岸先生の講演が終わり、
ここから今村正治さん、糸井重里をまじえた
3人のトークに移ります。
糸井
それも流域。
流域の災害なんですね。
ここから今村正治さん、糸井重里をまじえた
3人のトークに移ります。
- 糸井
- 岸さんの話は、たぶん今日の中でも一番
説明の難しいお話だったと思うんです。
- 岸
- そうですね。
- 糸井
- ざっくり言うと、ひとつは「流域思考」という
考え方そのものの説明であるし、
それからその考え方を応用して、
自然を守ったという物語でもあるし、
同時に岸先生が大学の先生でありながら、
これができちゃったという物語でもある。
おそらく今村さんも
はじめてお聞きになった話だと思いますが、
いかがでしたか?
- 今村
- はじめて知ることばかりでしたが、
「丸ごと保全する」という考え方が
すごいなと思いました。
しかも自然を守るためには
人間がかかわらなくてはいけない、
ということが、目からうろこでした。
- 岸
- 我々と一緒に
37億年の歴史を生きてきた
生態系の基本的な機能は
変えちゃいけないと思っています。
そのうえで大げさに言うと、
「われわれの文明は地球の気候を
根本的に変えているので、
人間が手入れをしなければ、
地球とは暮らせません。
手入れをしなくていい自然というのは、
もうないんです」
ということなんです。
- 糸井
- いったん手をつけちゃったものというのは、
ずっと面倒見なきゃいけない、
ということですね。
- 岸
- そういうことです。
- 糸井
- 今日出演された友森さんと
犬やネコの話をしているときに、
雑談のなかで、友森さんが、
「犬は人間のつくったものだから、
最後まで面倒を見なきゃいけないんだ」
と言ったんです。
- 岸
- そのとおりです。
私は進化生物学者ですから、
進化生物学の理論から言うと、
犬もネコも人間のお友達として
自然選択をかけてきたわけなので、
遺伝子の中に人間を持っているんです。
オオカミと犬はどこが違うかというと、
大きな違いは、オオカミはデンプンを
消化できないんです。
ところが犬は、犬メシ、犬マンマを食べてきましたから、
ちゃんとデンプンを消化します。
オオカミとは全然違うんです。
- 糸井
- 犬って、芋とか好きですもんね。
- 岸
- そうなんです。
人間がそういうふうにつくっていったんです。
- 糸井
- それと、人間が一度関わった自然に
手をいれるかどうかっていうのは、
同じことですね。
- 岸
- そうです。
さきほどの小網代の谷の写真は、
谷が平らだったんですが、
みなさんそれが自然だと思うんです。
でも、大間違いなんです。
もともとは谷だからV字型をしていたんですよ。
農業をされてきた人が、
1,000年、1,500年かけて泥をためて、
平らにして、その状態で手放したんです。
もう1回自然に戻そうと思ったら、
あと100年くらいほっといてV字谷にするしかない。
- 糸井
- 本当の自然は、そっちですね。
- 岸
- はい。でも、そうなったら
今度はホタルなんかが来なくなるんです。
ホタルいっぱい、アユいっぱい、
というほうがよければ、
水田を基準にして手入れをしたほうがいい。
- 糸井
- 水田のある平らな景色というのは、人工的なもの。
その人工的なものに合わせて、
ぼくらの美意識ができたとしたら、
その人工的な美意識のほうに合わせるんですね。
- 岸
- そう。
みんなが気持ちのいい、
生きものがいっぱい暮らせる世界を
作ったほうがいい。
- 糸井
- 「盆栽をきれいにする」
みたいなことですね。
- 岸
- そうです。
- 糸井
- それにしても、
この小網代の話もそうなんですけど、
「できる」と思ってスタートしたんですよね。
そこの感覚というのが、今日登壇した
みなさんに共通していることのように思います。
- 岸
- 私はこれまで、
滅びていく自然に
終末期医療のように
付き合ってきたわけですけれども、
「小網代は守れるかもしれない」と、
