COOK
書くことで食うこと。
山本一力さんが作家になった話。

第2回 小説界の新人教育。

糸井 さきほどおっしゃった
「ハードルの高いところを思いっ切り行こうと
 頑張ると、知らないうちに自力ができてる」
というお話、おもしろいですね。
そこを、詳しくうかがいたいんですけど。
山本 「オール読物」の新人賞をいただいて
はじめてわかったんですけど、あれは実は
すごくハードルの高いものだったんですね。

応募する側としては、
どこかの新人賞に受かりゃいいと思って
やっていたのですが。
「オール読物」の新人賞をいただいた時、
毎日新聞の学芸部の方から取材を受けたんです。
「『オール』だからインタビューするんですよ」
とおっしゃられて、あぁ、と。
その日のインタビューの別れ際にも、
「山本さん、『オール読物』は
 ハードルがすごい高いですから、
 これからめげずに頑張ってくださいね」
と言われたんです。

その言葉の意味を、その時には
あまりわかっていませんでした。
「俺は書けるものはいっぱいあるし、
 もう、明日にでも書けるんだから、
 ハードルが高くても行ける」
と、ぼくとしては、自信満々でしたから。
そのままやってみたら、とんでもなかったんです。
まったく歯が立たない。
もう、「出ると負け」の連続でしたから。
そこから二年かかったんですよ?
ぼくの作品が『オール』に載るまでには。
糸井 二年かぁ。
あそこの新人賞は、いわば
プロを作るための賞ですよね。
甲子園でいえば、プロになる選手と
趣味でやっている選手が混ざりあっている。
山本 ええ。
「甲子園まで行けばいいや」
というような人もいます。
糸井 その二種類は、もうぜんぜん、
野球でも何でも、体つきから違いますよね。
プロとアマチュアの差ってすごいけど、
どの分野でも、何よりも「動機」が違う。
山本 ほんと、そうですね。
そこのあたりはあまりわからなかったのですが、
たまたま新人賞を受賞したのが
「オール読物」で、よかったなぁと思いました。
そういう意味ではツイていました。
行ってから、ものすごく苦しんだんですよね。

編集者の人は、
「受賞作のレベルを超えていないことには、
 『オール読物』は一切掲載しません」
と言いますし、ある部分で
意図的に突き放してくれていたんですよ。
意図的だということも後でわかりましたけどね。
妙に優しい手の差し伸べ方なんか、一切ない。
「できたら持ってらっしゃい、
 来なきゃ来ないで、いいんですよ」
ぐらいのところですよね。
でもこちらは、小説を書いて借金返さなきゃと、
もう後ろに火がついていますから……
糸井 動機や姿勢としては、
山本さん、その時既に
「プロ中のプロ」ですよね?(笑)
山本 (笑)そういう意味においてはね。
「受かっちゃった」というレベルがあるのを
わかっていますから、編集者さんたちは
ぼくに対して期待してくれているわけですよ。
「あいつは、今まで
 やるやると言って何度も投稿してきた。
 ほんとに一つはやっちゃった。新人賞を取った。
 じゃあ、もう次の小説が出るよな」
ということで、新人賞を超えたら、
もう何でもできるだろうと
編集者さんたちは思っているわけです。
糸井 ご自分も多少、そのときは思っていましたよね?
山本 もちろんですよ。ぼくもそう思っていた。
ところが、実際に小説の世界をのぞいてみると
これが、ぜんぜん違っていました。
もう「まるっきりだめ」で、持っていったタマが
打ち返されるまでの時間も長いですし……。
糸井 整理するのも難しいんでしょうけど、
当時の山本さんの書いていたものは、
いちばん、何がだめだったのですか?
山本 だめな要素ですか。
新人賞を超えた人というのは、
言わばアマチュアなんですよね。
プロでも何でもないんです、新人賞なんですから。
そうすると、そこで欠けているものとは、
新人賞の地点から本当のプロに入っていくための
道のりとその技法、と言えばいいんでしょうかね。
それから、もっと言えば、心構えです。

こういう世界というのは
同じしっぽを引きずっていたのではだめなんです。
どこかで思いっ切り断ち切らないと。
最初はぼくもそんなことわかりませんから、
もう……ひたすら書くわけですけど。
糸井 「あ、わかった」みたいな時は、ありましたか?
山本 ぼくがほんとうに忘れられない言葉が
ふたつあるんですけれども。
ひとつは、呉服の大店について書いていた時です。
日本橋駿河台のほうをイメージして、
自分では大きなお店を書いていたつもりでした。

それを読み終わった編集者に、
「山本さん、読者をここのお店の前に
 ちゃんと連れていってやってくださいよ。
 お店を見せてあげてください」
そう言われたんです。
書いていたつもりだけど、
ぜんぜん伝わっていなかったんですね。
あぁ、そうか、と思いました。
ほんとに、頭、ぶちのめされた。

「描写がぜんぜん、できていなかったんだなぁ」
それまでは正直なところ、自分の中でも
載せてもらえないだとか何だとか、
いろいろなモヤモヤがあったのですが、
それがその一言で、フッと消えたんですよ。
あぁ、俺はその世界に行っていなかったんだ、
ということが、よくわかりました。
そこからは、もう一回精進しましてね。
糸井 あぁ、そうだったんですか。
山本 四月に新人賞をいただいたあと、
「うまくいったら
 『オール』に載るかもしれないから、
 がんばってください」
と声をかけていただいたのがその年の一二月です。
だから、もうその時点でも、
その一年が終わっちゃってたんです。

まわりの人たちは、
「新人賞取ったあとは、
 いつ載るんだよ、おまえの小説」
と言ってるんです。
ぼくのほうは、毎月ウソの日を提示するわけ。
「もうすぐです」
「今月は、こっちが遅くなっちゃって」
なんだかいろんなことを言ってじたばたして。
糸井 (笑)
山本 でも、もう年の暮れへ来ちゃうと……。
糸井 一番痛い時期ですねえ。
山本 そうなんです。
「どうなってんの、いいかげんにしろよ」
と言われていました。
ぼくは、もしかしたら載るかもしれないと
希望を言われていたから、すこし元気になってた。
でも、そこで精進したあとに渡した原稿が、
やっぱり、ペケだったんですよ。
糸井 へぇー。
山本 ペケでありながら、
なおかつペケになる明確な理由がないんですよ。
「これはまだ小説になっていません」
という、極めて突き放した言いかたをされた。

こっちもいろんな気持ちが渦巻いていたから、
かなり気色ばんで
おたがいに強い議論をやったんです。
編集者ときちんと話しあったのは、
その時が、はじめてでしたよ。

その議論の最後で、編集者に言われた言葉が、
とても驚いたふたつめの言葉だったんです。

「あなたの原稿を編集長に見せるということは、
 こちら側としてはもう最後の関門のところまで
 持っていっているんです。
 でも、そこでペケを食らったら、
 あなたはもう一回、ゼロからスタートして
 いちばん下から来なければいけなくなります。

 この原稿からは、そこまでの強い確信を持てない。
 だから、編集長には見せないんです」

そう言われたんですよ。
糸井 なるほどなぁ。
そこまで編集者の方に言わせたということは、
山本さんも相当必死で……。
山本 言いいました。
糸井 自分のほうから、
にじり寄っていったんですね。
山本 そう。もうほんとに……
糸井 裸になったわけですね。

(つづきます)

2002-05-20-MON

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