ライくん、ジョシくんのプロフィール
フレンドリーが、仕事を生みます。
今村
別府市のある大分県は
留学生の人口比率が日本一なんです。
12万人の街に3,000人ですからね。
──
すごいですね。
今村
まぁ、うちの大学があるんだから、
多いに決まってるんです。
OIC(イスラム協力機構)は、
加盟国が57か国なんだそうですが、
その57か国の人たちが、いまAPUに何人いるか
計算してもらったことがあります。
482名でした。
全員がムスリム=イスラム教徒だとは
限らないのですが、
400名前後が学内で学んでいるということになります。
──
けっこう、すごい数ですね。
今村
つまり、それほどのムスリムが
街に住んでいるということですから、
いま、ムスリム・フレンドリーという
考えかたに着眼して
キャンパスづくりや街づくりにも活かしたいと
考えはじめたところなんです。
これが日本社会というか
コミュニティーというかが、
変わっていくひとつのモデルに
なれればいいなと思います。

日本の人口減少ははっきりしているわけです。
これからはそれを受け入れて、
“Small is beautiful”で
少ない人数なら
集まって住んだらいいじゃないかという
考え方もあります。
他方、いろんな人を受け入れて、
他民族多文化の社会をつくっていこうという
意見もあります。
どっちがいいかはわからない。

しかしあきらかに、
別府市は多文化共生の道を歩んでいます。
そうしようとしてきたというより、
事実そうなっているということですが。
そんな街から発信できることって、
これからもっともっとあるんじゃないかな。
「ムスリム・フレンドリー」「ハラールビジネス」
は、まさにそんな動きのひとつです。
──
ハラールというのは、
イスラム教のきまりを守って提供される
「食べられるもの」のことですよね。
提供できるレストランやホテルが少ない、という。
今村
そうです。
インバウンド(海外から観光客が来ること)で、
ムスリムの人を受け入れることが
前向きな課題になっています。
2020年の東京オリンピックでも
そういう問題が起こってくるでしょう。
いまムスリム、ムスリムと言われているのは、
それはビジネスチャンスだからです。
──
別府の観光に来る人たちに
ハラールが保証できたら、
それは大きなことですね。
今村
はい。それは
APUとしては、別府への恩返しとして
非常にうれしいことなんです。
それから、アウトバウンドでも
ハラールは大きい意味を持ちます。
いま大分県で、県産品をハラール化にして
輸出しようという動きが加速しています。
それにもぼくらはお手伝いができると思っています。
今、大分県と鶏の唐揚げをハラール化するとりくみを
APUの先生や学生たちがサポートしています。
フンドーキンというお醤油屋さんは、すでに
ハラールの醤油を開発しているんですよ。
──
それは、ムスリムの国々で売るために、ですか?
今村
そうです。
国内市場がどんどん小さくなるから、
海外が視野に入ってくるのは当然の流れです。
20億人いるムスリムの人口は、大きいと思いますよ。
──
しかもAPUは、
実際に「ハラール」で苦労した学生たちが
いるわけですから、すごい経験ですね。
今村
生活に根差し、足が地に着いた「ハラール」です。
彼らから学ぶことが
ものすごくたくさんあります。
──
APUの学生さんが
ほんとうに困っていることが、ビジネスになる‥‥。
今村
ベジタリアンも同じことですし、
華僑・華人研究もそう。
異文化のものがたくさん集まって
わかることがたくさんあります。

立命館アジア太平洋大学が建学してから
もう何年も経つのに、
ぼくたちはハラールのことを
真正面から考えてこなかったんです。
──
ムスリムの生徒がそれほどに多くても。
今村
それは、いい加減にあつかってきたということでは
ないのです。
逆に、多民族、多文化、多宗教ということに、
ナーバスになっているところがありました。

つまりそれはある宗教についてのアクションが
前に出ることによって、
他の宗教を刺激し、衝突が起こるんじゃないかという
心配があったのです。
信仰の自由はもちろん保障するけれども、
便宜を図ったりサポートをすることはしませんでした。
たとえばうちの大学には
ムスリムだけでなく、
クリスマスツリーを飾ることも、
讃美歌を歌うこともやらない。
冷たくしているわけでもなんでもないんだけど、
あまりの多文化環境の中で、
やむを得ずやってきたことです。

でも、ムスリムの先生たちと話をするなかで、
ぼくの考えは変わりつつあります。
きっかけは「ムスリム・フレンドリー」という
言葉です。
──
ムスリム・フレンドリー。
今村
「ハラール」のルールはそうとう厳しいものです。
この日本において
ハラールを完璧にやるのは不可能です。
だけど「フレンドリー」ならできるかもしれない。
部分的であれ、歩み寄ることで、
ムスリムの人たちを気持ちよくできる。
「フレンドリー」という考えは
ぼくらにとっては「あり」だ、そう気づいたんです。

