ネパールの首都・カトマンズ。 その南を東西に流れるバグワティ川の対岸に、 ネパール第三の都市であり、 古代からつづく古都・ラリトプルがあります。 |
またの名前をパタン(ネパール語)、 あるいはヤラ(ネワール語)。 市内中央のダルバール広場を中心とした一帯は、 16世紀から18世紀にかけて建てられたマッラ王朝の遺構。 旧王宮、寺院が立ち並び、1970年代にいちはやく ユネスコの世界遺産に登録された場所です。 |
2008年まで王政がしかれていたネパールでは、 王侯貴族たちへの献上品が いろいろな民族の手によってつくられてきました。 |
100を超える民族と93の言語があるといわれる 多民族国家のネパール。 民族、そして家によって 代々職業が受け継がれてきましたが、 そのうちのひとつであるスヌワール族は、 王族や貴族のために宝石の加工や 金銀細工業を営んできた一族でもあります。 その末裔であるインドラ・マン・スヌワールさんは、 共和国となったいまでも、 ラリトプルが王政時代につちかった 芸術的な手工芸の伝統を絶やさぬよう、 ていねいに職人をそだてながら、 ひろく世界につたえていくことを仕事としている人です。 |
「ほぼ日」とは、「ほぼ日のくびまき」の “とめるショップ”をつくるときに、 相談にのってくださったのが、ご縁のはじまり。 そのときは、インドラさんのネットワークで 伝統的な技をもつ職人のいるボタン工房を ご紹介いただき、 水牛の角や骨を加工してつくられたボタンを使った アクセサリーをつくりました。 |
インドラさんのまわりには、 いろいろな民族の、いろいろな職人がいます。 じゅうたんを織る人たち、 糸をつむぐ人たち、 布を織る人たち、 銀細工をする人たち、 マンダラを描く人たち、 仏像を彫る人たち、 建造物をつくる人たち‥‥。 けれどもそれは、ネパール近代化の波のなかで、 ほうっておけば、もしかしたら 途絶えてしまうかもしれないものでもある。 「技術」と「伝統」そして長くつちかわれた それぞれの民族のDNAに刻まれているはずの 「美意識」という財産は、後世にのこさねばならない。 そんな気持ちで東奔西走しているのが、 インドラさんなのでした。 そしていつしか「ほぼ日」では、次回もぜひ、 インドラさんのネットワークをいかして、 あたらしい何かを、いっしょにつくりましょう! という話になっていったのです。 |
そのインドラさんには、 じつはもうひとつの顔があります。 それは、世界的に有名な、ネパールのアートと、 アンティーク・ビーズのコレクターだということ。 |
金銀細工業を営んできた一族に生まれたインドラさんが、 なぜ、アンティーク・ビーズの世界に魅せられたのか。 そのお話を、次回から前後編でお届けします。 (続きます) |
2013-12-05-TUE |