COOK
書くことで食うこと。
山本一力さんが作家になった話。

「週刊文春」の対談で山本一力さんにお会いしました。
なんだか、その小説の登場人物のような方でした。
「気持ち」がよくてその後もお会いするようになりました。
山本さんが、プロとして文章を書いて稼ぐために
どんなことをしてきたかという話を、
「ほぼ日」の読者のみんなにぜひ分けてあげたいと思って、
『これでも教育の話』のスケジュールより少し早めに、
連載させていただくことにしました。

インターネットは、素人の発表の場を大きく変えたけれど、
プロとして文章を書いてメシを食っていくということは、
いまも昔も簡単なものではありません。
そのへんのことを、あえてインターネットの「ほぼ日」で
読んでもらおうと思いました。

第9回 富岡八幡宮の近くを、もつれあって

糸井 今はこうやって
いろんなところへ引っ張り出される機会が
多いのですか?
山本 そうですね。
直木賞をいただいてからは、
いきなり生活が変わっちゃいまして。
正直、びっくりしました。
糸井 そうでしょうね。
たくさん取材があると思いますが、
ひとつひとつを義務として
こなす感じですか?
山本 いや、義務ではありませんよ。
それはそれはもう、普段から
お世話になっている先からの取材ですからね。
読者に情報がある程度露出されれば、
それが、本の売れ行きに
フィードバックされるでしょう。
その効果を考えましたら、
声をかけていただけるということは
すごくうれしいことです。
糸井 周囲の人の反応は、どうでした?
山本 いちばんおかしかったのは、
近所の人たちの反応ですね。
ぼくの住んでいる富岡の二丁目は
富岡の八幡様があって、
その宮元に棟続きの町なんですよ。
糸井 ああ、
富岡八幡宮ですね。
山本 ええ。
八幡様まで
歩いて2、3分の場所なんです。
ぼくがそこへ越したのは8年前。
糸井 そのときは、いわゆる「作家」では
なかったんですね?
山本 8年前に富岡へ越したときから
文芸誌の新人賞に、投稿をしていました。
で、いまから5年前の97年に、
「オール読物」の新人賞をいただいたんです。
そのときは周囲に
「時代小説を書いている」なんていうことは
言いませんでした。
新人賞受賞に浮かれて
ワーワー騒いだりもしませんでしたし。

でも中にはやっぱり小説好きの人もいて、
受賞作を読んでいて、
「ひょっとして、あれ、あなた?」
みたいなことを言う人がいた。
糸井 ご近所で?
山本  ええ。
富岡はほんとに古い町ですから、
戦前から三代住んでいるとかいう人が
ゴロゴロいます。
そのときは、富岡に引っ越してから
3年しか経っていなかった。
だから全くの新参者、まるっきりの小僧なんですよ。
糸井 そうなんでしょうね。それで、
「賞を取ったの、あなた?」なんて聞かれて(笑)。
山本 「そうです」といいながらも。
糸井 まだ界隈では、怪しいヤツなんだ。
山本 そうなんですよ、ほんとにそうなの。
ただ、幸いなことに、
うちには小さい子どもが2人いて、
かみさんと4人でいつももつれ合って
町をワーワーいって歩いていますので、
町では顔は売れていたんです。
糸井 もつれ合って・・・いいな(笑)。
山本 ただ、ぼくがいったい何をやっているかを
みなさんはわからないわけです。
糸井 ブラブラしている時間が多い(笑)。
山本 そう。
「なんだかあの人は昼間にいる」
というわけで、いろんなうわさが出ていまして。
「魚河岸で見かけた」とか。
糸井 (笑)魚河岸!
山本 ぼくは明け方、河岸の中の喫茶店へ
コーヒーを飲みに行ったりするのでね。
その情報は合っているんですよ。
糸井 そういうことね(笑)。
山本 「あれは、どうも職人さんらしい」
と言う人がいたりね。

ぼくはいっとき、
日本航空の機内販売の
マーチャンダイザーをやっていたことがあるんです。
たまたま町内に
JALのスチュワーデスがいたんですよ。
1回機内で会ったらしいんだけど。
向こうは、この頭が妙に印象に残っていたみたいで、
ぼくのことを覚えてた。

お祭りの寄り合いに
そのスチュワーデスの人が来ていたんです。
「あれ? あなた、あの人じゃないですか?」
と言われて、ぼくは
「えっ!」
と飛び上がってびっくりしたんだけど。
そういうことがあって、しばらくは
「なんだかJALへ行ってるみたいだよ」
って、いきなり評価が上がっちゃったの(笑)。
糸井 急に国際線の人になっちゃった(笑)。
山本 そこから2年たって
99年に第一作が「オール読物」に載りまして、
その翌年、2000年6月に単行本が出た。
この作品はもう思いっきり富岡の界隈のことを
書いているものでしたから、
八幡宮へ本を寄贈させてもらったんですよ。
人物のキャラクターづくりのモデルになった人が
近所にいたものですから、
その人にはごあいさつをしておいた。
糸井 ああ、モデルの方がいらっしゃったんですね。
山本 その人は自慢しまくっていたんですよ、
本を持って「俺が出ている」といって。

でもね、そのときはまだ
それぐらいで終わっていたんですよ。
そこへこの直木賞でしょ?
まったくインパクトが違うんですよ。
新聞全紙に出ちゃいますし、
テレビの「ズームイン朝」の放送を
ごらんになった人たちがいて、
で、もう町がひっくり返っちゃって・・・。
糸井 その話、東京とは思えない(笑)。
田舎の小さな町みたいな反応だよ。
山本 あのね、糸井さん。
あの町の人間の密度の濃さと
ほどのよい距離感のとり方というのは、
ほんと、絶妙なんですよ。
糸井 住人が「プロ」なんですね。
山本 まさにそうです。
向こうは、もう何十年住んでいる、
下町のプロなんですよ。こっちは新参者でしょ。
そうすると、その間合いのとり方というのは、
彼らの方がおせえてくれるんですよ、こっちに。

町で出会いましてもね、
親しげに声はかけてくれるんですよ、
「おめでとう」とか、
いろんなことを言ってくれる。
でもね、だからといって、
「おう、今度飲みに来いよ」とか、
「おまえんとこ行くよ」とか、
こういうことは一切言わない。
糸井 「東京」っぽいですね。
山本 ね。あれはカッコいいよね。
糸井 その感じは、いいなぁ。
いわゆる「村」だったら、もうだめですよね。
山本 そうですよ。もうどうにもならない。
「何だ、おまえ、うちに顔出さないで」
とか、そんな話になる。
糸井 「山本は、おれが世話した」とか(笑)。
山本 そういう人がゴロゴロ出てくる。
富岡はそれがない。見事に調和した町ですね。

(おわりです)

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2002-06-09-SUN

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