行ったその瞬間から感じていました。
- 糸井
- 見てわかったんですか。
- 岸
- そうです。見てわかりました。
で、次はふるさとの鶴見川を
やりたくてしょうがなくて、
1985年に町田市に越して、
いろいろ準備をして、
1991年に鶴見川流域ネットワーキングという、
流域連携組織とNPOを作りました。
いま、私の仕事の中心は、そっちなんです。
それをやっていたら、
あちこちから声がかかるようになりました。
フィリピンにある水害多発の貧困地帯の
防災教育にも関わっています。
全部「小網代発」なんです。
- 糸井
- 今日の岸さんのお話は、
ある意味で、岸さんがなさっていることの
一部を紹介しただけですよね。
たとえば津波の被害があったとき、
海からきた水がどうやって
人間の社会をぶち壊していったのかと
いう研究もなさってますし。
それから、ニュースでは
あまり取り上げられませんが、
山で大雨が降ったときに
テレビカメラは、
雨の降っている場所に出かけていって、
「こんなに被害が」って言うんだけど、
実は雨の降っている場所そのものは被害がなく、
別の場所で起きている、
ということもおっしゃってましたよね。
- 岸
- そうです。
おととし、タイのバンコクで大水害があって、
新聞記事になったんですけど、
それを読んだ子どもが
「なんでバンコクはよく水害がおきるのに、
晴天なんですか」
と訊いて、記者が困ったという話がありました。
はるかかなた上流域にモンスーンが降らした雨が、
流域に下りてくるわけなので、
雨が降っている場所と
事故が起こっている場所って違うんですよ。
今年起きた広島の災害も、みんな
崖崩れ、土砂崩れと言っているけど、違う。
ちゃんと見てみたら、
小網代のちょうど半分ぐらいの
細長い流域があって、木がいっぱい生えている。
そこに降った雨が一気に落ちてきて、
あの水害を起こしているので、
あれ、崖崩れじゃなくて、
小流域土砂災害なんですよ。
流域の災害なんですね。
- 岸
- そうです。
- 糸井
- これからニュースを見たりするときに、
なんとなく岸さんのことを想像しながら見たら
いいんじゃないかと思います。
- 岸
- ぼく、せっかく来たから、
メッセージを言わせてもらっていい?
- 糸井
- どうぞ。
- 岸
- 1799年12月14日。
ジョージ・ワシントンが死んだんです。
何で死んだかというと、
朝、非常に調子悪くて医者行くんですね。
すると医者はナイフを取り出して、
「今日は何色の液体を抜きますか」と言って、
スパッと手を切って血を抜く、
瀉血(しゃけつ)という治療をするんです。
- 糸井
- ああ。
- 岸
- でもそれでも容体がよくならないので、
昼間、さらに2回血を抜いたそうです。
それでも容体が悪いので、
夜10時にまた血を抜いて、
結局、失血で死んでいるんですね。
でもこれは、「とんでもない治療」じゃなくて、
当時の治療法なんです。
19世紀初頭まで、
ヨーロッパの人たちは、
人間の体が細胞でできていると知らなかった。
マルクスとかダーウィンが出てくる直前に、
ようやくわかったんです。
みなさん、ちょっと調子悪いときに
お医者さんから
「血を抜きますか」とか言われたら嫌でしょ?
(会場笑)
- 岸
- でも昔の人はそれが治療だと思っていたんです。
人間を認識する科学的理論がまったく違うんです。
ところが地球と共存するということにおいて、
常識的な科学の世界というのは、
瀉血時代と同じで、
「大地は流域でできている」
という根本を応用せずに
横浜市で水害を止めるとか、
千代田区でどうこう、とか言うんです。
私は将来、
「流域を中心に生命圏と共存する文明になる」
と思っています。
それに500年かかるのか、
300年かかるかというだけのことなんです。
もう決まっているんだから、
乱暴なことはする必要もないし、
会社とも仲良くやりたいなと思っています。
- 今村・糸井
- ありがとうございました。
(終わります)
2015-07-23-THU