イチロー |
ぼくの中のスランプの定義というのは、
「感覚をつかんでいないこと」です。
結果が出ていないことを、
ぼくはスランプとは言わないですから。
「打てる」という感覚があること。
バッターにとっては、
ピッチャーがボールを放した時点か、
もしくは放して近づいてくるところで、
打てるかどうかが決まるわけです。
バットがボールに当たる瞬間で
打てるかどうかが
決まるわけじゃないんです。
ピッチャーが投げている途中で、
もう打っている。
その感覚が、なかったんですよね。
当時のぼくには……って、
コレ、わけのわかんない話でしょう? |
糸井 |
(笑)いえ、とてもおもしろいですよ。
自分の不調を、
ちゃんと見えていない時期の実感、ですから。 |
イチロー |
ぼくは、その、
九四年から九六年までの
自分が見えていない経験からは、
「客観的に自分を見なければいけない」
という結論に達したんですね。
自分は、今、ここにいる。
でも、自分のナナメ上には
もうひとり自分がいて、
その目で、自分がしっかりと
地に足がついているかどうか、
ちゃんと見ていなければいけない。
そう思ったんです。 |
糸井 |
それまでは、
客観的な自分は、いなかったんですか? |
イチロー |
いなかったんですよ。
今は、自分のやっていることは、
理由があることでなくてはいけないと
思っているし、自分の行動の意味を、
必ず説明できる自信もあります。
だけど、それができるようになったのは、
九六年までの
苦い経験があるから、なんですよね。
自分が自分でなかったことに、
気づけたということ。
それはつまり、
「自分がやっていること自体よりも、
世の中の人に評価をされることを
望んでいた自分がいた」
ということです。
その経験がなくては、
今の自分は、ないんですよね。
客観的に見られる自分は、
いなかったでしょう。 |
糸井 |
どん底が、イチローを見るイチローを、
誕生させてくれたということですね。 |
イチロー |
そういうことです。 |
|
|
(来週に、つづきます!) |