ほぼ日刊イトイ新聞

C・シルヴェスター編『THE INTERVIEW』
(1993年刊)によれば、
読みものとしての「インタビュー」は
「130年ほど前」に「発明された」。
でも「ひとびとの営み」としての
インタビューなら、もっと昔の大昔から、
行われていたはずです。
弟子が師に、夫が妻に、友だち同士で。
誰かの話を聞くのって、
どうしてあんなに、おもしろいんだろう。
インタビューって、いったい何だろう。
尊敬する先達に、教えていただきます。
メディアや文章に関わる人だけじゃなく、
誰にとっても、何かのヒントが
見つかったらいいなと思います。
なぜならインタビューって、
ふだん誰もが、やっていることだから。
不定期連載、担当は「ほぼ日」奥野です。

04
完成まで13年かかった本。

──
刀鍛冶の職人さんに聞き書きをした
『刀に生きる』が本になるまで、
13年もかかったのは、どうしてですか。
塩野
何回質問して、何回テープ起こししても、
本として成立させられるような
深い言葉を、
なかなか手に入れられなかったんだよね。
──
で、13年。
塩野
なかなか、ピンと来なくて。
──
はー‥‥。
塩野
何度も通って、
さんざん
食ったり飲んだりしゃべったりして、
録音テープだけは、
どんどん、溜まっていったんだけど。
──
ピンと来なかった。
塩野
刀を打つ姿は神々しくさえあって、
あれほど
説得力のある光景もないんだけど、
身体の動きは、
必ずしも、言葉には関係なくてね。
──
そうなんですか。
塩野
「どんなことを思って叩いてる?」
と聞いても、
「何にも考えてない」
「何かを考えてたらダメなんです」
と言われて、
「うん、そうだよねぇ‥‥」って。
──
映像ならいい場面になりそうですが、
それだと、
文章で表現するには、難しいですね。
塩野
で、はじめての取材から5年経って、
少しくらい、
何か言ってくれないかなあ‥‥ダメ。
──
ええ(笑)。
塩野
で、10年経って‥‥まだダメ。
──
そこまでつきあうのが、すごいです。
塩野
涙出てくるでしょ?
──
その‥‥刀鍛冶の職人さんは、
塩野さんのことを、
どう思ってらっしゃるんでしょうね。
塩野
「このおじさん、
なーんで、いつまでも来るんだ?」
だろうね。
──
他方で、職人さんのやってることは、
基本、同じですよね。何年経っても。
塩野
そう、同じ。
──
新しい何かが生まれるということも、
ないわけですよね。
塩野
ないね。ただ、腕は上がっていく。
──
ああ、そうか。

で、13年後、ピンと来る言葉を
「つかめたな」と思ったときがきて、
ようやく本になった‥‥と。
塩野
なったなった。
──
じゃ、その「つかめたな」って言葉が、
ようやく現れてくれたんですね。
塩野
あのさ、長い文章や言葉って、
反省するか、説教するか、批判するか、
そんなのばっかりじゃない?
──
ははあ、たしかに。
塩野
でも、お金にならないほど短い言葉ってさ、
そうであればあるほど、
その断片性が、
読む側の想像力をたくましくするよね。
──
たとえば、どういう‥‥。
塩野
道端に手袋が落ちていたってことを
書くときにさ、
ただ一言「まだ、ぬくもりがあった」
なーんてやったら、
何かもう、できあがっちゃった感じ、
しちゃうじゃない。
──
‥‥しちゃいました、今。
塩野
つまり、短い文章だとか短い言葉って、
想像で補うことを、
読者の側で、やってくれるわけだよね。
──
はい、なるほど。
塩野
そういう意味で言うと、
宮大工だとか、刀鍛冶だとか、船大工とか、
そういう職人の言葉も、
たいがいにして「長くない」んだよね。

で、その長くない言葉が、
仕事の中から生まれてきたものじゃないと、
ぼくが、納得できないんだと思う。
──
つまり、その刀鍛冶の職人さんの言葉が、
通り一遍のものに聞こえたってことですか。
塩野
たぶん、誰でも同じだと思うよ。

その人の肉体にひっかかりながら出てきた
言葉じゃなければ
「それ、どっかで聞いたことあるな」って、
きっと、思っちゃうんですよね。
──
その状態が、13年間、続いた。
塩野
ぼくは、3人の左利きの刀鍛冶の本を、
つくろうとしたんです。

同じお師匠さんの元で育った、左利き。
──
左利きには、何か意味が?
塩野
左利きだと、鍛冶屋になれないのよ。

鞴(ふいご)と
炉(ろ)の位置が決まってるので、
左利きは、
右利きに矯正しないとダメなんです。
──
へえ、そうなんですか。
塩野
その苦労をいとわずに鍛冶屋になって、
数えるほどしかいない
「無鑑査(むかんさ)」という名匠に
認定されるかもしれないほど、
素晴らしい腕前になった3人だったの。
──
ええ。
塩野
その3人をインタビューしてたんです、
13年間。

でも、その間、
刀鍛冶の協会が分裂したりとかしてね、
最後、3人のうちの1人が残って。
──
はい。
塩野
もともとは
出版社の友だちとやってた仕事なんだけど、
その人が亡くなっちゃって、
編集者が替わって、
最後は出版社も替わったりしたんだ。
──
13年という時間の中では、
いろんなことが、起こるものですね。
塩野
最終的には、
刀鍛冶、研ぎ師、鞘(さや)を作る人、
金具をつくる人、
漆を塗る人、柄を巻く人‥‥と
いろんな職人さんに聞き書きをして
一冊の本にしたんです。

刀鍛冶ひとりのままだったら、
あと10年は、かかったかもしれない。
──
はぁ‥‥。

<つづきます>

2017-07-16-SUN