。

しかし、私が大切に考えていることは、
自分が常にアウトサイダーであるということだ。
私はアンダードッグ(敗残した側の人間)でいいんだ。
私が撮りたい映画は、
メインストリームに出てこれない人々を描く映画だ。
ホームレスの人々や、極左や極右の人々、
非合法な世界の住人、投票権を持っていない人々、
そういう力によって押さえつけられている人々の、
認められることのない声を代弁するようなものだ。
なぜなら、私自身がシャボン玉ベイビーだからだ。
私は絶対に上に立って支配する人々、
ハリウッドのような力を握っている者たちと
手を組むことはない」

「イアンさんは子供の時に、
世界で自分が一番弱い存在だって思ったことが
あるんだと思うんですよ」
イアン

「よく思ったよ。
一番弱い、というより一番寂しい(ロンリエスト)とね。

しかし、それはかなり危険な考え方なんだ。
寂しいとか、自分を憐れむような考えは危険だ。
それは人を『クリスチャン』にしてしまう。
この世界で多くの人々がクリスチャンになっている。
それは十字架に懸かったキリストの
イメージで代表されるんだ。
犠牲となった者を憐れみ、自分を憐れむ、
その考え方によって奴隷のように
縛りつけられてしまうんだ。
そうではなくて、自分の弱さを見つけ、
乗り越えていかなくてはならない。
そうすることで、
この宇宙に存在する力と結びつくのではないかと思うんだ」

 

「日本でも、イアンさんと共通する
子供時代を送った子供が、この間、
酒鬼薔薇という事件を起こしたんですけど。
イアンさんは知ってると思うんですが」
イアン

「うん、うん。知っている」

「私はとても共通するものを感じるんです。
イアンさんの体験と共通する事件だと思うんですよ」
イアン

「うん。
あなたは革マル派、中核派を知っているか?」

「ええ、極左の政治党派ですね」
イアン

「彼らは独自に酒鬼薔薇の事件の調査をしているんだ」

「冤罪だという主張の本が出てますね」
イアン

「この活動家たちは、
酒鬼薔薇の資料を国家から盗んだんだ。
私は酒鬼薔薇の情報を、
もっと世界に公表するべきだと思う。
たぶん日本の政治や法律の上では
不可能なことなんだろうが、
世界は本当のことを知るべきだと思うんだ。
なぜなら私は、
彼は殺人犯ではなく哲学者だと思うからだ」

「酒鬼薔薇という少年は、
思わず悪を犯してしまったのではなく、
ちゃんと自覚して、
悪いことをするんだと考えて悪を行ったと思います。
それはイアンさんと、
どこか共通する心境だと思うんですよ」
イアン

「ちょっと待ってくれ(メモ帳を取り出して書き始めた)
これが私にとって、3世代に渡る日本の英雄なんだ」

「三島由紀夫、佐川一成、酒鬼薔薇、ですね」
イアン

「彼らは偉大な日本人だ。
日本の政府は彼らを犯罪者としてしまったけれども、
それは日本がアメリカによって植民地化されているからだ。
彼ら3人は、みんなアンチ・クリスチャンだったんだ。
それでアメリカ政府が彼らを犯罪者にでっちあげたんだ」

「三島は悪を行った人ではなくて、
悪について考えた人だと思います。
三島のホモセクシュアルの恋人だった人が、
三島との体験を書いた本がこの間出版されて、
それはとても面白い本だったですね」
イアン

「その本のタイトルを教えてくれないか?」

「福島次郎という人の書いた『剣と寒紅』という本です。
三島という人は、赤ん坊の時に母親から引き離されて、
ちょっと精神的におかしな実のお婆さんによって
育てられたらしいですね。
毎日毎日、朝から晩まで、
そのおばあさんと一緒に暮らしてたそうです。
それが三島という人を作ったと思います。
三島は一生、悪というものを考えていたけれど、
その基はそういう幼年時代の
体験にあったんじゃないでしょうか。
そういう部分は、三島も佐川も
酒鬼薔薇も共通している気がするし、
イアンさんの体験も共通するものがあると思うんです」
イアン

「精神的におかしいとか、
狂気ということについて言いたいことがあるよ。
例えば毎日7時に、
鰯みたいに満員電車に詰め込まれて会社に出かけ、
15時間も16時間も働いて、
また鰯のように満員電車で帰ってくるような生活。
そして自分がどういう人生を送っているか、
これが本当に正常な人生かを考える暇もなく
過ごしていることは一体何なんだろう。
何が正常で何が異常だと言えるんだろうか?

