本題「旅人の堀内さん。」に入るまえに、
うれしいおしらせです。
先週木曜日に堀内さんの長女である
堀内花子さんが「ほぼ日」に遊びに来てくださって、
この本をくださいました。
『ぼくの絵本美術館』。
この本って、堀内さんが亡くなられたあとしばらくして
マガジンハウスから出た本ですよね。
いろいろな媒体に書かれた絵本についてのエッセイや、
外国のいろいろな(当時、まだ知られていなかったような)
絵本や絵本作家の紹介を愛情たっぷりに紹介する文章と、
たっぷりの図版が詰まっている本です。
(堀内さんと絵本のことについては
この連載の以前の回をどうぞ!)
花子さーん、これ、ぼく(武井)、持ってますよー。
「そうなんですけれど、ちがうんです。
じつは品切れになっていたこの本が、
新装版になって、復刊されたんです」
あ、ほんとうだ‥‥!
そういえば以前の本はハードカバー(硬い表紙)でしたね。
こちらは、ソフトカバーになっています。
「今回の連載がきっかけになって、
新装版がつくられることになったんですよ」
えっ! ‥‥うれしいです。ハードカバーは、
昨年夏の堀内さんの展覧会場で販売したぶんが
ほんとうに最後の最後で、
それ以来品切れになっていたのだそう。
増刷の予定もなかったので、
花子さんは「自費出版で復刊しよう」とまで
考えていたそうなのです。
ところがこうして堀内さんへの注目があつまって、
出版社が「カバーをかえて出し直しましょう」と、
今回の新装版が出ることになりました。
よかったぁ!
この本をめくっていて思い出しました。
連載の取材のときに、花子さんに、
ひとつ訊きわすれていたことがあったことを。
それは、堀内さんはデザインをするのも絵を描くのも
とても速かったというけれど、
文章を書くのも、そうだったんでしょうか、
ということでした。
だって、こんなにたくさんの文章を、
堀内さんは書いているのです。
それも、超・多忙なデザインや絵の仕事のなかで、
これだけのものを、書いているのです。
ライターさんが聞き書きしたわけではなく、
ぜんぶ堀内さんが書いたものだということは、
編集者の端くれであるぼくにはわかります。
なかには自分でレイアウトをしているページもあります。
仕事量が「はんぱない」のです。
「どうなのかな‥‥?
邪魔さえしなければ仕事中でも父のそばにはいられたし、
パリでは居間の一角が仕事場だったこともあり、
仕事姿は見ています。
でも父しか自宅で仕事するひとの姿は知らないわけで‥‥
でもやはり文を書くのも早かったと思います。
小説じゃないし‥‥。
旅行から帰って翌日には入稿原稿が出来ているのは
珍しくありませんでした。
写真を使う場合はしばらくしないと現像所に上がらないし、
同じ旅先を何回かの連載でまとめることも多かったので
東京の編集部に郵便で送るのは
数日後になっていたと思いますが‥‥。
一緒に仕事をした編集者のかたに聞いたことがあります。
依頼して、2時間後には、もう原稿が届いたと」
‥‥ぎゃぁ。かなわない。それはすごい。
「もちろん、あとで朱字を入れたりはしますよ。
でも、ほら、あれだけ手紙を書いていた人ですから、
原稿を書くのも、速かったのかもしれませんね。
ほかのかたと比べられないので、わかりませんが」
そうでした。
前回の更新で紹介した『パリからの手紙』も、そうでした。
堀内さん、膨大な文字と絵を、おおぜいのひとに宛てて、
アエログラムの紙いっぱいに、自由にのびのびと
書いて(描いて)おられましたっけ。
この本のもととなった原稿は、
絵本のことを伝えたいという気持ちで書いた、
「読者への手紙」だったのかもしれません。
厚い本です。値段も安くはありません(3500円)が、
こうしてあらためて手に取ってみて、
ほんとうにいい本だと思いました。
絵本が好きなかた、好きだったというかた、
それからこの連載を通じて
堀内誠一さんに興味が出たというかた、
ぜひお手にとってみてくださいね。
この本は「堀内誠一さんの最新刊」です。
クリスマス前に紹介できてよかった!
●マガジンハウスの紹介ページ
では、きょうの本題です!
