- ライ
- ぼくたちの学校で大切にしようと思ったことは、
時間を守って、約束も守るということ。
それから、日本で学んだ
あることを実行しようと思いました。
それは、自分の学校は自分で掃除する、
ということです。
身分の違いもありますし、
ネパールでは、みんなで掃除することは
想像外なんです。
だから、誰か掃除する人を
雇うことになってしまいます。
でも、子どもたちと先生がみんなが
1日15分ぐらい学校の掃除をすれば
お金もかからない。
そのことをぼくらは、実行しようと思いました。
このようにして、日本はぼくたちに
大切なことをたくさん教えてくれました。
学校の名前も「ユメ小学校」ですから、
日本語が入っていることを子どもたちは知っています。
日本の文化についても
わかってほしいとぼくたちは思っています。
ですから、簡単なあいさつだけ
日本語でできるように教えようと思いました。
- ジョシ
- 私が前回行ったときに、
クラスを見学していると、生徒たちが
「こんにちは、先生」とか、
「さよなら」とか言ってくれました。
それは、ほんとうに感動しました。
- ほぼ日
- ジョシさん、ネパール人だけど、
日本語の先生だと思われてるんですね。
- ライ
- みんなけっこう発音がうまいですよ。
「私にも日本語を教えてください」
と、ずっと言ってきます。
自分の学校が日本とつながりがあるということ、
日本人のみなさんの支援がたくさんあることは、
彼らはたいへんよくわかっているんです。
ですから、ほんとうに日本のことが、
何でも好きです。
ですので‥‥子どもたちそれぞれに、
日本の名前、ニックネームをつけたりしました。
「タナカ」とか。
- ほぼ日
- ええ?
君は「タナカ」、君は「ヤマダ」とか?
- ライ
- そう、ジャパニーズ・ネームです。
そのプレゼントは、お金かかりません。
でも、それはほんとうに子どもたちが喜びます。
大好きな、お世話になっている日本の名前を
もらえたということですから。
タダの喜び、無料でもらえる喜びです(笑)。
- ほぼ日
- そうですね。
親しみももらえるし、
日本にとってもうれしいです。
- ライ
- 私たちのやろうとしていることは
日本の新聞に取材してもらいました。
それを読んでくれた方が、寄付をしてくれました。
最初に木や竹でつくった校舎は古くなり
つぶれそうだったのですが、
次はその寄付金で
コンクリートの校舎をつくりました。
そのうちのひとりはボランティアの先生です。
保育園から小学4年生までの
105人の生徒たちがいます。
- ほぼ日
- ゆくゆくは、中学生に
あがっていきますね。
- ライ
- そうですね。
最初は小学校だけつくろうと思っていたんですが、
そこでしっかり勉強した子どもたちが
その後どうするのか、ということが
次に浮かびあがりました。
選択肢としては、政府の学校しかありません。
政府の学校に行ったら、
レベルが落ちてしまう。
だから私たちは、もし学校をはじめるんだったら
高校までつくらないと意味がありません。
子どもたちの命を預かって中途半端に
途中で投げ出すことはできません。
だから、高校までつくりたいと思っています。
いまはPTAもありますし、
校舎は2階建て。
9教室があり、レンガ造りです。
- ほぼ日
- レンガ、カッコいいです。
村の中ですごく目立つ建物になりますね。
- ライ
- 「村」だけでなく「郡」で目立ちます。
こんなに大きい建物、校舎、しかもレンガ、
郡ではじめてのことです。
見た目としても歴史的なんですよ。
- ジョシ
- 最初は誰も信じていなかったのに。
- ほぼ日
- 工事の人たちも
そんな建築物ははじめての体験なんですね。
- ライ
- はい。何もかもはじめてのことです。
でも最近は、逆に、
日本の小学校や中学校に行って、
ネパールの学校の紹介をすることも多くなりました。
それはなぜかと言いますと、
日本人の子どもたちは、
「学校というものはきれいな校舎があって、
運動場が広く、水泳プールがあり、
図書館、パソコン、遊具が全部ある」
と思っています。
プールがないと「これ、学校?」と聞かれます。
ネパールではプールがある学校はたぶん
2、3校しかありません。しかもそれは私立です。
日本の子どもたちに、ネパールの学校のことや
生徒の話をすると、いま当たり前と思っていることを
大切にしはじめます。
だから、いろんな学校に行って、お話をしております。
- ジョシ
- そうすると、今度は、
日本の子どもたちに
ネパールに対する気持ちが芽生えはじめました。
いっしょにいろんなイベントに参加したり、
日本人の高校生と大学生たちを
ネパールに連れていったりしています。
- ライ
- 交流するにはやはり、言葉が必要です。
ぼくらの学校に、英語のできる先生に
来ていただきたいのですが、
村には、英語のできる先生いないので、
カトマンズから連れてこなくてはなりません。
しかしなかなかそんな田舎に行きたい先生なんて
いないんです。お金もすごくかかる。
それは今後の大きな課題です。
そして、この学校は経済的に自立して、
持続的に前に進んでいくことも、
もうひとつの課題です。
- ほぼ日
- おふたりはなぜ日本に留学されたんですか。
- ライ
- ふたつの理由があります。
日本のことを知ったのは、社会科の教科書でした。
教科書に「ネパールの仲がよい国々の紹介」が
ありまして、その中のひとつが日本でした。
まだ明治時代あたりの日本の写真が
載っていたと思います。
それが最初の記憶です。
7~8歳頃のことでした。
当時、日本はアジア唯一の先進国と
言われていました。
なぜ日本はそんなに発展したのかというと、
日本人はすごくまじめで
「蟻のようにはたらきます」
と教えてもらいました。
蟻のようなはたらき方って、わかりませんでしたので、
そのときに
「蟻もはたらくんだ!」
といって驚きました。
そのフレーズは、ずっと謎でした。
それを、見てみたい。
どうしても日本に行ってみたい気持ちになりました。
ふたつ目の理由は、高校3年生のときです。
日本の文部科学省に
私の学校の学生たちが招待されました。
東京や、京都、広島、
日本の発展した部分と、
歴史のある場所や文化を紹介してもらいました。
それがすごく印象的だったのです。
私たちの学校に通った人たちのうち
8割ぐらいの人はみなさん
当然のようにアメリカに留学します。
私たちは大学を選ぶときになってはじめて
留学先はアメリカだけではなく日本もありますよ、
というふうに感じました。
英語基準で学べる日本の大学は
その当時APU(立命館アジア太平洋大学)しか
なかったので、そこを受験することにしました。
- ほぼ日
- 英語はわかっても
日本語はまったくわからないですよね。
- ジョシ
- はい。日本語はまったくできませんでした。
私たちの同級生のほとんどは
アメリカに行って、
ヨーロッパやアメリカの教育制度を学んで、
西欧のシステムに慣れて帰ってきます。
だけど私が思ったのは、
日本もアジアのひとつの国ですから、
アジアのなかのいい国へ行って、
アジアの価値観とかいい教育制度を学んだほうが、
国に帰ってからも実行される可能性が
高いんじゃないかということでした。
日本を選んだ理由は、ほんとうに、
同じアジアなのに、
技術的に、経済的に、文化的にも
ナンバーワンという国になっていたということです。
ネパールは、いろんな面で、
21世紀なのに19世紀みたいに動いている。
外から自分の国、自分の社会を学ぼうと思いました。
(つづきます)
2015-02-05-THU