- ほぼ日
- 最初の学校を建てられた2011年、
おふたりは当時、
APU(立命館アジア太平洋大学)の
学生さんだったんですか?
- ライ
- そうですね。
そのアイデアが出たのは、
僕が卒業する2~3か月前でした。
ふたりとも、子どもの頃から
国に奨学金をもらって、
都会のいい学校で勉強する機会を
持つことができました。
自分たちの社会に
恩返ししたいという気持ちがいつもありました。
でも、いつ恩返しをするのか、
どうやって恩返しするのか、
考えていたけどわかりませんでした。
APUに入って、
いろんな国の友だちと出会いました。
たくさんのことを学び、
卒業するまでに、自分たちの意識も変わりました。
「いまはじめることは、いいことなんじゃないか」
と思えてきたわけです。
- ほぼ日
- 「学校を建てよう」というアイデアは
何かきっかけがあったんですか?
- ライ
- 私たちは日本に来て、
こんなにすばらしい教育を受けることができた。
ちょうどその頃、自分の村の
中学校の卒業試験の結果を耳にしました。
結果はご存知のとおり悲惨なものでした。
それはすごく‥‥、自分と比べると
ほんとうに悲しくて悔しくて‥‥、
なぜ、10歳のあのとき、
自分だけが選ばれたのか。
なぜ、自分の同級生がみんな、
ぼくと同じような機会をもらえなかったのか。
それがすごく悔しかったのです。
村の同級生の将来は
海外に稼ぎに出ることになってしまいました。
いまから自分にできることは
何だろうと思ったら、やっぱり
いまの子どもたちの将来を守ることです。
ぼくがせっかくもらった機会をつなぐことは、
いま、やらないといけない。
お金はまったくありませんでしたが、
とにかく早くやろうと思いました。
- ほぼ日
- 学校をつくるまでのスピードは
だいたいどのぐらいだったんでしょうか。
- ライ
- 思いついてから、
村に電話で聞いたりすることもふくめて、
学校ができるまで
3~4か月ぐらいでした。
- ほぼ日
- すごいですね。
不安とか、後悔とか、諦めることとか、
ありませんでしたか。
- ライ
- 最初ありました。
お金をどうやって集めるかというところで
引き返しそうになりました。
お金って、いちばん大事なことですよね。
やる気はあっても、お金がなければ
村の人々に信頼もされないし、
何もできません。
知り合いもあんまりいませんでしたし、
寄付もなかった。
そういうときに、助けてくれたのは
それまで読んだ本やドキュメンタリーでふれた、
人々のエピソードでした。
世界中の、同じように
「何かをはじめようとしてきた」方々が
「はじめたらなんとかなるよ」
という発言をしていたんです。
自分のやりたいことをはじめちゃえば、
それで半分終わりでしょ、
ということを、心に留めるようにしました。
- ジョシ
- 「Well begun is half done.」
という言葉があります。
- ほぼ日
- 「Rome wasn't built in a day.」とは
つながっているような「逆」かも
しれないのですが、その
「Well begun is half done.」は
私たちにとても必要な言葉だと思います。
はじめたらもう半分できてるんだよ、
恐れずに、やりたいと思ったことを
やったらいいんですね。
その大きな動機になったのは
おふたりが受けた教育によるものでしょうか。
- ライ
- 教育のおかげもありますが、
「ネパール」という言葉をはじめて耳にして、
はじめてわかった子どもの頃から
ぼくは自分の国が大好きなんです。
経済的にダメでも、
自分のお母さんと同じぐらい大切で、
「ダメだからダメ」というんじゃなくて、
そのダメなことをよくして、
自分の誇りになるような国にしたい
ということを思っていました。
学校をつくるだけでなく、
将来は国づくりや政治にも
かかわっていきたいと思っています。
ですから、気持ちは小さい頃から
変わっていないとも言えると思います。
- ジョシ
- ぼくはおじいさんが校長先生だったので、
勉強を教えてもらって
首都のカトマンズのいい学校に行くことができました。
そこから日本に来て
いろんな社会を知り、システムを見ました。
そして最後に、
自分の幸せって何なのか、と考えました。
国際組織ではたらいて、たくさんお金を集めて
世界旅行をするのが自分にとって
いちばんの幸せなのでしょうか?
自分たちの社会にいい校舎をつくることや、
日本とネパールをちっちゃな交流で
つなげていくこと。
何をすればいちばん満足をもらえるのかを考えたら
「じゃ、これでいいんじゃない?」
という答えが自分で出てきたんです。
- ライ
- 社会貢献してどうするのとか、
それで自分が何を得られるのって、
よく言われるんですけれども、
私たちはこの活動をはじめてから、
自分もいろんな面で成長しましたし、
いろいろなことが身につきました。
そして、ネットワークも増やすことができました。
自分がそれですごく幸せです。
そして、それで得たものが
次に前に進むための
自信になったり力になったりする場合が多いんです。
もっともっと
「やろうとしたら、やれるんじゃないの?」
というふうに、自信が湧いてきます。
それはやっぱりいまの活動のおかげだと思います。
- ジョシ
- whatとかhowよりも、
whyのほうが大事だと思うんですよ。
そのwhyの部分を、
ただ本に書いてある言葉だけで教えるんではなく、
子どもたちに感じてもらえればうれしいです。
- ほぼ日
- 「どうやって食べていくか」というよりは、
やりたいから、喜びだから、きっかけがあったから、
そこに理由があるから、
ということで進んでいくと、
だんだん自分たちでも見えていくものがありますね。
- ライ
- そうですね。
社会の問題は、その社会の問題じゃなくて、
社会の一員の自分の問題である、
ということをちょっとでも実感したら、
自分が解決するために
何とかしなきゃいけないと思うと思います。
いまぼくたちは105人の命を
預かっているふうに感じております。
これはすごく重たいんですね。
- ジョシ
- もし私たちの学校が私たちの想像通りに成功すれば、
大きな実績になりますし、
このような学校が全国でそれぞれできていけば
うれしいと思います。
大きなミッションは、
私たちがいい教育をもらったから、
その恩返しとして
いい国をつくりましょうという夢を持ったように、
私たちのコミュニティーからスタートした100人が
次に1000人の子どもの将来を開き、
その1000人が100000人の将来をつくって
いい社会をプロデュースできるんじゃないかな、
ということです。
だから、いまの子どもたちには、
本に書かれているものを読むだけではなく、
私たちのこの気持ちや幸せのことも
伝えていきたいと思っています。
- ほぼ日
- ‥‥「恩返し」という言葉は、
ネパールにもあるんですか。
- ジョシ
- 日本語のものですよね。
- ライ
- ネパールにも同じ言葉はありますが、
ちょっと違う表現になります。
それは国がお金を貸したときに返す、という意味で、
ぼくたちの思っていることは、
お金を借りるということではないです。
- ほぼ日
- 英語では?
- ライ
- 「pay back to society.」
ですが、これも違いますね。
ぼくたちもずっと
「pay back to」という
英語の表現をしていました。
でも、日本語の「恩返し」という言葉を知って、
私たちが探しているものはこれなんだと思いました。
- ほぼ日
- 日本に留学して、
そこがよかったかもしれませんね(笑)。
おふたりがアメリカに行ってたら、
「恩返し」には出会えなかったかもしれません。
- ジョシ
- (笑)そうかもしれません。
- ほぼ日
- 今日はありがとうございました。
- ライ
- ありがとうございました。
- ほぼ日
- 「活きる場所のつくりかた」で
お話をうかがえることをたのしみにしています。
(おしまいです。
ありがとうございました)
ありがとうございました)
2015-02-06-FRI