糸井 |
自分のことを
つきつめて見つめている
イチローさんに対しての質問として、
これはいかがなものか
という気もするんですが、
次のような質問も、来ているんです。
「イチロー選手にとって、
野球はビジネスですか?
正直、
『今日はだるいな、野球行きたくねえな』
みたいな日も、あるのですか?
(二六歳女性)」
と……。
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イチロー |
行きたくない日、いっぱいありますね。
ただ、あの、
おそらく野球選手の中においては、
まだ、野球が趣味であるというような
感覚を持っているというか、
趣味という感覚のほうが強い人が、
パーセンテージでいうと多いんですよね。
もちろん、同時に
「これは仕事だ」という感覚も
持っています。
プロ選手ですし、
それで給料をもらうわけですから、
当然持っている意識です。
でも、ほとんどの選手は、やっぱり
「野球をうまくなりたい」
という気持ちが残っているんですよね。
ただ、それが何割かは
わからないんですけど。
少なくとも、
「百パーセント仕事」
の感覚になってしまったら、もう、
自分の技術を磨こうというふうには、
なっていかないですよ。
その人は、
ある程度の給料をもらうようになったら、
それで満足してしまいます。
「これでいいや」ってならない最大の理由は、
ぼくの場合は、野球が好きだから、なんです。
野球は失敗のスポーツです。
特に、打つことに関しては。
もう、いくら、どれだけ頑張っても、
実は、先は、ないんですよ。
守ること、走ること、状況判断……
それに関しても、やっぱり
打撃と同じように、先はないんですよね。
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糸井 |
そう思うのは、イチローさんが、
まぐれ当たりを期待するようなプレーを
していないからでしょうね。
あらゆる場面で、自分が何をすることが
最善の方法なのかを知っていて、
それをものすごい速度で
実行しているから
言えることなんだと思います。
「当たった!」なんてことは、
ないわけですよね?
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イチロー |
それは、ゼロではないですよね。
もちろん、たまにはありますよ。
打ちたくない球を、
勝手に打っちゃうときは、あります。
アタマでは止めたいと思っているのに、
体が打てると反応しちゃって、
ヒットになるんですね。
それは、しようと思って
やっていることではないんです。
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糸井 |
そういう「体の判断」って、
やっちゃいけないことなんですか?
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イチロー |
それがむずかしいんですよ。
バッターには、
積極的に打とうと思う体と、
我慢する体の、両方が要るんですね。
だけど、自分が
ものすごく調子がいいときというのは、
ストライクゾーンが、
異様に広がるんですよ。
どんな球でも、打てるような気がする。
で、実際にそれを打ちにいくと、
実は打てないんですよ。
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糸井 |
なぜなんですか?
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イチロー |
打てるはずのない球を、
打てると思ってるから。
「打てるポイントを、自分で、
広げちゃっている」
ということなんです。
ほんとに打てるところは決まってるのに、
そこから外れたものを打とうとする。
だから当然、打てないんです。
その気持ちをガマンできると、
好調が維持できるかもしれないんですよ。
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糸井 |
ただ、まるで本能であるかのように、
打てるか打てないかはギリギリで、
打てないかもしれないような球を、
がっついて食っていくような
心意気というか、
そういう身体を持ってないと、
あんな戦闘的なスポーツは無理でしょう?
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イチロー |
ええ。気持ちは大事です。
行く気持ちは、大事なんです。
でも、抑える気持ちも大事なんです……
そこのバランス、なんですよね。
待ちすぎても、簡単に打てる球を
見逃してしまうわけです。
そのバランスは、ほんとにむずかしいです。
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糸井 |
そんなことをわかったのって、いつですか?
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イチロー |
自分のカタチができてからです。
九九年以降ですね。
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糸井 |
すでに何年間も
大打者扱いされてた状態でも、
まだ、そんなことを
わかってなかったってことなんですか?
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イチロー |
ぜんぜん、わかってなかったですよ。
とにかく、
自分のカタチができない状態では、
いろいろなことを感じられないですから。
九八年までのぼくは、
そのカタチを探すのに精一杯だったんです。
世の中の人の中には、カタチが変われば、
それを「進化」と評価する人もいますけど、
ぼくの場合は「退化」だったんですよね。
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糸井 |
変えていかなければならないような、
軟弱なものを持っていた、と。
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イチロー |
そうです。
あれだけ変わるというのは、
「どんどん退化した証拠」ですね。
進化するときっていうのは、
カタチはあんまり変わらない。
だけど、見えないところが変わっている。
それがほんとの進化じゃないですかね。
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糸井 |
自分が、
「打つ感覚みたいなのをつかめた」
という場合には、
それがホームランであろうが
ヒットであろうが内野ゴロであろうが、
オッケーなんですか?
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イチロー |
ぼくの場合は、打つ感覚を
つかむ大きなポイントが
二回あったんですけど、
それはいずれも凡打です。
通常は、いい打撃をする、
ホームランを打つ、ヒットを打つ。
そういうことによって、
「あ、自分はこれで大丈夫だ」
と思うらしいんです。
ぼくもそうしてきたんですけど、
その感覚って、続かないんです。
長く続くもの、強いものというのは、
「凡打をして、
その凡打の理由がわかったとき」
なんですね。
こういう体の動きをしてしまったから、
こうなったんだ。
そういう答えが見えたときは、
かなり強い感覚ではないかと思っています。
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糸井 |
そういう、自分の体の動きの判定って、
どこで、いつしているんですか?
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イチロー |
一度目は、打って、
一塁に走ってくときです。
こう……逆戻しをするんですね、
頭の中で。
自分の打った感覚を逆戻しすると、
そのポイントが見えてくる。
大きなポイントのうちの一つは、
そうやって見えたものです。
そのときは、二割三分とかそんなんで、
ゲームの前には、
仰木監督に呼ばれて
野球教室をされたんですよ。
いくら仰木監督であったとしても、
選手にとって、
技術的な指導というのは、
「屈辱」ですよね。
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糸井 |
ええ。
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イチロー |
その凡打は、
四打数ノーヒットでむかえた
第五打席目、でした。
セカンドゴロ。
一塁に走っていく途中に
感覚がつかめていたもんだから、
ベンチに帰る途中、
ぼくはニタニタ笑ってるわけですよ。
それ見て、監督が怒った。
ぼくは、「おそらくこれだろう」という
答えが見つかったから、
うれしかったんですね。
次からはもう大丈夫だ、
明日からは大丈夫だ、と。
でも監督は、それは、怒りますよね。
「二割三分で笑ってんな」
ってなもんでしょう。
その次の日は、実は、
ともだちの結婚式でした。
名古屋のともだちが、その日ならば、
ぼくが出席できるからということで、
その日にしてくれていたんですね。
だけど監督に「練習しろ!」
って言われて……
ついに、結婚式に、
出られなかったんですよ。
千葉に行って、練習して。
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糸井 |
(笑)笑ったのが原因だった。
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イチロー |
それもあったでしょうね。
当時、三割五分打っていたら、
自動的に「好きなようにしろ」
ってなるんですけど。
二割三分じゃ、ものが言えないです。
野球だけじゃなくて、
実力の世界、勝負の世界っていうのは
みんなそうでしょうけど、
結果を出さないと
ものを言えない世界ですから。
そのときはもう、
何にも言えないんですよね。
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(明日に、つづきます)
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