パリ──。
堀内さんが描くパリは、
ときに息をのむほどうつくしく、
あるときは明るく、あるときは哀しげで、
またあるときは可笑しく愉快です。
生れがパリでもないのになつかしいもないが、
僕の場合、原因がハッキリしていて、
それはルネ・クレールの映画「巴里の空の下」を
少年期の終りに見たからで、
家族からの自立‥‥自分の稼ぎで住んだり飲んだりすること、
友情、異性、裏切り、けんか、義侠心とあきらめ‥‥
そうした青春のすべてが描かれているのがパリの裏町でした。
(『パリからの旅』より)
堀内さんは、いわゆる「名所」も、
ファッションやアートなんて関係ないよ!
とでも言いそうな、
ふつうに暮らす人々が行き交う街角も、
生き生きと、さまざまなタッチで描きました。
堀内さんがパリに住んだのは、
1974年から81年まで。
『アンアン』のアートディレクションから手をひいて、
1973年、堀内さんは単身パリに旅立ちます。
多忙な日々から離れ、「まずは2か月くらいの休暇」と。
ヨーロッパ中を心残りないように再見して廻りたいのと、
片手間だった絵本の仕事に専念したいと思うのと…
(『父の時代・私の時代』より)
翌1974年、長期滞在を決めてパリに向かう堀内さんは、
和文タイプライターをたずさえていました。
パリで発行される、
日本人向けのミニコミ誌編集部に向けて
託されたものでした。
これが縁で、
堀内さんはこのミニコミ誌『いりふね・でふね』の
アートディレクションをすることになります。
堀内さんが描いたベルヴィル。
このごちゃごちゃもまた、「パリ」なんですね。
しかしこの同じ場所を、堀内さんはこんなふうにも
描いているんです。
美しいもの、汚いもの、悪趣味なものことごとくが、
間をおいて大きなうねりのように迫ってくる街というのは、
やはりパリの最大の魅力かもしれません。
(『ここに住みたい』より)
堀内さんは、パリを流れるセーヌ川や、
モンマルトルやベルヴィルといったパリの下町に
自分が育った隅田川沿いの大川端をかさね、
初めてなのになつかしい、と感じたそうです。
最初はひとりで、そして次女の紅子(もみこ)さんが、
さらに奥様、そして長女の花子さんが合流。
堀内さんは一家そろってパリ郊外のアントニーの
集合住宅に居を構えました。
そんなパリの風景や暮しのようす、
パリを拠点にした出かけた旅のことなどを、
堀内さんは日本の親しい人たちに宛てて
「アエログラム(航空書簡)」にしたためました。
宛先には、詩人の岸田衿子さん、谷川俊太郎さん、
画家の瀬川康男さん、山脇百合子さん、
作家の瀬田貞二さん、澁澤龍彦さん、
石井桃子さん、出口裕弘さん、
そのほか、親交のあった編集者や出版人たち。
外国にいると筆無精でも絵ハガキくらい出しますが、
私が手紙魔と化したのはこのアエログラムにも
原因があるのです。
先ずハガキの切手代より安い。
そしてこれは三ツ折りで、拡げるとスペースが相当あります。
連絡事項だけだと紙が余ってしまう。
もったいないので空いたところには絵を描くことにしました。
(『パリからの手紙』より)
水色の三つ折りを開けばあらわれる、
パリからの贈りもの。
だれもが「とっておきたい」と思ったこの手紙は、
のちに『パリからの手紙』という
1冊の本になります。
今回のこのコンテンツの準備で、
花子さんと紅子さんには、
当時のいろいろなお話をうかがっていますが、
それはまた、あらためてご紹介する予定です。
(いろいろ、たいへんだったみたい!)
今回はこのへんで。次回は今回の続きで
「旅の堀内さん。」です。
パリ滞在時代に、堀内さんは家族と、また友人たちと、
いろいろなところへ旅をしています。
パリは、堀内さんにとって
旅の出発地でもあったのです。