- ライ
- みなさま、こんにちは。
私たちはユメ・ネパール・トラストの
おふたり‥‥ふたりです、すいません(笑)。
- 会場
- (笑)
- ライ
- 私はライ・シャラッド・チャンドラーと申します。
みなさま、「ライ君」と呼んでください。
私は2007年に日本の大分県にある
立命館アジア太平洋大学に入学するために
日本に来ました。
8年間ぐらい、日本にいます。
日本に来たきっかけは‥‥
小さいころ見た、ネパールの社会の教科書の
最後のページに書いてあった言葉、
「日本人はアリのように働きます」です。
アリのような働き方を体験しに、日本に来ました。
- 会場
- (笑)
- ジョシ
- 私は、同じく立命館アジア太平洋大学に入るため
2007年に日本に来た
ディネシュ・プラサッド・ジョシと申します。
名前が長いですので、ジョシと呼んでください。
ほんとうは男子ですので、
女性と間違えないように
「ジョシ」と呼んでください。
- 会場
- (笑)
- ジョシ
- 私が日本に来た理由を話します。
日本と私の国ネパールは、
同じアジア地域にあるんですが、
いろんな面で、日本は発展しています。
でも、私たちの国、ネパールはあまり
発展していないところです。
ですから、アジアのいちばんいいところに行って、
発展の理由は何なのかを知るために来ました。
- ライ
- すいません、
ひとつの質問をしたいと思いますけれども、
ネパールという国、知っている方々は
いらっしゃいますか?
(会場、手をあげる)
ああ、みなさん、ありがとうございます。
私が生まれましたのは、ネパールのなかでも東、
コタン群というところです。
エベレスト山のまっすぐ南のほうです。
- ジョシ
- 私は西ネパールのバジャンというところで
生まれました。
- ライ
- これは私たちの村の写真です。
上の写真はジョシ君のふるさとで、
下は私のふるさとです。
- 私たちが生まれたところは、
ほんとうに、いなかなんです。
家にいるヤギが、夜、トラに
食べられたりとかしています。
電気もないし、水も、
毎朝4時半ごろ、お母さんたちが起きて
1時間くらいかけて水をくんできます。
カトマンズからぼくのふるさとに行くのには
命懸けです(笑)。
そんな、いなかの場所に生まれました。
あんなにいなかに生まれても、
いま、日本にいて、
このようにみなさまの前に立っていられるには、
理由があります。
- ジョシ
- 私たちの人生が変わったのは、10歳ごろです。
ネパール全国から選ばれて、首都のカトマンズにある
「ブダニルカンタースクール」に入学しました。
この学校は、イギリス政府とネパール政府が協力して
1972年にできあがった学校です。
この学校には、全国の
いろんな背景を持っている子どもたちが通います。
総理大臣の子どもから、いなかの子どもたちまでが
勉強しにやってくるのです。
- ライ
- 10歳のとき、選ばれてこの学校に行きました。
それはすなわち、ネパールという国が、
私たちに投資してくれたということです。
私たちの親が、立派な学校の学費など
払えるわけがないので、
私たちの人生では、本来は無理なことでした。
学費から、食べ物から、住むところ、
ふるさとに1年に2回ぐらい帰るための帰省費まで、
国が奨学金を出してくれました。
- ジョシ
- この「ブダニルカンタースクール」にいたとき、
いろんな地域からやってきた
いろんな背景を持つ友達と会って、
自分たちの国のことを深く知りました。
また、自分たちの社会がどんな社会か、という
勉強にもなりました。
- ライ
- 私たちがいま、ここにいることは、
すべて国のおかげです。
ネパールが私たちをつくってくれました。
ネパールはいま、
経済的に見ても、政治的に見ても、
ほんとうに大変です。
私たちをつくってくれた国に対して、
国を私たちがつくっていかなくては、と思いまして、
「国に恩返し」という理念で、
YouMe Nepal Trustという団体を設立しました。
- ジョシ
- わたしたちの団体名は
「YouMe Nepal Trust」といいます。
「You」「Me」という言葉と「Nepal」という
言葉が入っています。それは、
YouとMeが協力したら
新しいNepalをつくることができます、
という意味が入っています。
また、私たちは日本に来て、
日本語の「夢」という言葉が大好きになりました。
私たちのドリームを込めたNPOですので、
この「YouMe」の名前をつけました。
ネパールで生まれた私たちは、日本に来て、
日本の教育制度について
知ることができるようになりました。
Youって日本のこと、Meってネパールのこと。
このYouとMeという言葉を使って、日本とネパールを
教育の分野でもつなげていこうという
思いも込めております。
- ライ
- そして、わたしたちがこの
「YouMe Nepal Trust」をつくった
おおもとの理由は、これです。
中東やマレーシアに出稼ぎに行くようすです。
毎日、1,700人もの人が出国して
出稼ぎに行っています。
みなさんが私のネパールのふるさとの村に行っても、
働ける世代の人はいません。
おじいちゃん、おばあちゃんか、
ちっちゃい子どもたちしかいないのです。
中東で、ネパールの若者は
1日最低12時間、そして1年間で365日間働きます。
月収は15,000円。
これはほんとうの事実なんです。
私がこの前、ネパールの実家に帰ったとき、
10歳まで一緒に勉強した友達がたまたま
マレーシアやカタールから帰ってきていました。
「あなたたちはロボットじゃないよね?
いつ休むの?」
って聞いたら、
「いや、休みはないです」
と言いました。
これはイギリスの『ガーディアン』という新聞が
「近代の奴隷制」と書いたほどのことです。
しかし私たちは、このことを
それぞれの国、つまり、
マレーシアや中東に対して
責めることはしたくないのです。
責めても意味がないと思います。
ほんとうの理由は、別のところにある。
それは何だろうと考えました。
ネパール全国に学校が35,000校あります。
しかし教育の質が、ほんとうにだめなんです。
まず、先生のモチベーションがほとんどゼロです。
残念ながら、能力も低い。
先生が遅刻したり欠席することが、当り前。
設備面においても、
学校に図書館やパソコンがあったら、奇跡です。
学校のマネジメントはどうでもいい。
誰も気にしていない。
そしてそのことに、政府は無関心です。
ネパールで、子どもたちが
学校に行きたくないわけがないんですよ。
行きたいんです。
ですから、1年生の入学率は95%です。
しかしそれが、6年生になったときには
60%がドロップアウトしています。
私たちも子どものころそうだったんですが、
いまも子どもたちは
毎朝1時間半~2時間ぐらい、山を登って、
おなかすいたまま学校へ行きます。
しかし学校へ行くと、先生がいない。
次の日に行っても先生がいない。
その翌日もいなくて、
たまに先生がいると、お会いできるわけです。
- 会場
- (笑)
- ライ
- ちっちゃい子どもは、
学校へ行く意味が、わからなくなります。
中学の卒業試験に毎年30万人が失敗し、
ほとんどの子どもはそこで
高校にあがることをあきらめて、
出稼ぎに行きます。
ここが、さきほどの「空港」の写真とつながっている、
ということがわかったのです。
いまの政府に、子どもたちをまかせておけない。
私はいま、日本にいます。
自分のふるさとの子どもくらいは
自分で責任を持とうぜ、ということで、
学校をつくることにしました。
2015-05-27-WED