COOK
書くことで食うこと。
山本一力さんが作家になった話。

第1回 先に、高い敷居をまたげ。

糸井 山本さんは最近、テレビやいろいろなところで
直木賞作家と紹介される際に、
「借金がどれだけあった」とかの生い立ちを、
山ほど、端的に書かれたじゃないですか。
それ以外の話があまり聞こえてこないまま、
作品としては時代小説がポンとある。

そんな人はあまりいないから、
素材として、ものすごくおもしろいんですね。
山本 そうですか。それはありがとうございます。
糸井 ぼくも偶然、山本さんが
生まれ故郷に帰った番組を観ましたもの。
なんかおもしろかったです、その感じが。
山本 あれ、うれしかったんです。
糸井 声のいい人だなぁと思って観ていました。
山本 ありがとうございます。
糸井 声がよくて
喋りかたがものすごくお上手なのは、
訓練なさったんですか?
山本 いやいや、そうでもないですが、
敢えて訓練ということで言えば、
ぼくは糸井さんとご同業だった……
つらい仕事をやっていましたので。
糸井 広告のプレゼンをしていて?
山本 ええ。もう、プレゼンは好きでしたから。
糸井 やっぱりプレゼン好きだったんだ。
ぼくもですよ。
山本 ぼくが相手にするのは糸井さんとは違って
マイナーの大マイナーのところなんです。
名もないところで、でしたけれども、
とにかくぼくはプレゼン一点型ですからね。
うしろに看板がないから、そうするしかない。

つまり当時のぼくらのプレゼンの
順番ひとつ取ってみても、
「いちばん最初に義理でやらせるか」
「最後にとりあえず時間があまっているからどうぞ」
そのどっちか、なんですよ。
コアな時間を取ってくれることは、絶対にないの。
糸井 うん。
山本 最後の順番の時なんか、
みんな聞いてる側はもう飽き飽きしているわけ。
出ていっても「まだあるの?」みたいな、
もう露骨な顔をしているんですよ……。
糸井 (笑)
山本 だからそれを見ると
ムカムカしては、ファイトが湧きまして。
「まあ、見てろ!」って。
あの時は、若かったですから大変でした。

電通さん博報堂さんなんかのあとに発表したら、
相手はもう、みんな聞いていないんだもんね。
もう、向こうとしては終わっているんだから。
それをこちらに振り向かせるのは大変で。

ぼくのプレゼンの方法は紙芝居ばかりでした。
とにかく最初に資料をいっさい配らずに……。
糸井 あぁ、わかります。
山本 配ったって見ないし、
配っちゃったら、説明する前に
先にここのところをめくっていって、
「見られるだけで終わり」ですからね。
ぼくの場合は、まず聞いてもらわないと。

糸井さん、河田卓さんって覚えておられますか?
コピーライターで、亡くなられたのですが。
糸井 はい。
結婚式場の「角万」の広告を
  評価したことで有名な。
山本 あぁ、そうなんですか。
糸井 ええ。「角万とは何ぞや」という広告が
古典的にありまして「何ぞや」しか書いてない。
山本 (笑)
糸井 河田さんはいつもそれについて語る人で、
そういうニュアンスを持った方でした。
山本 そうですか。
糸井 亡くなったんですよね。
山本 ええ、もう随分前に亡くなられましたね。
河田さんがまだ現役ビンビンのころ、
ぼくは二〇代でしたが、二年ぐらい教わりまして。
糸井 あ、そうですか。
山本 河田さんにたたき込まれたのが、その、
「プレゼンのときには資料を渡すな」
ということなんですよ。
「どうせあなたは、
 名もない会社として行くんだから、
 資料なんかで勝負したって勝てない。
 資料を渡したら先に読まれちゃうから」
そう言われたのが、すごく自分の中に残ってましたね。
糸井 これは、高い贈りものをもらいましたねぇ。
山本 はい。ほんとにすばらしい教えをもらいました。
糸井 山本さんとぼくとは、たぶん同い年……。
山本 昭和二三年生まれです。
糸井 あぁ、やっぱりそうです。
山本 糸井さんも? 何月ですか?
糸井 一一月です。
山本 じゃあ、ぼくが学年は一年早いですね。
早生まれだから。
糸井 あぁ、前の年にかかっているわけですね。
山本 そうです。
亥年の連中がほとんどでしたから。
糸井 そうか。
いや、同じにおいは何となく感じていたけど、
広告屋になったのも
似たような動機でかもしれませんね。
「行き場がある場所があまりないから広告屋」
という感じでしたか?当時って。
山本 はい。言いたいことを言えましたし、
「自分で勝負」だったから、広告屋にしました。
……営業は好きでしたね。
とにかく、営業って、ぼくは、
こんなにおもしろい仕事があるか
と思いました。
糸井 実は、広告のクリエイティブよりも、
営業の方がクリエイティブですよね?
山本 もう、はるかにそうでしたね。
まずは営業で種を掴んでこないと
クリエイティブのやりようがないですから。
ほんとに飛び込みでセールスをやりましたし、
飛び込みのセールスといっても、
行くのではなしに電話のセールスなんですけどね。
それこそ、朝の九時半から一一時までの
1時間半は、絶対的に営業の電話をかけていたから。

そうすると、九時半ぐらいの電話って、
みんな嫌がるんですよね、向こうは。(笑)
糸井 (笑)嫌でしょうね。
山本 わかっていてかけるんですよ、こっちも。
電話を切られて当たり前の世界なんです。
だから、最初はほんとに「訓練」ですよね。
「嫌がられても、こちら側が
 信念を持って売り込んでいくことの訓練だ」
というめちゃくちゃな理屈をつけられて、
「やれ!」といわれていて……。
糸井 それは誰かがいい出したんですか。
山本 11人ぐらいの会社だったのですが、
そこの親分から教わった……親分と言っても、
ぼくと三つぐらいしか変わらないぐらいの年齢です。
糸井 その人は、何かコツを掴んだ人なんですね。
山本 きっとそうなんでしょう。
あれはほんとに嫌だったけども、
やっているうちにわかってきましてね……。
糸井 つまり、
「先に、高い敷居をまたげ」
という訓練なのですね。
山本 そうです。全くそのとおり。
それはぼくは、小説で一番感じることなんです。
見事にあなた、言い当てたんだけども、
ハードルの高いところを思いっ切り行こうって
頑張りますと、知らないうちに
自力ができている
んですよね……。
超えようとしている時には、
自分ではまだ、わからないんだけど。

(つづきます)

2002-05-19-SUN

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