糸井 |
保坂さんが小説を書く時の話を聞いてると、
人物を組み立てる時の立場って、
かなり「神様」というかたちに見えるよね。 |
保坂 |
でも、「神様」って、
最初から結果を知ってるわけでしょう?
ぼくはやっぱり、書きながら、
タネとか萌芽としてのキャラクターを
作っていくわけだから、神とはだいぶ違う。
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糸井 |
ぼくは、1年に1回ぐらい、
アリをじーっと見ている時間があって。
これは、わかりやすいし、
早く終われたりするものなので、
愛情がなくても見られたりするんですけど、
小説を読んでるよりも、たのしいんですよ。
「あ、こうしてこうなった」
「うわぁ、よくやるなぁ……」
「おまえら、そう来たか!」
保坂さんの書く目線って、
それに、とってもよく似ている。 |
保坂 |
『カンバセイション・ピース』の中に、
虫の話をするキャラクターが出てくるんです。
アリって、ほんとに不思議なのは、
虫の死骸とか甘いものがあると、
ゾロゾロゾロゾロ、出てくるでしょう?
ものすごく集団でひとつのことをやる。
この小説の中の隠れたモチーフって、
それだと思うんですよ。
この小説の語り手っていうのは、
横浜ベイスターズファンで、
しょっちゅう、横浜球場に行ってるわけ。
で、横浜球場のライトスタンドで、
野球を見ているんです。外野で騒ぐタイプの人間。
そこで、みんなで一緒にメガホン叩いて、
というのをずっとやっている人なんです。
ひとりひとりの意志を超えて、
球場全体が動いていくっていうか。
野球場の中でも、
ピッチャーもバッターも、
スタンドもボールもバットも、
ひとつひとつが、別々なんだけど
全体として何かになるという……。
その感じが、ずーっと、
好きで好きでしょうがない人が、
この小説の語り手なんですね。 |
糸井 |
それは、保坂さん自身だね。 |
保坂 |
まあ、そうですね。 |
糸井 |
その感じ、
割とわかるというか、好きですね。
いまの野球場の説明は、ものすごくよくわかる。 |
保坂 |
野球場いったことのない人には、
ほんとにわからないと思うけど。 |
糸井 |
うん。
テレビでは、誰かの意志で
トリミングした野球場を見させられるから、
全体で構成されていることが、
伝わってこないんですよね。 |
保坂 |
うん、うん。 |
糸井 |
野球を無視してるヤツも含めて、
野球場なんですよねぇ……。
その比喩は、ぼく、人によく伝えるんだけど、
もののたとえが、みんな野球場になっちゃうのも、
それが原因なんです。
野球場にいると、
野球を、いっさい見ないで、
ただ、隣の女を口説いてるヤツもいる。
あれだけの何万の数の中に、
必ずそういうヤツらが混じっているというのが、
「場」なんですよ、と。
投げたヤツの思いだとか、
直線のドラマだけじゃないところが大きい。
起点はあるし、そこから作用して
ストーリーに近いものはできるんだけど、
それよりも、野球って「場」なんだよね。 |
保坂 |
うん。
野球の応援って、けっこう、
ファシズムじゃないかと思う人がいるでしょ。
でも、それは違うんだっていうことも
この小説に書こうとして、実際書いたけど、
邪魔くさいから、ぜんぶ削っちゃったんですね。
それ書くと、説明しすぎちゃうから。
野球場にいる人はファシストにならないけど、
野球場に行かずに、「あいつらファシズムだ」って
言っている人の方こそ、
ファシストになる可能性があるんです。 |
糸井 |
うん。 |
保坂 |
「評論してるやつがなるんだ」っていう。
サッカーでも、そうだと思うけど、
サッカー場とかでワイワイやってるヤツらはならない。
そんな、つまんないことはしないから……。
ファシズムとスポーツっていうのは、
同じ根っこから出た別のもので。
同じ根っこから別に進化したものだから、
もう、同じものには、ならないんですよ。
進化をたどると、馬になったものと
犬になったものとの共通の祖先は、
きっと、なんか、ある。
だけど、馬は絶対に犬にならない。
おたがいは、進化しあわないんです。
だから、ファシストと野球場は、一緒にならない。 |
糸井 |
(笑)その説明は、しないほうがいいかもしれない。
でも、野球場にいる気分っていうのは、
伝わったらうれしい気分だね。 |
保坂 |
読売新聞の記者の方が
この『カンバセイション・ピース』を読んで、
「野球場に行きたくなって見てきた」って。 |
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(つづきます!)
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