YAMADA
カンバセイション・ピース。
保坂和志さんの、小説を書くという冒険。

第2回 「文字を書くという病」

糸井 最初に、小説を書こうという時、
保坂さんは、どういう気持ちだったんですか?
保坂 書こうと思ったのは、高校2年の夏休みで……。
糸井 そんな時に、さかのぼるんですか?
保坂 だって、
本読んでみたら、おもしろかったから(笑)。
でも、その後、ずっと、
どう書いていいのか、わからなかった。

理論的なこととかを、
すごく考えるタチなんです。
アルトナン・アルトーっていう、
頭がおかしくなった人、いますよね。

あの人の映画や演劇についての
エッセイを読んでいると、
すごくよく、わかるんです。

ということは
ぼくもやっぱり、ちょっと頭がおかしいらしくて、
根底的なところから考えないと気が済まない。

だから学生時代には、
「小説って、なんで風景描写をしたり、
 人物描写をしなきゃいけないんだろう?」

もっと簡潔に、数式みたいに書いて、
最後に「以上、証明終り」ってやれば
いいんじゃないか、と。

そのころは、小説って
テーマを書くものだと思っていたから、
証明をやるみたいにシンプルにすればいいのに、
なんで小説は、こんなに
まどろっこしいスタイルをとるのか?
と、わりあい、ずっと考えていたんですね。

なんか、小説ってものは
「そうしなきゃいけないらしい」から、
風景を書いてみたり、
人がタバコを吸っているところを
書いたりしたこともあるんですけど、
自分では、書く必然性がわからないわけです。

必然性がわかんないことを、
形だけなぞるようには、絶対にできないんですね。
糸井 ほんとはみんな、
そういう人のはずでしょ?

だけど、なんかあきらめるというか、
「考えてもしょうがないから書いた」
っていうところに行くんでしょうね。
保坂 ぼくが小説を読んでいて、
最初にいちばんわかんなかったのは、
その「描写」の部分なんです。

そういうわけで、ぼくの小説には
「描写って、なんであるの?」
と考えたことが反映されているから、
人よりも、描写が多いわけですよね。
糸井 ふーん。
逆に、多くなるんだ。
保坂 今回の
『カンバセイション・ピース』
っていう小説には建物がありまして、
「まえの小説で、風景のことを書いたから、
 今度は、建物と人間の関係というのを、
 ひとつ、書こうかな」
っていうことなんですけど。
糸井 建物には、作った人の意志が残っているよね?
保坂 いちばん大事なのは、
「住んでる人と建物の間に生まれたやりとり」
っていうか、その人と建物の
「関係」だろうということなんです。

そして、もうひとつ、この小説を書いた動機は、
「人は、過去の記憶によって守られている」
ということでして。

たとえば、ミステリーだと、
「確かだと思っていた記憶が、
 ガラガラガラガラと、崩れていって、
 現在の自分があやうくなる」
というのが、小説の主流というか、
パターンですよね。

でもそうじゃなくて、
本来、ふつうの人間っていうのは、
断片的に持っている過去の記憶によって、
守られて生きている
んですよね。
で、それを、いちいちつっついたりしない。
糸井 うん。小説の中の人間は、つっつくけどね。
保坂 そう。現実には、つっつかないわけ。
「つっつかないこと」が、大事なんですよ。
糸井 おもしろいなぁ。
保坂 つっついちゃったら、
つまんない小説にしかなんないわけですよ。
みんなが予想してる小説にしかならないわけ。
そうじゃなくて、もっとぼんやり、
「あのころ、たのしかったな」って。
それで、いろいろ記憶が出てくるわけでしょ。

ぼくだったら鎌倉だから、
海で遊んでたこととか、
ともだちと草野球してたこととか。

たとえば、
「メンバーは5人だった」とか思っていても、
ほんとは、違っていたりするわけですよ。
そんなの、かまわないでしょう?
「かまわない」とふだん思っていることが、
いちばん、大事なんです。
糸井 ただ、実際には、そうは言うものの、
「あいつ、いたわ」とか、気づきますよね。
保坂 「いたわ」の瞬間は、アッと思うけど、
自分の記憶力に対する自信が
ちょっと揺らぐくらいで、揺らいでも、
子どものころのしあわせな気持ちは、
揺らがないでしょう?
糸井 記憶全体は、揺らがないね。
保坂 そこが、いちばん、大事なの。
全体の景色が変わらないことが大事なの。

しかも、そもそも、
記憶をカッチリさせたものにしていくのは、
「文字に書く」という行為が、
もともとの元凶なわけ。
糸井 文字に書かなければ、
それで済んでいるわけだからね。

うん、ものすごく共感する。
保坂 「言葉」を持っていることが、
記憶をカッチリさせる
元凶の一種ではあるんだけど、
文字っていうのは、
話したり、ただ思ったりするだけの
「言葉」以上に、
人間のなかにあるものじゃなくて、
ある種、テクノロジーの世界なんです。

だから
「文字に書く」ということは、
人間本来の姿ではないものに、
委ねちゃうことなんですよ。
糸井 うん。
(つづきます!)  

2003-06-13-FRI

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