イベント「活きる場所のつくりかた」より岸由二さんのおはなし小網代は、流域思考で自然をまもり、地球の危機も考える
第4回:
手入れをしなくていい自然はない。
岸先生の講演が終わり、
ここから今村正治さん、糸井重里をまじえた
3人のトークに移ります。
糸井
岸さんの話は、たぶん今日の中でも一番
説明の難しいお話だったと思うんです。
そうですね。
糸井
ざっくり言うと、ひとつは「流域思考」という
考え方そのものの説明であるし、
それからその考え方を応用して、
自然を守ったという物語でもあるし、
同時に岸先生が大学の先生でありながら、
これができちゃったという物語でもある。
おそらく今村さんも
はじめてお聞きになった話だと思いますが、
いかがでしたか?
今村
はじめて知ることばかりでしたが、
「丸ごと保全する」という考え方が
すごいなと思いました。
しかも自然を守るためには
人間がかかわらなくてはいけない、
ということが、目からうろこでした。
我々と一緒に
37億年の歴史を生きてきた
生態系の基本的な機能は
変えちゃいけないと思っています。
そのうえで大げさに言うと、
「われわれの文明は地球の気候を
 根本的に変えているので、
 人間が手入れをしなければ、
 地球とは暮らせません。
 手入れをしなくていい自然というのは、
 もうないんです」
ということなんです。
糸井
いったん手をつけちゃったものというのは、
ずっと面倒見なきゃいけない、
ということですね。
そういうことです。
糸井
今日出演された友森さん
犬やネコの話をしているときに、
雑談のなかで、友森さんが、
「犬は人間のつくったものだから、
 最後まで面倒を見なきゃいけないんだ」
と言ったんです。
そのとおりです。
私は進化生物学者ですから、
進化生物学の理論から言うと、
犬もネコも人間のお友達として
自然選択をかけてきたわけなので、
遺伝子の中に人間を持っているんです。
オオカミと犬はどこが違うかというと、
大きな違いは、オオカミはデンプンを
消化できないんです。
ところが犬は、犬メシ、犬マンマを食べてきましたから、
ちゃんとデンプンを消化します。
オオカミとは全然違うんです。
糸井
犬って、芋とか好きですもんね。
そうなんです。
人間がそういうふうにつくっていったんです。
糸井
それと、人間が一度関わった自然に
手をいれるかどうかっていうのは、
同じことですね。
そうです。
さきほどの小網代の谷の写真は、
谷が平らだったんですが、
みなさんそれが自然だと思うんです。
でも、大間違いなんです。
もともとは谷だからV字型をしていたんですよ。
農業をされてきた人が、
1,000年、1,500年かけて泥をためて、
平らにして、その状態で手放したんです。
もう1回自然に戻そうと思ったら、
あと100年くらいほっといてV字谷にするしかない。
糸井
本当の自然は、そっちですね。
はい。でも、そうなったら
今度はホタルなんかが来なくなるんです。
ホタルいっぱい、アユいっぱい、
というほうがよければ、
水田を基準にして手入れをしたほうがいい。
糸井
水田のある平らな景色というのは、人工的なもの。
その人工的なものに合わせて、
ぼくらの美意識ができたとしたら、
その人工的な美意識のほうに合わせるんですね。
そう。
みんなが気持ちのいい、
生きものがいっぱい暮らせる世界を
作ったほうがいい。
糸井
「盆栽をきれいにする」
みたいなことですね。
そうです。
糸井
それにしても、
この小網代の話もそうなんですけど、
「できる」と思ってスタートしたんですよね。
そこの感覚というのが、今日登壇した
みなさんに共通していることのように思います。
私はこれまで、
滅びていく自然に
終末期医療のように
付き合ってきたわけですけれども、
「小網代は守れるかもしれない」と、
行ったその瞬間から感じていました。
糸井
見てわかったんですか。
そうです。見てわかりました。
で、次はふるさとの鶴見川を
やりたくてしょうがなくて、
1985年に町田市に越して、
いろいろ準備をして、
1991年に鶴見川流域ネットワーキングという、
流域連携組織とNPOを作りました。
いま、私の仕事の中心は、そっちなんです。
それをやっていたら、
あちこちから声がかかるようになりました。
フィリピンにある水害多発の貧困地帯の
防災教育にも関わっています。
全部「小網代発」なんです。
糸井
今日の岸さんのお話は、
ある意味で、岸さんがなさっていることの
一部を紹介しただけですよね。
たとえば津波の被害があったとき、
海からきた水がどうやって
人間の社会をぶち壊していったのかと
いう研究もなさってますし。
それから、ニュースでは
あまり取り上げられませんが、
山で大雨が降ったときに
テレビカメラは、
雨の降っている場所に出かけていって、
「こんなに被害が」って言うんだけど、
実は雨の降っている場所そのものは被害がなく、
別の場所で起きている、
ということもおっしゃってましたよね。
そうです。
おととし、タイのバンコクで大水害があって、
新聞記事になったんですけど、
それを読んだ子どもが
「なんでバンコクはよく水害がおきるのに、
晴天なんですか」
と訊いて、記者が困ったという話がありました。
はるかかなた上流域にモンスーンが降らした雨が、
流域に下りてくるわけなので、
雨が降っている場所と
事故が起こっている場所って違うんですよ。
今年起きた広島の災害も、みんな
崖崩れ、土砂崩れと言っているけど、違う。
ちゃんと見てみたら、
小網代のちょうど半分ぐらいの
細長い流域があって、木がいっぱい生えている。
そこに降った雨が一気に落ちてきて、
あの水害を起こしているので、
あれ、崖崩れじゃなくて、
小流域土砂災害なんですよ。
糸井
それも流域。
流域の災害なんですね。
そうです。
糸井
これからニュースを見たりするときに、
なんとなく岸さんのことを想像しながら見たら
いいんじゃないかと思います。
ぼく、せっかく来たから、
メッセージを言わせてもらっていい?
糸井
どうぞ。
1799年12月14日。
ジョージ・ワシントンが死んだんです。
何で死んだかというと、
朝、非常に調子悪くて医者行くんですね。
すると医者はナイフを取り出して、
「今日は何色の液体を抜きますか」と言って、
スパッと手を切って血を抜く、
瀉血(しゃけつ)という治療をするんです。
糸井
ああ。
でもそれでも容体がよくならないので、
昼間、さらに2回血を抜いたそうです。
それでも容体が悪いので、
夜10時にまた血を抜いて、
結局、失血で死んでいるんですね。
でもこれは、「とんでもない治療」じゃなくて、
当時の治療法なんです。
19世紀初頭まで、
ヨーロッパの人たちは、
人間の体が細胞でできていると知らなかった。
マルクスとかダーウィンが出てくる直前に、
ようやくわかったんです。
みなさん、ちょっと調子悪いときに
お医者さんから
「血を抜きますか」とか言われたら嫌でしょ?

(会場笑)
でも昔の人はそれが治療だと思っていたんです。
人間を認識する科学的理論がまったく違うんです。
ところが地球と共存するということにおいて、
常識的な科学の世界というのは、
瀉血時代と同じで、
「大地は流域でできている」
という根本を応用せずに
横浜市で水害を止めるとか、
千代田区でどうこう、とか言うんです。
私は将来、
「流域を中心に生命圏と共存する文明になる」
と思っています。
それに500年かかるのか、
300年かかるかというだけのことなんです。
もう決まっているんだから、
乱暴なことはする必要もないし、
会社とも仲良くやりたいなと思っています。
今村・糸井
ありがとうございました。
(終わります)

2015-07-23-THU