YAMADA
カンバセイション・ピース。
保坂和志さんの、小説を書くという冒険。

第8回
「小説の作者は「神様」か?」

糸井 保坂さんが小説を書く時の話を聞いてると、
人物を組み立てる時の立場って、
かなり「神様」というかたちに見えるよね。
保坂 でも、「神様」って、
最初から結果を知ってるわけでしょう?
ぼくはやっぱり、書きながら、
タネとか萌芽としてのキャラクターを
作っていくわけだから、神とはだいぶ違う。


糸井 ぼくは、1年に1回ぐらい、
アリをじーっと見ている時間があって。
これは、わかりやすいし、
早く終われたりするものなので、
愛情がなくても見られたりするんですけど、
小説を読んでるよりも、たのしいんですよ。
「あ、こうしてこうなった」
「うわぁ、よくやるなぁ……」
「おまえら、そう来たか!」
保坂さんの書く目線って、
それに、とってもよく似ている。
保坂 『カンバセイション・ピース』の中に、
虫の話をするキャラクターが出てくるんです。

アリって、ほんとに不思議なのは、
虫の死骸とか甘いものがあると、
ゾロゾロゾロゾロ、出てくるでしょう?
ものすごく集団でひとつのことをやる。

この小説の中の隠れたモチーフって、
それだと思うんですよ。

この小説の語り手っていうのは、
横浜ベイスターズファンで、
しょっちゅう、横浜球場に行ってるわけ。

で、横浜球場のライトスタンドで、
野球を見ているんです。外野で騒ぐタイプの人間。
そこで、みんなで一緒にメガホン叩いて、
というのをずっとやっている人なんです。

ひとりひとりの意志を超えて、
球場全体が動いていくっていうか。

野球場の中でも、
ピッチャーもバッターも、
スタンドもボールもバットも、
ひとつひとつが、別々なんだけど
全体として何かになるという……。

その感じが、ずーっと、
好きで好きでしょうがない人が、
この小説の語り手なんですね。
糸井 それは、保坂さん自身だね。
保坂 まあ、そうですね。
糸井 その感じ、
割とわかるというか、好きですね。
いまの野球場の説明は、ものすごくよくわかる。
保坂 野球場いったことのない人には、
ほんとにわからないと思うけど。
糸井 うん。
テレビでは、誰かの意志で
トリミングした野球場を見させられるから、
全体で構成されていることが、
伝わってこないんですよね。
保坂 うん、うん。
糸井 野球を無視してるヤツも含めて、
野球場なんですよねぇ……。

その比喩は、ぼく、人によく伝えるんだけど、
もののたとえが、みんな野球場になっちゃうのも、
それが原因なんです。

野球場にいると、
野球を、いっさい見ないで、
ただ、隣の女を口説いてるヤツもいる。
あれだけの何万の数の中に、
必ずそういうヤツらが混じっているというのが、
「場」なんですよ、と。

投げたヤツの思いだとか、
直線のドラマだけじゃないところが大きい。


起点はあるし、そこから作用して
ストーリーに近いものはできるんだけど、
それよりも、野球って「場」なんだよね。
保坂 うん。
野球の応援って、けっこう、
ファシズムじゃないかと思う人がいるでしょ。
でも、それは違うんだっていうことも
この小説に書こうとして、実際書いたけど、
邪魔くさいから、ぜんぶ削っちゃったんですね。
それ書くと、説明しすぎちゃうから。

野球場にいる人はファシストにならないけど、
野球場に行かずに、「あいつらファシズムだ」って
言っている人の方こそ、
ファシストになる可能性があるんです。
糸井 うん。
保坂 「評論してるやつがなるんだ」っていう。
サッカーでも、そうだと思うけど、
サッカー場とかでワイワイやってるヤツらはならない。
そんな、つまんないことはしないから……。

ファシズムとスポーツっていうのは、
同じ根っこから出た別のもので。

同じ根っこから別に進化したものだから、
もう、同じものには、ならないんですよ。

進化をたどると、馬になったものと
犬になったものとの共通の祖先は、
きっと、なんか、ある。
だけど、馬は絶対に犬にならない。
おたがいは、進化しあわないんです。
だから、ファシストと野球場は、一緒にならない。
糸井 (笑)その説明は、しないほうがいいかもしれない。
でも、野球場にいる気分っていうのは、
伝わったらうれしい気分だね。
保坂 読売新聞の記者の方が
この『カンバセイション・ピース』を読んで、
「野球場に行きたくなって見てきた」って。
 
(つづきます!)

2003-07-07-MON

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