- 今村
- 「YouMe Nepal」のライくんも
よく言うんですが、
彼らは「恩返し」という言葉がすごく好きです。
- ──
- はい、ライさんへの取材で
とても驚きました。
- 今村
- 彼らのように
自分が育った大学に、
声をかけてくれた学友に、
そして日本に、大分別府に、
「恩返し」したいという気持ちを持ってくれる
卒業生が多いんです。
- ──
- 4年間できっと学生さんたちは
変わっていくんですね。
「YouMe」も「hoshiZora Foundation」も
団体名に日本語が入っていますし‥‥。
- 今村
- 「夢」と「星」ですね。
星はすなわち「希望」で、
すべての子どもたちが
星のように輝いてほしいという
願いがこめられています。
彼らはお互いを知らないと思うんだけど、
やっていることはすごく似ています。
- ──
- 日本という「アウェイ」にいて、
恩返しの気持ちが育つのは
不思議なことのような気がします。
APUのすごいところというか‥‥。
- 今村
- 「APUに来てよかった」
「人生で最高の選択だった」
と言ってくれる学生が多いんです。
こういった声はとてもうれしいんですが、
我々が、この意味を世の中に
うまく伝えられてないんですよ。
だから、結局は「就職率90何%」とか
「有名企業にこれだけの人が入りました」
と、ついつい言ってしまう。
偏差値もどうしても意識する。
結局、ぼくらは既成のものさしを
否定しきれないのです。
いま生きている社会がそうなんだから、
ある程度はしょうがない。
だけど「そうではない」生き方──つまり、
上場企業とか、公務員とか、
どこに入ったではなく、
どう生きているかが大事なのだということを
いろんな人に知ってほしいのです。
今はやっぱり、日本では、
成績順に、つまり偏差値に沿って、
大学を選ぶような傾向にある。
もしかしたら
医療が好きであれ、嫌いであれ、
関係なく医学部を受けている生徒がいるかもしれない。
「学校を選ぶ」ということでも、
ヒエラルキーを打破できていないのかなと。
親である大人の意識にしても、同じだと思います。
- ──
- 実際にはそういう行動を
取ってしまうのかもしれないのですが、
つきつめれば、親は
「好きなことをやって笑って生きてってほしい」
という気持ちではないかと思うのですが。
- 今村
- ‥‥そういえば最近、
APUの学生は
東京はじめ首都圏出身者が増えているんですよ。
福岡からやってくる学生生徒が最も多いんですが、
ここ数年、ものすごい勢いで
首都圏の生徒が増えています。
ぼくはいろんな学生のイベントに顔を出して、
よく話すんですが、そこでも
「東京です!」という学生と
よく会うようになりました。
これはたぶん‥‥東京では
大人の意識が変わってきてるんじゃないかなと
思います。
- ──
- それは、目覚めてきているのでしょうか。
- 今村
- ある種、グローバル化に対する、
自分たちの仕事の変化から実感する
危機感ではないかと思います。
「国際」とか「リベラルアーツ」とか
そんな名前がつく大学や学部が
東京には山ほどあります。
そのなかでわざわざ子どもを別府へやるって、
どういうことなんでしょうか?
実際、ご自身の職場に
APUの卒業生、留学生が入社してきて、
すごく優秀だったので、
APUに関心を持った親御さんもいらっしゃいます。
東京には
「自分の会社が長続きするとは思えない」
という方がけっこう多いと聞きます。
だから、自分の子どもには
本当の力をつけさせたいと思うんじゃないでしょうか。
自分の子どもにAPUをすすめる親御さんは
先が見えにくくなっていることに、
危機感をもたれているのでしょう。
- ──
- アウェイの環境に飛び込ませて
力をつけさせる、ということなんですね。
- 今村
- それでも、大人の子どもへの期待は、
「大学でいろんな力を身につけて企業で活躍すること」
かもしれません。
でもその親御さんの期待にあえて背いてでも、
自分の道を歩む子たちもいます。
- ──
- それは、起業家ですか?
- 今村
- そうです。
そうなる理由はたくさんあるのですが、
APUは留学生はじめ、キャリアデザインが
はっきりしている学生が多いので、
そのロールモデルを通して、
身近に感じることができるのが
大きな要因だと思います。
「これもありだ」という見本がたくさんあるのです。
- ──
- APUが建学されたときに、
こんなふうになることは
予想なさっていましたか?
- 今村
- そんなこと考えてなかったですね(笑)。
- ──
- 考えてない(笑)。
建学のときは何を考えてたんですか?
- 今村
- いやいや、どうやって毎日を過ごすかです(笑)。
漠然と、夢みたいなことは言っていましたよ。
たとえば、
「海外で紛争が起こったときに
同級生同士で話し合って、
問題解決が進んだらいいな」
とか、ちょっとアホみたいなことは(笑)、
夢として、考えてました。
別府の温泉につかりながら
「もう戦争はやめようとか、
そうなったらいいな」
なんて言い合っていました。
しかし、リアルにどうなるかなんて
まるで考えられませんでした。
そもそも大学をつくったときって、
日本政府の考え方は、
留学生は卒業したら国に帰す、
日本で就職しないのが主流でしたので。
- ──
- ええ?
- 今村
- いまでも基本はそうですよ。
留学生は、専門の学問と企業の業種が
リンクしていなければ
本来、働けないことになっているんですよ。
だからぼくたちも、建学のときは
「海外の現地法人のマネージャー」を
卒業生の人物像として描いていました。
- ──
- 帰して就職させるというのが着地点だったんですね。
- 今村
- それしか道がなかったから。
でも、APUの学生に
いろんな企業が興味を示してくれて、
実際採用してみたところ、
「これはいい学生だ」ということになって、
それが続いています。
だからこれは、学生自身が切り開いてくれた
道だと思います。
(つづきます)
2015-02-18-WED