これは大きな問題なので、
ぼくがAPUでパッと言って
パッと変わるわけではありません。
しかしこれは、
ムスリムだけの話じゃないと思うのです。
「フレンドリー」という考え方の問題です。

たとえば障がい者に対する私たちの考えは、
ほんとうにフレンドリーなんだろうか?
あるいは、ベジタリアンはどうだろう?
性差については、どうだろう?
「フレンドリー」という言葉によって、
我々はどんどん気づいていくのです。
──
「フレンドリー」になるためには、
きちんと勉強してなくてはならないし、
強くなければできないですね。
勉強の意味って、
もしかしたらそこかもしれない。
今村
うん、そう思います。
そういうマインドセットを見直そうというのが、
ぼく自身の課題でもあるし、
どうすればいいか、
いま、みなさんにも議論してもらっています。
こんな中で、
生活協同組合は、いま、
ハラール認証を取ろうとしています。
──
これまでは、食べもののハラール認証は
していなかったんですか?
今村
ハラールの食品を扱ってはいましたし、
ハラールのメニューは学食で出していました。
しかし、これは
ムスリム「フレンドリー」まで行っていない、
ムスリム「ウェルカム」ぐらいのものです。
なぜなら、食器は別でもないし、洗い場も別でもない。
ハラール認証を受けるためには、
食器も冷蔵庫も、洗い場も、別でなくてはなりません。
──
改装も必要かもしれないし、費用がかかりますね。
今村
これはぼくらじゃなくて、
生協の食堂の人たちがやろうと言ってくれました。
お金がないとか施設が対応できないとか
そういうことじゃないんですよ、
考え方を変えるということが大事なんです。
「フレンドリー」という考え方にもとづくとりくみは、
「言われてみたらそうかな」と
みんなが言ってくれました。
──
「言われてみたら、そう」
いいアイデアって、みんなそうです。
今村
「そんなことはぼくでも考えつくよ!」
というようなアイデアがいいアイデアですよね。
キリスト教の人はたまたま
日曜日に教会に行くからいいんだけど、
ほんとうはクリスマスだって休みたいらしいのです。
だからといって、
ただちにクリスマスを休校にできないにしても、
その気持ちを理解しようとすることはできます。

ムスリムにとっては、金曜日は大事な日で、
教会に行ってお祈りをしたいそうなんです。
教会に行くのに、大学の寮からバスで
30分かかります。
ところが、金曜日の3限目までに
必須科目が入って辛いと聞きました。
これもすぐにどうこうということでなく、
気持ちを理解したうえで、なにができるか考える。
それがフレンドリーです。
できないこともあるけど、できることはやろう。
ムスリムだけではなく、
さまざまなテーマを見いだして、やろう。
──
宗教だけじゃなく、いろんな生き方をしてる人が
実は日本の中にもいますからね。
今村
そう。
それでぼくらも学生も
成長するんじゃないかな、と思います。
──
自分が役に立つことや仕事が、
実はほんとうはゴロゴロあるということですね。
今村
そうすることが、将来
街の発展や自分の将来につながるわけですよ。

障がい者のフレンドリーについても、
障がい者が住みやすい町をつくることは、
権利や保証の問題だけではなく、
「障がい者の方々が観光に来やすい町になる」
ということです。
そういう発想って、すごくおもしろいと思うんです。
──
お母さんたちとかお年寄りとか、
苦労している人たちはいっぱいいると思います。
それこそ高齢化になりますし。
今村
別府市内で「うさぎととら」という
焼肉屋さんを経営している
韓国人の1期生がいるんです。
そのお店はすごく繁盛しています。
4号店を大分駅前に出店も決まってるとか。
彼は、いま、母子家庭のための
マンションを構想しているそうなんです。
別府で母子家庭の方たちが
苦労をしているのに気づいたからだそうです。
──
すごい。
今村
もちろん託児所もつくって、
キッズカフェをつくる。
キッズカフェにはカメラがあって、
お母さんたちがお茶しながら
子どもを見られるようにします。
すでに韓国にあるらしいですけどね。
そういうことを考える卒業生がいるんです。
──
そういうことに気づくセンスがあるのは、
やっぱり「よく見てるから」でしょうか。
今村
違いを違いとして認識したときに、
「これは違っているからおもしろい」
「誰も考えてない」「こうすればいい」
ということが、
いつも頭にあるのでしょうね。
──
自分がアウェイの世界に来て、
「違う」ことを意識し、
困った経験もあるからでしょうね。
今村
30年後に、いまある職業が
どれだけ残ってるかというと、
大半が疑わしいらしいです。
たしかに、そういう流れを感じます。
昔なかった職業も、今いっぱいある。
だから、あたらしい視点というのは
いつの時代も、とても大事なんだと思います。
──
今村さん、ありがとうございました。
21日、ほんとうにたのしみにしています。
今村
ありがとうございました。
(おしまい)

2015-02-20-FRI