COOK
書くことで食うこと。
山本一力さんが作家になった話。

第4回 ここに来たら、いつでも書ける。

糸井 はじめて、
「枚数を増やしてみたら」と言われたあと、
どのように書いていきましたか?
山本 六〇枚から八〇枚に、
二〇枚増やすということでしたら、
まだ話の筋立てを変えずにいけますから、
「じゃあ、やりますよ」っていうことで
ディティールを書きこんで、その一週間後ぐらいに
さっそく編集者のところに持っていったんです。
彼はまたすぐに打ち返してくれました。

原稿を見せるたびに編集者と会うのが、
文春の一階のサロンなんです。
当時のぼくは、新人賞はいただいているけれども、
まだまったくの無名で一作も載っていない・・・。
作家のタマゴに過ぎなかった。

その人間が受付に行くと、
サロンに案内されるんですよ。
まわりはみんな作家さんでしょう?
そんな中でコーヒーを飲んでいると、
「俺、ここで座っている身分じゃねえんだよな」
という、すごい居心地の悪さがあるんですよ。
糸井 何か時代劇風ですねえ、身分が(笑)。
山本 ほんとに。
とってもそんな身分じゃないんだから。
それでも扱いは同じようにされるし、もっと言えば、
ぼくは年じゅう行っているわけだから、
文春の人たちが顔を覚えてくれてるんですよ。
糸井 裏口から入った人みたいな……。
山本 まさにね(笑)。

そのサロンで、
八〇枚の原稿を、もう一度打ち返されました。
「これではまだ足りない。思い切って、
 六〇だ八〇だは忘れて、一二〇枚で書いてみなさい」
そう言われたんです。
六〇枚の倍。ニ本ぶんですよね。
その言葉には、嬉しいと同時に震えましたよ。
最初の倍の量となると、
話を思いっきり変えないとだめですから。
違う話に組み立てないといけない。

大事なプロットは生かしながらも
話の筋立ては思いっきり変えて、それで
一二〇枚を必死になって書いて、届けたんですよ。
今度はやっぱりかなりの時間がかかりました。
ちょうど編集者の方も稿了にかかるところだから
返事まで三週間ぐらい間があいたんですけど、
彼と会うと、
「いやあ、よくなりました」
そうやって、言われましてね。
糸井 うれしいですねぇ。
山本 「ほんとによくなりました、
 これでよくわかりました」
……うわぁよかった、やれたかなぁ、と思ったの。
そしたら、
「じゃあ、ここから削りましょうか」
と言われて、今度は削るってわけ。
「じゃあ、これから刈り込んでいきましょうか」
と。
糸井 (笑)はあ……。
山本 そこから今度刈り込みが4校ぐらいあった。
それが単行本の第一話
『損料屋喜八郎始末控え』という話なんですが、
ぜんぶで一年がかりで見てくれたんですよ。
糸井 はぁ、すごいなぁ。
見事に教育の話になっていますね。
山本 刈り込みが終わったら
『オール読物』に載りまして、
これは編集長にも非常に評価していただきました。

あとで編集者と話したことなんですけれども、
彼もそれを編集長に見せる時には、
ものすごい覚悟が要ったそうなんです。
最初の編集者と同じことなんですけども、
結局、編集者が編集長に見せるということは、
編集者としてはもう、
「自分では自信があります」
という作品を上に上げるという意味なんです。
そこでペケをくらったら、結局、
おまえは一体何をやっていたんだということに……。
糸井 そうですね、エージェントですものね。
山本 まさにそうですよね。
ほんとにだから、そこの目利きを、
眼力を問われるわけじゃないですか。
彼もそれだけに時間をかけて、また
その時間をかける度量が社にもあったんでしょうが、
それを見せて、編集長から
評価をいただいたときには嬉しかったでしょうね。

すごい高い評価をいただいたんです。
「ああ、よかったですね。
 一力さんが、こうやって書けるようになってきたら、
 このレベルのものを書いてきたら、
 もういつでも『オール』は掲載できます
ね」
といってくれたっていうのを聞かされたときには、
ぼくもとても嬉しかったですよ。
糸井 その方法で書き込んでいくと、
そのレベルのものというのが、
二度目には「書けるだろうかしら?」じゃなくて、
「書ける」になりますねえ。
山本 そうなんですよ。
しかも今は、ほんとに本物をやり続けていたら、
必ずそれはどこかで頭角が出てきますよという、
ここ何十年もなかった希有な時代に入ってますし。

