第8回 やなことをやるのは、かっこわるい。
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山本 |
ぼくがどうしてもわからないのは、
「営業はイヤです」っていう話なんです。
若いやつに特に多いと聞くんですけれども、
それはもったいねぇなと思うんです。
ただ、クチで「もったいない」といくら説得しても、
きっと、だめでしょうね。
やってるやつが楽しんでやらないと。 |
糸井 |
そうです。
だから山本さん、
「俺がおもしろい営業を見せてやる」
と言いたくなるでしょう? きっと。 |
山本 |
そう。
実際見せてやるというよりも、
やっている時に楽しんでいるからね。
売りこみの電話をうれしげに平気でかけてると、
まわりが何かやるようになっちゃうんだよね。 |
糸井 |
あぁ。 |
山本 |
ぼくは実際、売りこみが楽しくて楽しくて。
ボロボロに断られるし、
断られるところを、みんな見ているわけ。
で、ああ、断られてもああやってかけるんだ、
というのがわかったみたいで、
今は若い人たちが売り込みの電話やってるらしい。
それをこの前聞いて、
「ああ、それはいい遺産残したなぁ」
と思ったんだけども。
本来的に、仕事っていうのはさ、
何でもかんでも、やっぱりポジティブに、ですよね。
クチで言ってもしようがないんだけども、
ほんとに楽しくやってたら、
顔は厳しい顔してやってても、
やってることから楽しさは、マネしたくなるよね。 |
糸井 |
答案用紙の答えみたいな何かがわかっても
何にもならないところがありますからね。
不正解を出しつづけていても、
解いてる時に楽しそうであるという方が、
人を動かすんですよ。 |
山本 |
うん、ほんとそこなんだよ。
書いた答えは、とりあえず答えなんだけれども、
そこへ至る道筋で、
「あなた、一体どういうやり方をやってたの?」
というそこを問うたほうがいいんですよ。
そういう意味では、
江戸時代のまともな大店はすごいです。
まともな大店の文献を調べれば調べるほどすごい。
いまに名前が残っていない、たとえば一時、
元禄年間だけ大店だったなんていうところを調べると、
みんな偉そうな商売をやってるの。
でも、ほんとに残ってきているところ、
例えば三越というのはいまだに残ってるでしょう?
あそこに流れているものというのを調べたら、
これはひとりふたり妙な人が出てきても、
それだけでどうにかならないんですよ。
持っちゃうんだ、これ。 |
糸井 |
集団の遺伝子が形成されているんですね。 |
山本 |
そう。まさに大店が人格を持っているんです。 |
糸井 |
すごいなあ。 |
山本 |
これはほんとすごいよね。 |
糸井 |
山本さんって、
探しているのかもともと身に備わっているのかは
知らないんですけど、小説の中で、倫理について
正面からは何も語っていないのに、
いつも倫理観みたいなものを軸にしている、
という気がしたんですよ。
ぼくはものすごい落語好きなんですが、
落語の中の登場人物の倫理観が
ぼくにとっての倫理観のベースなんですよ。
そこはちょっと、山本さんの小説に
似ているような気がしたんです。 |
山本 |
ぼくも落語気違いで、死ぬほど好き。 |
糸井 |
あの大衆文化みたいなものが、
ぼくの親や年寄り連中にとっては
倫理になっていたと思うんです。
それ以外のことは、何もなかったけど。
落語って、登場人物に
泥棒を平気で出すじゃないですか。
今の法律に照らし合わせたら泥棒は悪だけど、
いい泥棒と悪い泥棒がいるとか、
いいバカと悪いバカがいる。
あれだけ多様な存在を許して緩くしながら、
助けあうときは助けあうし、
バカにするときにはするし、あれ、いいなあ。
そう思っていたんです。
ああいうあり方が、ぼくにとっての
最後まで持って引っ越す倫理観だという気がする。 |
山本 |
ぼくもまったくそうだと思う。 |
糸井 |
山本さんの本を読んでいると、
さっきも、はからずもおっしゃったような
「一生懸命のやつは報われなきゃ」みたいな、
当たり前の倫理が通っているという。
あるひとりが勝手にすばらしい才能を持ってる、
なんてことは、根本的にあり得ないですよね。 |
山本 |
うん、 |
糸井 |
才能って、足されていくものだから、
極端にいうとだれでも持ってるじゃないですか。
それも、落語でわかるというか。 |
山本 |
しかも落語って、声高に説教垂れないし。 |
糸井 |
しない。
どんな存在でも、オールオーケーなんですよ。 |
山本 |
そう。
一本通っている筋っていうのは、
「でも、やなことをやってるのは、格好悪いな」
という、非常にわかりやすいけども
すごい幅の広い話なんですよ、これが。 |
糸井 |
すごいですよね。 |
山本 |
いいも悪いも
どっち側へ立ってもいいけど、
ほんとの答えはおまえが自分で出せよ、
と言ってるんだもんね。 |
糸井 |
そうそう。
ぼくは、たまたま上方落語は
あんまり聞いていなかったんだけど、
米朝のCDを見つけたので
はじめて上方落語を買って聞いたら、
これもまたいいんですね。 |
山本 |
米朝さんはすばらしいもん。 |
糸井 |
いいですねぇ。
ぼくは今まで、
ずうっと関東圏のばっかり聞いていたんです。 |
山本 |
そうなんだ。
あの「京の茶漬け」ってさぁ……
あ、ごめんね、こんな話をはじめちゃって。
落語になると夢中になっちゃうから。 |
糸井 |
落語を聴いているとつくづく思うことがあるんです。
知っていることを使って
すぐ金にするという連続じゃなくて、
楽しむということ、生活というのがまずあって、
ものすごい長い時間の中で、
あれもええな、これもええな、これはおいしいね、
これはまずいね、あんなやつがいたね、というのが
ぜんぶごちゃまぜになってトータルに入っていて、
「ああ、おもしろかったあ」
って言って死んでいくみたいな長屋のおっさんたち、
これは、ぼくの理想なんですよ。
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