おめでとうのいちねんせい 再販記念企画  のんびりした神様に。 日比野克彦+糸井重里
第6回 広告を絵の具に、 展覧会を絵の具に。
糸井 「おめでとうのいちねんせい」の
連載をはじめた頃は、
広告の仕事がほとんどでしたか?
日比野 1983年くらいだと、そうなのかな。
芸大(東京芸術大学)って、
わりとアカデミックな社会なんです。
大学に入っちゃって、そこで目的達成して
終わっちゃう奴も半分ぐらいはいます。
もう、どうしていいか
わかんなくなることもある。
そこに、広告の第一線で活躍していた
福田繁雄さんが先生として
教えにやってきてくれました。
河村要助さんとか、資生堂の中村誠さんとか、
いろんなデザイナーやクリエイターたちを
芸大に呼んできてくれて、
そうやってさまざまな人が現場の空気を
大学の中に持って来たんです。
それで、僕も広告の世界で、
なにかやっていけないかな、と
考えはじめました。
広告の世界というよりも‥‥なにかもっと、
いままでにない広告というか、
広告というメディアを
ひとつの表現として使おうというようなこと。
油絵家が油絵の具を使うように、
彫刻家が石を彫るように、
広告をいっこの媒体にして
表現していこうと思いはじめたんです。
ただ単なる広告屋さんじゃない。
ちょうど1985年あたりは、
福田さんや、いろんな活躍してる人たちを
見ながらそう思って
仕事しはじめた頃です。

糸井 そして、広告を絵の具のようにして
使ってたら、
それでは足りないところが
溜まりはじめたんですね。
日比野 ええ。
それで、ニューヨーク行ったり、
テレビやったり。
糸井 日比野くんは、ほんとに、運もいい。
時代の空気とかも、全部。
日比野 あのときの空気ですね。
糸井 展覧会を拝見して思うんですが、
まず、日比野くんはいろんなことを、
ものすごい分量、やってるんです。
日比野 そうですね。
水戸でやった展覧会以降は、
地域滞在型の、
持続性のあるプロジェクトを続けているので。
糸井 それはつまり「足し算」の仕事だよね。

日比野 そうですね。
1年のうちの半分ぐらいは
東京にいないんですよ。
金沢、水戸、新潟、九州‥‥
金沢から水戸に移ったときは、
展覧会が終わってから打ち上げして、
車でぶっ通しで走って移動して
翌朝、水戸に入りました。
糸井 あ、そうか、日にちが‥‥。
スタッフの方もいっしょに?
日比野 ええ。スタッフが搬出の風景を演出して、
翌日の搬入風景も
「展覧会はじまるよ」という
パフォーマンスに仕立てました。
糸井 みんながメディアと思ってないものを
メディアにするということが
その都度やっぱり、
いちばんおもしろいことなんですよね。
日比野くんは、いま、
地方の人たちと一緒に組んで、
チームプレーを
練り上げていくことをやってる。
それは、これまでみんなが
展覧会にあてはめていたことを
また違うメディアにして、
生きものにさせてるんです。
日比野くんは、そこがたのしいんですね。
だって、たのしそうだもの。

日比野 そうですね。
熊本で展覧会をやるってときに、
岡田ジャパン対イエメンの
サッカーの試合もあったんです。
僕は日本サッカー協会の
広報委員っていうのもやってまして、
それで、これをなんとか両方いっぺんに
できないものかと考えました(笑)。
カツ丼とうどんと、
どっち食べようかな、というときに
両方食べたい、両方食っちゃえ!
という気分です。
サッカーと美術館と一緒にできないかな、
もし、それができるとしたら、
オレしかいないかもしれない。
そういうことで、サッカー協会に
応援フラッグを美術館でつくろうと
提案したんです。
「じゃあ、やりましょう」
ってのっかってくれて。
糸井 いいねぇ!
日比野 美術館でプレス発表して、
商店街とか、市街地とか
いろんなところに声かけて
フラッグをつくりました。
サッカーはあるし、美術館もあったけど、
組み合わせはなかった。
熊本で試合やるっていうことを、
きっかけにしたら、おもしろくなって。
糸井 おもしろそうだ。
それは、聞いてるだけでおもしろそうだ。
日比野 マッチフラッグプロジェクトって
ページ、見て見てください。
糸井 旗って、日比野くんに合ってるよね。
日比野 あ、旗。そうかもしれない。
糸井 うん。立体であり、平面でもある。
まさしく日比野くんにぴったりだなぁ。
‥‥あのさ、日比野くんが
若くてやる気があるときには、
バスキアやらキース・へリングという人たちが
とても気になる個人として
存在していたわけだけど、
いま、なにが気になる?
日比野 うーん。そうですねぇ、気になるといえば‥‥
いろんな人たちが
日本の現代美術のマーケットで
ガンガン売られていって、
中国の現代美術のバイヤーが
買いあさっていた頃があったけど、
それがまた、いまガクンと来ています。
あの辺のダイナミックな切り方と動き方は、
そうとう気になります。
僕も、もしかしたらああいう
アートマーケットみたいなところに
行ってたかもしれないから。
あれは、どうなってくんだろうかな、
ということに興味はあります。
糸井 うん、うん。
日比野 よく、知り合いから
「日比野の絵は、どこで売ってるの?」
とか言われるけど、
ぼくは画商ついてないし、
絵が、ものとして、流通してないんです。
糸井 うん。
日比野 その気になれば、あの世界に
いつでも行けるし、
興味がないことはない。
オレがやるかやらないか、だけのことなんで。
糸井 やるかやらないかだよね。
それは、オレが決めることだよね。
日比野 そう。
ニューヨークに若い頃行ったときも、
そのことについてかなり考えました。
ニューヨークはやっぱり、
アートマーケットだから。
ニューヨークで一旗あげるには、
マーケットの世界に身を浸さないとダメだし、
やっぱりそこに住まないとダメだし、
それこそ、住むからには、ゲイの世界も
知らねぇといけないのかな、
ちょっと腹くくるか、と思ってました。


2009-02-13-FRI





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