第2回 先生、今日は来るかなぁ。
ライ
ネパールの政府の学校は全国にあります。
いまは35000校ぐらいあります。
この、政府の学校の特徴は、
先生が遅刻することです。
これはもう誰も問題とは思っていないです。
先生の遅刻は40年前から続けられている
文化なので、当たり前です。
ぼくもそういうふうに思っていました。

先生の能力は低く、
図書館は99.2%の学校にはありません。
図書館という言葉も、みなさん知りません。
学校のマネジメントも悪いです。

ネパールでは、先生たちが政府や政党と
つながりがあるので、
校長先生が「学校をよくしよう」とがんばっても
ほかの先生が党の方々に手をまわして
クビにしたりできます。

だから、学校を
マネジメントしようと思ってもできないです。
じつはぼくのお父さんも校長先生を
やっておりましたんですが、
同じことが起きました。
しっかりやろうとしたら、
違うところに行かされました。

そして、ほんとうにびっくりするのは
教育に政府が無関心だということです。
文部科学省がこれをぜんぜん問題と思っていないんです。
思っているかもしれないんだけど、
何も行動を見ることができません。
ほぼ日
みんなが問題だと思っていないし、
思っている人がいたら、排除される‥‥?
ライ
私たちは、日本に来て7~8年になりました。
日本だったら、どうですか。
ひとりの子どもがちょっと大きな問題を起こしたら、
それはもう新聞からテレビからラジオから、
すべて報道されて、話題の中心になる。
ネパールの新聞はもうそんなこと、
ぜんぜん問題にしません。
どんな大臣がどこに行って何を言った、
ニュースはそればかりです。
まだ憲法ができていないです。
そして、小学校の1年生の入学金が‥‥。
ほぼ日
高いんですか。
ライ
高いです。
6年生になったらみんな学校をやめちゃう。
ほぼ日
先生が学校に遅刻してくるようじゃ‥‥。
ライ
ぼくもそうだったんですが、
ネパールの田舎では、通学に
たいてい1時間半から2時間ぐらいかかります。
学校は10時から。
家は8時頃出発します。
朝ごはんとかもあんまり食べずに出ます。
山をてくてく登って学校に行くと、
先生がいない。
週に3~4回ぐらい先生がいない。
またすぐ家に戻らなきゃいけなくて、
1時間半ぐらいかけて山を降ります。
そうすると、やっぱり
「今日も先生来てないかな」
と思うようになってしまいます。
ほぼ日
お父さんお母さんも、
もう行かなくていいんじゃないかな、と
思ってしまいますね。
ライ
お父さんとお母さんが
基本的に勉強していないので、
学校のことはわからないんです。
先生に任せているんです。
何もわからないので、
先生たちに厳しくすることもありません。
ですから、子どもたちは
学校に行く意味がわからなくなります。
読み書きができればいい、それだけです。

考える力とか、生きていくための技術、
そこまで学校で身につけることはありません。

いちばん大きな壁は、高校にあがることです。

中学の最後に、全国で
中学校卒業試験があります。
この試験に合格しないと、高校へ行けないのですが、
毎年30万人ぐらいの生徒が失敗します。
ほぼ日
毎年30万人が失敗する試験ですか。
ライ
失敗です。高校に行けなくて、
また来年を待たないといけない。
来年、また同じ試験を受けるんですが
また80%が失敗します。
ただし、私立の学校に通っている子どもたちなら
確率が高くなります。
逆に、80%ぐらいが合格します。
ほぼ日
すごい差ですね。
ライ
ネパールは基本的にそうなんですけれども、
私が子どもの頃通っていた学校は
小中高が同じ場所にあります。
私の母校の子どもたちが
2年前に試験を受けたときは、
中学の卒業生が70人いましたが
合格者はゼロでした。

みんなが高校に行けなかった。
また同じ学校で1年間待って、
同じ先生、同じ学校、同じ教え方、同じ本、
結果は同じ。
試験の前からあきらめています。
ほぼ日
その試験はすごく難しいんですか。
ライ
いや、ぜんぜん難しくない。
100点満点で32点取ればいいんです。
ほぼ日
だから私立の子はみんな行けるんですね。
ライ
政府の学校に通っていた子どもたちは
読み書きしかできないので、
試験に出ることを教わっていないんですよ。
先生方も試験を受けたら
失敗する可能性もあると思います。
ほぼ日
そんなに‥‥。
ネパールではどうやって先生になれるんですか。
ライ
試験などもありますが、
たとえば10年、15年ぐらい前に
先生になった方々がどういう経緯で先生になられたのか、
ぼくたちにはちょっとわかりません。
読み書きできる人がそんなにいなかったこともあり、
高校出た人々は簡単に先生になれた、という
状況もあったと思います。
いろんな党とつながりもあるので、
その党の力を借りて先生になるというケースも
あったことでしょう。

ぼくは、帰国したときに
母校の合格数がゼロってどういうことだ、
と思って、校長先生に聞きましたら、
「今回は試験の会場で試験監督が厳しく
 カンニングさせることができませんでしたので、
 今回はみんな失敗しました」
と言いました。
以前はみんなカンニングができていたんですが、
今回はそんなことがありましたので、
という答えです。
反省など、何も、まったく、していない。
やっぱり問題は大きいです。

いまお話したことは、
「私たちがなぜ学校をつくるのか」
というひとつのストーリーです。
こういった現状がある政府に、
私たちの子どもたちの将来を任せてはいけない。
任せたら、
いまの子どもたちのお父さんにとって
アラビアやマレーシアが
目的地だったように、
いまの子どもたちも同じ道、
同じ生き方しないといけないんです。

私が生まれたのはコタン郡の小さな村です。
首都から遠い場所。
ジョシくんが生まれたのは、反対側のバジャンで、
そこも首都から遠い場所。
ぼくたちは、10歳のときに
カトマンズの真ん中で出会いました。

そうです、10歳で、
ぼくたちの運命が変わりました。
ぼくたちは入学試験に合格して、
小学4年生から
カトマンズにある、いい学校に
通うことができました。
ほぼ日
4年生で?
ライ
はい。その学校は4年生に入学するんです。
イギリス政府と、
ネパールの当時の王様が一緒になって
つくった学校です。
国際レベルの学校でしたので、
入学はなかなか難しかったんです。
何万人が試験を受けて、たった99人が選ばれます。
その中の33人が、奨学金をもらうことができました。
その33人の中で、ジョシくんは、
ジョシくんが生まれたバジャン郡の受験生として、
ぼくは東のコタン郡からの受験生として入学し、
奨学金をいただきました。
ぼくたちは、ともに、お父さんやおじいさんが
校長先生であり、
学校ではなく、家で
勉強をすることができたのです。
(つづきます)

2015-02-03-TUE