私は狂気と呼ばれる人間は、
この社会の中でただ一人の正常な人間だと思っている。
数百年前には地球が平らだと思われていて、
その中で地球が丸いと真実を言う人はキチガイ扱いされた。
いつも真実を語る人間は、
社会のため世界のために自分を犠牲にしているんだ。

酒鬼薔薇のケースもそうだったと私は思う。
酒鬼薔薇は多くの人より一歩先に進んでいた。
彼は数百年の昔から存在する
メッセージを取り戻すために、
彼のメッセージを勇気をもって示した。
彼は自分のメッセージを伝えるために、
一番の友達を殺したんだ。
しかし誰も彼のメッセージを受け止めなかった。
彼は日本人の犠牲となって牢屋に入ったんだ。
それが核心だと思う。

歴史の本を読むと、500年前の英雄と言われている人達も、
大量殺人を犯した人間であったりするんだ。
今、なんてひどい殺人者だ、
と言われる人々も2百年くらいたてば
英雄と呼ばれるかもしれない。
私たちは今、
ヒューマニズムという考え方の奴隷にされているんだ。
相手を殺さなければならない場合には、
殺さなくてはならない。
そして自分も死ぬ用意がなくてはならない。
もしもそういう用意がなければ、
あなたはとても弱くなってしまうんだ。
もしも私があなたに非常な侮辱をくわえたら、
あなたは私を殺すべきだ。
もしもあなたが私の娘を暴行すれば、
私はあなたを殺すだろう。
法律がどうであっても、私は私の決める掟に従う。
私が刑務所に行こうとも、
私の娘を暴行した人間は死ぬべきだ。
それが私の法なんだ。

人間は万物の上に立っているとうぬぼれているけれど、
それは間違いだ。
人間の命が他のなによりも大切だと言われるが、
そうとは言えないと思う。
そういう考え方に囚われれば、
永遠にヒューマニズムと既成概念の奴隷になってしまう。
もっと大きな、本来の自然との
バランスというものが存在する。
そのバランスのために、
自殺をしなければならないこともある。
そのバランスのために、
人を殺さなければならない場合もありうるんだ。
三島、佐川、酒鬼薔薇、彼らは彼らの芯を持っていた。
三人は、人間の生命が
至上のものであるという考え方にノーと言ったんだ」

 

「イアンさんは、誰よりも弱い人間であった幼年の時に、
まわりの普通の奴、
強い奴に対して交流していかなければ
ならなかったわけですよね。
そういうもっとも弱かった時期に、
まわりの人間に対してどういうことを考えたのか
聞いてみたいんです。
それがヒューマニズムっていうものが嘘だっていう時の、
イアンさんの考えの基になっている気がするんです」
イアン

「あなたは頭がいい人だね。
あなたは私が初めて、
答えたいと思う質問をしてくれた人だよ。
今ちょうど、その質問をされた時に閃いたのは、
自分が父親になるんだ、ということだったんだ。
私に子供が産まれたんだ。
それは私が、一番弱い人間であると感じた瞬間だった。

私はこういう仕事をしているから、
いつも子供と一緒にいてやることができない。
だから私は子供を作ろうと思っていなかったが、
彼女が子供を産もうと決めたんだ。
私は自分が今まで父親や家族にされたこと、
家族の一員でいられなかったことを、
また自分の娘に繰り返してしまうと思った。

私は人生の中で、
いつでも自分に言い聞かせていたことがある。
それは、自分が父親にされたことは、
けして自分の子供にはするまい、ということだ。
私が自分に子供が出来たことを告げられた時、
彼女は妊娠6ヶ月だった。
その時、私は突然父親を理解した。
その自分が一番弱い存在だと感じた瞬間に、
同時に自分の父親も愛することができたんだ。

