イチロー |
バッターには、
積極的に打とうと思う体と、
我慢する体の、両方が要るんですね。
だけど、自分が
ものすごく調子がいいときというのは、
ストライクゾーンが、
異様に広がるんですよ。
どんな球でも、打てるような気がする。
で、実際にそれを打ちにいくと、
実は打てないんですよ。 |
糸井 |
なぜなんですか? |
イチロー |
打てるはずのない球を、
打てると思ってるから。
「打てるポイントを、自分で、
広げちゃっている」
ということなんです。
ほんとに打てるところは決まってるのに、
そこから外れたものを打とうとする。
だから当然、打てないんです。
その気持ちをガマンできると、
好調が維持できるかもしれないんですよ。 |
糸井 |
ただ、まるで本能であるかのように、
打てるか打てないかはギリギリで、
打てないかもしれないような球を、
がっついて食っていくような
心意気というか、
そういう身体を持ってないと、
あんな戦闘的なスポーツは無理でしょう? |
イチロー |
ええ。気持ちは大事です。
行く気持ちは、大事なんです。
でも、抑える気持ちも大事なんです……
そこのバランス、なんですよね。
待ちすぎても、簡単に打てる球を
見逃してしまうわけです。
そのバランスは、ほんとにむずかしいです。 |
糸井 |
そんなことをわかったのって、いつですか? |
イチロー |
自分のカタチができてからです。
九九年以降ですね。 |
糸井 |
すでに何年間も
大打者扱いされてた状態でも、
まだ、そんなことを
わかってなかったってことなんですか? |
イチロー |
ぜんぜん、わかってなかったですよ。
とにかく、
自分のカタチができない状態では、
いろいろなことを感じられないですから。
九八年までのぼくは、
そのカタチを探すのに精一杯だったんです。
世の中の人の中には、カタチが変われば、
それを「進化」と評価する人もいますけど、
ぼくの場合は「退化」だったんですよね。 |
糸井 |
変えていかなければならないような、
軟弱なものを持っていた、と。 |
イチロー |
そうです。
あれだけ変わるというのは、
「どんどん退化した証拠」ですね。
進化するときっていうのは、
カタチはあんまり変わらない。
だけど、見えないところが変わっている。
それがほんとの進化じゃないですかね。 |
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(明日に、つづきます!) |