二番目の話の第一校を出したときには、
一校目のレベルが全く違ってたんですよ。
二校目か三校目でその時の編集長がやめたのですが、
その時には、編集長からペケが返ってきていました。
「ここはもうちょっと何とかしたほうがいい」
そういう指摘ですから、それはもう、
骨格からしてダメという
ペケのつけかたではないんです。
糸井 内容に踏みこんで相談できる相手になったんですね。
山本 そうです。
内容について言ってもらえるレベルには、
行っていたんです。
ですから、リテイクで済んだんですね。
五稿ぐらいでゲラにまわりましてね、
ゲラにまわって「あぁよかったなぁ」という時期に
当時まだ仕事をしていたものですから、
アメリカに出張したんです。

ラスベガスで
コンベンションに出ている真夜中に、
編集長から電話がかかってきましてね。
「予定よりも一か月早く掲載することになったから、
 最後の校正を、ファックスで流します。
 そちらで赤字を入れて打ち返してくれよ」って。
……かみさんとふたりで出張してたから、ふたりで、
「あぁ、すげえなあ、作家さんみたいだなぁ」
って言いあっていました。
夜中の旅先にファックスでゲラを届けてもらえる、
というのが、すごい嬉しくてね。
身体がフワフワしちゃって(笑)。
糸井 「用がある人」になったんですよね。
山本 そうなんですよ、まさにそうなんです。
追っかけてもらえる身分になったんですよ。
あれは嬉しくて、ホテルの下へおりていって、
フロントでファックス受け取って、
ファクス持ったままカジノへ行きましてね。
何かもう……。
糸井 お守りみたいな(笑)。
山本 そうなんです。
「気持ちよく負けてこようか」なんて言って(笑)。
と言ってもそんな金があるわけじゃないから、
ささやかに二〇ドルのチップを買って、
かみさんと一〇ドルずつお互いに分けた。
ルーレットの台に向かいあいました。
かみさんは反対側、おれはこっち側。

ふたりとも、もう気がそこにないから、
俺は赤黒の赤にかけて、かみさんが黒にかけた。
……それじゃ、終わらないんですよ、幾らやっても。
三、四回やって気がついたの。
片方が勝つと片方が負けるから賭けにならない。
「俺たち何やってんだろう、おかしいな」
ってことになって、最後にもう何でもいいから
好きな番号に賭けようと言いました。
で、九番に賭けたんですよ。
そしたら、まんまと外れて、
二〇ドル、きれいになくなったんだけれども。
糸井 気持ちいいですね、でも。
山本 何かすんごい気持ちよくてね。
もう、お賽銭のような感じなのね。
糸井 酒を飲んで酔ったみたいなね。
山本 そう。もう、ラスベガスに、これは
ツキを呼んでくれたお賽銭をしてきたという気分。
そういう思いをして、ずっと
第一作目の『喜八郎』をつくってきました。
で、ほんとに教わったことというのは、
第一話がゲラに回るまでの間に
何度も何度も書き直したことなんですよ。

それまで編集者に言われ続けたことは
「今やらないと、先へ行ったらやれなくなる」。
糸井 なるほど。
山本 「あなたの書いたものが一作でも
 本になったり、よそに書きはじめたりすると
 つきあう相手の体温が変わってきて、
 相手がなかなか、ここまで厳しいことは
 言わなくなってきます。
 今だったら、どんなことでも言える。
 ここでやっとくことっていうのは、
 先へ行ったら一生の肥やしになるんだから、
 嫌がらずにやってください」

そう言われましてね。
糸井 すごいなあ。
山本 もとより、こちらも、もう、
嫌がるも何も、それっきゃないんですから、
必死で食らいつきました。
「こうやっとけば、“いざ鎌倉”というときに、
 すぐに出陣できて、恥をかかなくなりますから」
って、これはもう……財産です。

(つづきます)

2002-05-30-THU

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