ヒット一本が、
どれだけうれしいか。

イチロー選手が、言葉で、人の心を打ち抜いた!

第5回 世間の人の評価を求めてしまったら。

イチロー ぼくの中のスランプの定義というのは、
「感覚をつかんでいないこと」です。


結果が出ていないことを、
ぼくはスランプとは言わないですから。

「打てる」という感覚があること。
バッターにとっては、
ピッチャーがボールを放した時点か、
もしくは放して近づいてくるところで、
打てるかどうかが決まるわけです。

バットがボールに当たる瞬間で
打てるかどうかが
決まるわけじゃないんです。

ピッチャーが投げている途中で、
もう打っている。
その感覚が、なかったんですよね。
当時のぼくには……って、
コレ、わけのわかんない話でしょう?
糸井 (笑)いえ、とてもおもしろいですよ。
自分の不調を、
ちゃんと見えていない時期の実感、ですから。
イチロー ぼくは、その、
九四年から九六年までの
自分が見えていない経験からは、
「客観的に自分を見なければいけない」
という結論に達したんですね。

自分は、今、ここにいる。
でも、自分のナナメ上には
もうひとり自分がいて、
その目で、自分がしっかりと
地に足がついているかどうか、
ちゃんと見ていなければいけない。

そう思ったんです。
糸井 それまでは、
客観的な自分は、いなかったんですか?
イチロー いなかったんですよ。

今は、自分のやっていることは、
理由があることでなくてはいけないと
思っているし、自分の行動の意味を、
必ず説明できる自信もあります。


だけど、それができるようになったのは、
九六年までの
苦い経験があるから、なんですよね。

自分が自分でなかったことに、
気づけたということ。

それはつまり、
「自分がやっていること自体よりも、
 世の中の人に評価をされることを
 望んでいた自分がいた」
ということです。

その経験がなくては、
今の自分は、ないんですよね。
客観的に見られる自分は、
いなかったでしょう。
糸井 どん底が、イチローを見るイチローを、
誕生させてくれたということですね。
イチロー そういうことです。
  (来週に、つづきます!)

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2004-03-26-FRI


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