父親は自分に対してひどいことをしたのではなく、
自分にとって一番いいことをしてくれたんだと思ったんだ。
なぜかと言うと、自分の父親は子供がほしくなかったんだ。
しかし母親は彼と結婚したいために、子供を作ったんだ。
彼女はリスクをおかして、
自分が妊娠すれば彼と結婚できるだろうと思ったんだ。

それは、女性が男性に出来る一番ひどいことだと思う。
子供を持つというのは、
ふたりの間のすごくポジティブな
エネルギーによってなされるべきもので、
片方からのものであってはならないからだ。

私は今まで、父親のことを自分から切り離して、
まったく考えないようにしていたんだ。
でも、子供ができたことを知った瞬間、
その短い瞬間に私は分かった。
私は、父親を許すことによって、
自分自身も赤ん坊であった自分を認めることができ、
そして一人の男として成り立っていけると感じたんだ。

初めて自分の娘を見た時、
彼女はまだ生後2週間しか経っていなかった。
私は初めて、
世界中でこんなに愛する女がいるのかと思った。
ひと目惚れというものが、こういうものかと分かったんだ。
娘を見た時、それがすぐに自分の娘だと分かった。
私が彼女の目を見詰めたら、
彼女もじっと見返してきたんだ。
今までいろいろな女性を愛してきたけれど、
彼女は生涯愛しつづけるただ一人の女なんだ」

 

「イアンさん、プライベートな
お話を聞かせていただいたんですが、
これをホームページに掲載させてもらえますか?」
イアン

私はツバキを信頼している。
彼女はアムステルダムで、
私を信頼してすべてを見せてくれたんだ。
そのツバキが信頼しているあなたも、私は信頼している。
信頼しているから個人的な事柄も話したんだ。
だからホームページに掲載するのはかまわないよ」

「ありがとうございました」

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以上がイアン・ケルコフ監督への
第2回目のインタビューの全文です。
イアンさんが言っていた
シャボン玉の歌のいわれというのは、
私にはよく分かりません。
そういういわれは聞いたことがないので、
もしご存知の方がいたら教えて頂きたいと思います。
もしかしたら、
イアンさんの聞き違えなのかもしれないと思っています。
しかし、それが事実であるかどうかよりも、
そう聞いて骨の髄まで震撼された
イアンさんの真実が重要なのだと思います。

イアンさんは、彼のプライベートな事柄を
信頼して語ってくれて、
それを公表するについては私も迷いました。
しかし、イアンさんがこの夜語ってくれた内容は、
作家としてのイアンさんを理解する上で
重要な内容であると私は思います。
イアンさんの映画は、今年まとめて公開されるそうです。
「シャボン玉エレジー」もいずれ公開されるでしょう。
そうした映画を見る人達にとって、
このインタビューは読むに値するものだと思います。

イアンさんと話していて強く感じたのは、
まったく表も裏もなく、
彼の真実をまっしぐらに語る迫力でした。
それは、日本の中で今まで
あまり体験したことのなかったものです。
私にとっては、
外人というものを感覚的に強烈に受け取った
貴重な体験だったです。
オランダという本来のテーマから言えば、
イアンさん個人への興味に従って
遠回りをしたかもしれません。
しかし、一つの国を知ろうとすれば、
そうした無数の遠回りは
やむおえないことだと思います。
これからも、
何度も大きな弧を描きながら
オランダというテーマに戻るつもりです。
それは他のメディアには出来にくい、
インターネットの未開拓の方法のひとつだと思います。

この後、「シャボン玉エレジー」に主演した
オランダの俳優、トム・ホフマンさんへ
のインタビューも掲載します。
他にも、オランダについての面白い
インタビューがあります。
がんばって、どんどん掲載していきます。
いちだんと長い文章になりましたが、
これからも読んでください。
では、本年もよろしく。

 

1999-01-17-SUN

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