ほぼ日 |
かつて、保坂さんが、尊敬している先輩から、
「三人称じゃないと小説は書けないんだ」
と言われたことがあったと、
エッセイで読んだことがあります。
信頼していた人から、
納得できないことを言われたからこそ、
何かが残ることって、他にもよくあるんですか。
あるなら、そういう「きしみ」が出るような
言葉を、教えてくださいますか? |
保坂 |
信頼した人の言葉って、残るじゃない。
でも、すごくヘンなのは、
たとえば慶応大学を出た人って、
「福沢諭吉がこう言っていた」
って、けっこうよく言うでしょ?
で、それが、福沢諭吉が言ったのはいいとして、
自動的に「正しい言葉」に
なっちゃってるところがあるんですよね。
引用だとか、
「誰々さんがこう言った」とかいうのは、
すごく人間の気持ちにとって
トリックがあるというか、不思議ですよね。
引用は、何ひとつ証明はしていない。
その言葉が正しいという保証はない。
小説を読んだ親戚からもらった手紙でも、
「今回の小説の『季節の記憶』は
すばらしかった。芥川賞の前作を超えたと、
山本先生もおっしゃっています」
なんて書いてあったりして。
その山本先生って、
近所の小学校の国語の先生だったりするんです。
なんで俺が小学校の先生に
ほめられて喜ばなきゃいけないんだっていう(笑)。
でも、その引用のメカニズムは、よくわかる。
それと同じ気持ちが、子どもの時に
親から言われた言葉とかにあるんですよね。
なんかそれって、
すごく乗りこえるのが大変なんです。
それが完全にヘンなサイクルに入ったら、
アダルトチルドレンになると思うんですけどね。
引用って、ほんとはみんな、
「●●は●●である」という命題を、
ひとりずつが証明したくないから、
誰々がこう言ったとかで
理解している気になっているわけでしょう。
だって、地球がまるいっていうことも、
ほんとはひとりずつでは証明できないじゃない?
実は、そういうふうに
既にある知識を
「まるのみ」するっていうことは、
人間が生きる上で、
ほんとは大事なことなんだよね。
そこでぜんぶ疑う懐疑主義者っているけど、
これがけっこう、おもしろくなかったりする。
ほどほどの「まるのみ」と言うか、
思いがけないことを「まるのみ」することが、
人間としておもしろい。
40代の人と会っていても、
「昔、父から言われたこと」
とか、ふつうに言っているけど、
その父親って、当時35歳だったりして。
引用って、ヘンなんですよね。
・・・あれ、なんか、
いま聞かれた問いと答えが
対応していないような気がするけど。 |
ほぼ日 |
聞いたことは、
きしみが出るような言葉は
あったのかということなので、
質問した答えになっていると思います。 |
保坂 |
「きしみ」を感じた言葉は、
その時々にあるとは思うけど、
「きしみ」の問題って、やっぱりひとつは、
人から言われることで、自分が前々からそれを
感じていたことに気がつくってことですよね。
それともうひとつは、実は
思っていることと逆のことを言われたけど、
そっちの方がひょっとして正しいかもしれないと
ふだんから懸念していた問題だったりすることで。
その後者の例が三人称のことだったんです。
「三人称じゃなければ文学にならない」
というのは、前からうすうす懸念していたわけで。
でも今回の『カンバセイション・ピース』で、
三人称の問題は乗り越えられたな、と
自分では思っています。
長くなるから説明は省きますが、
三人称より一人称の方が大きい。
「一人称は三人称を含む」っていうことなんです。
ま、ぼくの小説の傾向っていうのは、
一人称が圧倒的に多いということと、
ストーリーがないということの
ふたつだと思うんですけどね・・・。
ストーリーについては、思うことがあるんです。
「ストーリーのある話」と
「輪郭のはっきりした話」というのは別なんだけど、
輪郭のはっきりした話のほうが
やっぱりいいだろうなぁという気がしています。
それは、人からは言われたことがないんだけど。
ストーリーに関しては、
いつか、自分の伯父や伯母や、それから、
小学校の先生みたいな人たちにも、
ほんとに自然にたのしめる話を書きたいな、
とは思うんですけど、まだ、ちょっと、
ぼくにはそれは、早いんですよね。
書くまでの自分が考えもしなかったことを、
書きながら考えていくというか、
角度の急な坂を自転車でぐいぐいこいでいく、
というようなことは、
できるなと思ってるうちにやらないと
できないから、やっぱりまだ今は、
そういうことをやりたい。
だから、おもしろいストーリーは、
まだ先になっちゃいますね。
小学校1年の時の担任の先生が、
まだ80代でご健在なんだけど、
その人に年賀状で、
「あと10年経ったら、
ベストセラーになるような
おもしろい話を書きます」
って書いたら、
「早くしないと死んじゃいますよ」
って(笑)。いい味、出てるよね。 |
ほぼ日 |
保坂さんは、小説家について、
「社会の落後者という立場でもなく、
文化講演会みたいな所で守られる存在でもなくて、
ふだんふつうに仕事している人が、一見、
避けて生きてしまいがちなものを、正面から見る」
ということを重視されていると、
前にうかがったんですが、会社員に比べての
小説家の人生について、話していただけますか? |
保坂 |
会社勤めに比べた10何年という人生は、
それはぼく自身としては、小説を書くたびに、
課題というか、バーを上げるというか、
斜面を急にするという感じがあるので、
それ自体には、マンネリはないんです。
ぼくの小説家としてのデビューは90年だけど、
それから、まだ13年。
「まだ13年」って感じが、強いんですね。
ぼくは
12年半、会社員をやったんだけど、
それは、「まだ」どころか、
それ以上ないほど長く感じられました。
当時、20代だったってことも
大きいとは思うんですけれど。
小説家は、まだ13年。
それで、これからあと30年は、
生きていたら続けていたいと思っている。
その時は77歳になるわけで、
そのぐらいまでは、
続けていても飽きないだろうなぁ、
っていう気はするんですよね。
それはやっぱり、いい仕事だと思う。
そのへんだけは、人に羨ましがられる
仕事だろうなぁって思うんですよね。
サラリーマンをしている人で、
45歳ぐらいで、
あと30年間、ぜひ続けたいと思える
仕事をしている人も、あまりいないでしょ。
ただ、最初の頃は、ぼくも今よりは
焦っていましたけど。
ストーリーのない小説を書いている弱みで、
「次、書けるかなぁ?」という気持ちが、
ずいぶん、あったんですよ。
だけど、その気持ちも、
もう何度も味わっているから、
「書けるかなぁ?
・・・って思ってるけど、書けるんだよな」
というふうには、なっているんですよね。
最初の頃は、
「書けるかな?」って思っている
その不安を打ち消すために、
早く書きだしたいって考えるんです。
今はもう、
「きっと書ける。
今までも書けてきたし」
というのがあるから、
急いで書きだそうとは思わなくなって、
書いていない期間が長くなって・・・。
ぜんぶが遅くなってしまうという。 |
ほぼ日 |
その時々に、
ハードルを高くしているから、
長く時間がかかるっていうことが、
きっと、あるんでしょうけど。 |
保坂 |
それも、そうなんだけどね。 |
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(明日の最終回に、つづきます!)
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