堀内さんは、たくさんの旅をした人でもあります。
最初のヨーロッパ旅行は1960年、
27歳の堀内さんは、「アド・センターの要請で、
海外繊維デザイン事情視察という名目」で長旅を決行。
まだ、海外旅行が自由化される前の時代
(そんな時代があったのです!)、
パリを起点にして、
ヨーロッパ20カ国をまわりました。
いまとちがい、情報の少ない時代です。
いまだって、海外旅行に行くというのは
みんな、ワクワクの塊になりますけれど、
当時の堀内さん、きっと、
ものすごく嬉しかっただろうなあと思いますし、
じっさいにその旅は、
のちにアートディレクターをつとめた
an・anの取材旅行に結実していきます。
an・anについて堀内さんは、
「ロバート・キャパがLIFEについて
“僕の空飛ぶじゅうたんのようだった”
と言ったようなものにしたいな!」
と、創刊準備中から願っていました。
若い頃、ローマオリンピック(’60年)の年だったけど、
無理してヨーロッパに一年近くネバったことがあって、
それから十何年も日本にいたから、
何だか息を吐いてばかりいて
吸ってないみたいで死にそうになる。
死にたくないから『アンアン』創刊準備のとき
ファッション写真をなるたけ海外ロケでやるのを企画した。
(『an・an』1979年5月5日号)
1974年、パリに住まいを移すと、
呼び寄せた家族とともに。
日本から来た友人を旅の仲間に加えて、
堀内さんの旅は、さらにひろがっていきます。
旅の仲間には、こんな人たちがいました。
澁澤龍彦夫妻、谷川俊太郎さん、安野光雅さん、
児童文学者の瀬田貞二さん、
仏文学の出口裕弘さん‥‥などなど。
旅の楽しみは三つあります。
まず、出かける前に調べたりして、想像をはせる楽しみ。
そして、本当の旅、
いい案内書が旅の最良の友であることはいうまでもない。
それから、帰ってきてから、写してきた写真や
スーヴニールにかこまれて、回想をする楽しみ。
(『パリからの旅』あとがき)
堀内さんの旅の準備に欠かせなかったのが、
ミシュランガイドとトーマスクックの時刻表、
それからその地その地の地図やガイドでした。
これをじっくり読みこんで、
オリジナルの地図を描きながら計画を練り、
その計画を具体化したスケジュール、旅程表をつくって、
その場所の地理を頭に入れてしまうのです。
はじめての場所でも、
見知ったようにスタスタと歩いたという堀内さん。
綿密な計画が、その秘密だったのかもしれません。
このスケジュール、横ケイは時刻で、
美術館が昼休みになる正午と、
美術館が閉まり、その日のホテルを確保したい夕方6時が、
太い線になっています。
縦線の長さで時間がわかるので、
乗り物での移動が長そうだとか、
ここは急いで見なければ、などの目安がひと目で計れます。
堀内さん考案のこのスケジュールは、
その機能的なことにも感服しますが、
なにより、うつくしい。
こんなスケジュールを渡されたら、
旅立ちのワクワクが、何倍にもなりそうです。
もちろん堀内さんは、日本各地も旅しました。
「浦和の師匠」と敬愛した瀬田貞二氏らとは、
秩父夜祭や諏訪の御柱祭などに出かけています。
『たくさんのふしぎ』シリーズの
『どうくつをたんけんする』という絵本のために、
山口県の秋芳洞や福島県の洞窟など
日本各地の洞窟をたずねたこともありました。
堀内さんが旅したところは、ヨーロッパを中心に、
中国やアジア諸国、アメリカ、ソ連、オーストラリアなど、
世界各地にひろがっています。
旅のおはなしはan・anに連載され、
『パリからの旅』という単行本になりました。
いったい自分は本当のところ何んだろうと考えますが、
あちこちの国を巡ったりして
それがつかめるんじゃないかと思っています。
(『パリからの手紙』より)
その後もいくつもの雑誌に掲載された堀内さんの旅は、
没後も『堀内誠一の空とぶ絨緞』、
『ここに住みたい』などの本になり、
旅のたのしさ、おもしろさを伝えてくれています。
まだ行っていない国も多いが、
オジイサンになってから行くのにとってあるんだ。
(『an・an』1979年5月5日号より)
堀内さんの最後の旅行は、
1986年2月にユネスコの派遣で行ったネパールと、
その帰りに寄ったバンコクでした。
そして翌87年、堀内さんは戻らぬ旅に。
いまごろ、どこを旅してるのかな、と、
こうして堀内さんがのこした
膨大な絵や地図を見ると、
いちファンとして、そんなふうに思うことがあります。
次回は、地図のおはなしです。おたのしみに!