『生きているのは
なぜだろう。』が
できるまで。
2019年5月15日、
『生きているのはなぜだろう。』という絵本が
刊行されます。
文は脳研究者の池谷裕二さん、
絵は映画界で活躍する田島光二さん。
制作年数は5年2か月。
発売まであと少し日がありますが、
この本の歩みを、まずは編集担当の視点から
読みものにして連載いたします。
このコンテンツの執筆は
菅野綾子が担当いたします。
第3回無理やり話す。
カナダのバンクーバーに住んでいるアーティスト、
田島光二さんに、
絵本の絵を完成まで描いてもらうには、
どうしたらいいのでしょうか。
田島さんはふだん映画のお仕事をしているので、
その合間をぬって作業していただく、
ということになります。
途中でなかだるみ、ストップ、
相手に丸投げ、恨み、ケンカ、音信不通、
そんな関係になる可能性も高いでしょう。
机の上に置いた私の視線の先には、
自分のパソコンだけがありました。
私はいっしょに編集を担当する永田に進言しました。
「これはやっぱり話さなきゃだめですよ!」
なるほど。と
永田は涼しい顔をしてみせました。
そうだね、と。
「無理矢理にでも毎週、
なんの進展もなくても、
田島さんとパソコンのテレビ電話で
会議をしましょう!」
時差を利用してちょうどいい時間帯を決め
(むこうは夕飯タイムこちらはお昼タイム)、
そこから毎週、ネット回線で互いをつなぎ、
おしゃべりすることにしました。
およそ4年間、毎週です。
ネタがないときでも、絵が進んでないときでも、
ベビーシッターをしているときでも、
途中で誰かが結婚しても、転職しても引っ越しても、
毎週毎週、PCで全員の顔をドアップにして、
話しつづけました。
出張中は出先から、休み中は家から、
移動中は駅前から、
友達でも親戚でもないのに
近況やらなんやらを話しました。
よくわからない関係になりました。
いま考えたら、田島さんはよくこれに
納得してつきあったなぁ、と思います。
現在はこの毎週ビデオチャットは終わってますが、
「来週からはしなくていいですね」という日は
さみしかったです。
田島さんはたいてい
「今週はここまで進みました」と
描きかけの絵を見せてくれました。
すごい絵がすごい手法で描かれて、
どんどんPC画面に出てきました。
それがいつもいつもたのしみでした。
でも、4年間毎週顔を見て、
やっぱりいちばんわかったことは、
田島さんのお人柄のすばらしさでした。
-
あかるい(絵は怖いのに)
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おもしろい(若いのに)
-
引き受ける(忙しいのに)
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はっきり言う(忙しいから)
-
根気がある(あたりまえかもしれない)
-
繊細さや難しさを見せない(オープンマインド)
もしかしたらこれは、
国際的に活躍する人たちはたいてい
身につけていることなのかもしれません。
ほんとうに仕事をしていて気持ちがよかったです。
この4年のあいだで、私たちは
いちども田島光二さんに会えなかったでしょうか?
いいえ、もちろんお会いできました。
でも合計5回くらいです。
こうして写真を並べてみると、
田島さんは、ご自身のお休みごとに
会いにきてくれたことがわかります。
そしてもちろん、
池谷裕二さんと田島光二さんが
直接対面する機会もやってきます。
けれども、それはまだ先のことになります。
絵を描きつづけた4年間のうち最初の1年は、
池谷さんの表現したいことを、
田島さんが理解するための時間でした。
池谷さんと田島さんもまた、
Wifi回線を通したビデオチャットで
「はじめまして」のご挨拶をしました。
「あの人は、感じがいいね!」
という見本のようなふたりです。
そのふたりが、すいすいと
パソコン画面の相手に向かって
理科系の話をしていました。
贅沢なとりあわせと話題で、
めちゃくちゃおもしろい時間でした。
そのときに私が取ったメモがこちらです。
このとき池谷さんから推薦されたのは
I.プリゴジンという科学者が著した
『混沌からの秩序』という本でした。
それを読み込んだ田島さんが
着想のために1冊のスケッチブックをつくりました。
ノートを見て、私の心臓は激しく鳴りました。
みなさん。
5月15日発売の絵本
『生きているのはなぜだろう。』を
もし手に取ることがあれば、いつの日か、
振り返って今日のページを見にきてください。
道のりが長かったことを
感じていただけると思います。
ほぼ日から、『かないくん』以来、
5年ぶりの絵本。生きているのは
なぜ
だろう。
この本には、答えがあります。