第3回 とりあえず、スタートしよう。
ライ
ぼくたちの学校で大切にしようと思ったことは、
時間を守って、約束も守るということ。
それから、日本で学んだ
あることを実行しようと思いました。

それは、自分の学校は自分で掃除する、
ということです。
身分の違いもありますし、
ネパールでは、みんなで掃除することは
想像外なんです。
だから、誰か掃除する人を
雇うことになってしまいます。
でも、子どもたちと先生がみんなが
1日15分ぐらい学校の掃除をすれば
お金もかからない。
そのことをぼくらは、実行しようと思いました。

このようにして、日本はぼくたちに
大切なことをたくさん教えてくれました。
学校の名前も「ユメ小学校」ですから、
日本語が入っていることを子どもたちは知っています。
日本の文化についても
わかってほしいとぼくたちは思っています。
ですから、簡単なあいさつだけ
日本語でできるように教えようと思いました。
ジョシ
私が前回行ったときに、
クラスを見学していると、生徒たちが
「こんにちは、先生」とか、
「さよなら」とか言ってくれました。
それは、ほんとうに感動しました。
ほぼ日
ジョシさん、ネパール人だけど、
日本語の先生だと思われてるんですね。
ライ
みんなけっこう発音がうまいですよ。
「私にも日本語を教えてください」
と、ずっと言ってきます。

自分の学校が日本とつながりがあるということ、
日本人のみなさんの支援がたくさんあることは、
彼らはたいへんよくわかっているんです。
ですから、ほんとうに日本のことが、
何でも好きです。
ですので‥‥子どもたちそれぞれに、
日本の名前、ニックネームをつけたりしました。
「タナカ」とか。
ほぼ日
ええ?
君は「タナカ」、君は「ヤマダ」とか?
ライ
そう、ジャパニーズ・ネームです。
そのプレゼントは、お金かかりません。
でも、それはほんとうに子どもたちが喜びます。
大好きな、お世話になっている日本の名前を
もらえたということですから。
タダの喜び、無料でもらえる喜びです(笑)。
ほぼ日
そうですね。
親しみももらえるし、
日本にとってもうれしいです。
ライ
私たちのやろうとしていることは
日本の新聞に取材してもらいました。
それを読んでくれた方が、寄付をしてくれました。
最初に木や竹でつくった校舎は古くなり
つぶれそうだったのですが、
次はその寄付金で
コンクリートの校舎をつくりました。
現在は6人の先生がいます。
そのうちのひとりはボランティアの先生です。
保育園から小学4年生までの
105人の生徒たちがいます。
ほぼ日
ゆくゆくは、中学生に
あがっていきますね。
ライ
そうですね。
最初は小学校だけつくろうと思っていたんですが、
そこでしっかり勉強した子どもたちが
その後どうするのか、ということが
次に浮かびあがりました。
選択肢としては、政府の学校しかありません。
政府の学校に行ったら、
レベルが落ちてしまう。
だから私たちは、もし学校をはじめるんだったら
高校までつくらないと意味がありません。
子どもたちの命を預かって中途半端に
途中で投げ出すことはできません。
だから、高校までつくりたいと思っています。

いまはPTAもありますし、
校舎は2階建て。
9教室があり、レンガ造りです。
ほぼ日
レンガ、カッコいいです。
村の中ですごく目立つ建物になりますね。
ライ
「村」だけでなく「郡」で目立ちます。
こんなに大きい建物、校舎、しかもレンガ、
郡ではじめてのことです。
見た目としても歴史的なんですよ。
ジョシ
最初は誰も信じていなかったのに。
ほぼ日
工事の人たちも
そんな建築物ははじめての体験なんですね。
ライ
はい。何もかもはじめてのことです。
でも最近は、逆に、
日本の小学校や中学校に行って、
ネパールの学校の紹介をすることも多くなりました。
それはなぜかと言いますと、
日本人の子どもたちは、
「学校というものはきれいな校舎があって、
 運動場が広く、水泳プールがあり、
 図書館、パソコン、遊具が全部ある」
と思っています。
プールがないと「これ、学校?」と聞かれます。
ネパールではプールがある学校はたぶん
2、3校しかありません。しかもそれは私立です。
日本の子どもたちに、ネパールの学校のことや
生徒の話をすると、いま当たり前と思っていることを
大切にしはじめます。
だから、いろんな学校に行って、お話をしております。
ジョシ
そうすると、今度は、
日本の子どもたちに
ネパールに対する気持ちが芽生えはじめました。
いっしょにいろんなイベントに参加したり、
日本人の高校生と大学生たちを
ネパールに連れていったりしています。
ライ
交流するにはやはり、言葉が必要です。
ぼくらの学校に、英語のできる先生に
来ていただきたいのですが、
村には、英語のできる先生いないので、
カトマンズから連れてこなくてはなりません。
しかしなかなかそんな田舎に行きたい先生なんて
いないんです。お金もすごくかかる。
それは今後の大きな課題です。
そして、この学校は経済的に自立して、
持続的に前に進んでいくことも、
もうひとつの課題です。

ほぼ日
おふたりはなぜ日本に留学されたんですか。
ライ
ふたつの理由があります。
日本のことを知ったのは、社会科の教科書でした。
教科書に「ネパールの仲がよい国々の紹介」が
ありまして、その中のひとつが日本でした。
まだ明治時代あたりの日本の写真が
載っていたと思います。
それが最初の記憶です。
7~8歳頃のことでした。

当時、日本はアジア唯一の先進国と
言われていました。
なぜ日本はそんなに発展したのかというと、
日本人はすごくまじめで
「蟻のようにはたらきます」
と教えてもらいました。
蟻のようなはたらき方って、わかりませんでしたので、
そのときに
「蟻もはたらくんだ!」
といって驚きました。
そのフレーズは、ずっと謎でした。
それを、見てみたい。
どうしても日本に行ってみたい気持ちになりました。

ふたつ目の理由は、高校3年生のときです。
日本の文部科学省に
私の学校の学生たちが招待されました。
東京や、京都、広島、
日本の発展した部分と、
歴史のある場所や文化を紹介してもらいました。
それがすごく印象的だったのです。

私たちの学校に通った人たちのうち
8割ぐらいの人はみなさん
当然のようにアメリカに留学します。
私たちは大学を選ぶときになってはじめて
留学先はアメリカだけではなく日本もありますよ、
というふうに感じました。
英語基準で学べる日本の大学は
その当時APU(立命館アジア太平洋大学)しか
なかったので、そこを受験することにしました。
ほぼ日
英語はわかっても
日本語はまったくわからないですよね。
ジョシ
はい。日本語はまったくできませんでした。
私たちの同級生のほとんどは
アメリカに行って、
ヨーロッパやアメリカの教育制度を学んで、
西欧のシステムに慣れて帰ってきます。

だけど私が思ったのは、
日本もアジアのひとつの国ですから、
アジアのなかのいい国へ行って、
アジアの価値観とかいい教育制度を学んだほうが、
国に帰ってからも実行される可能性が
高いんじゃないかということでした。

日本を選んだ理由は、ほんとうに、
同じアジアなのに、
技術的に、経済的に、文化的にも
ナンバーワンという国になっていたということです。
ネパールは、いろんな面で、
21世紀なのに19世紀みたいに動いている。
外から自分の国、自分の社会を学ぼうと思いました。
(つづきます)

2015-02-05-THU