伊丹十三特集 ほぼ日刊イトイ新聞
1000円の消しゴムの男。村松友視+糸井重里
伊丹十三さんが、伊丹一三さんだった時代から、 ときどき濃密に、ときどきちょっと離れて ずっと親交のあった村松友視さん。だけど、 「伊丹さんのことはどうしても書けないんだよ」 とおっしゃいます。 追いつけないし、整理できないし、捉えられない。 そんな気持ちを、そのまま訊いてみました。 いま、村松さんが伊丹さんについて 思っていることを。
村松友視さんプロフィール

目次
第1回コタツに靴、ブリーフいっちょう。
2009-06-23
第2回いてもいい存在。
2009-06-24
第3回1000円の消しゴムを買うおもしろさ。
2009-06-25
第4回聞き書きスタイル。
2009-06-26
第5回ブラバス、たまには遊びにきてよ。
2009-06-29
第6回説明してみせる、という決意。
2009-06-30
第7回一期一会が折り重なる。
2009-07-01

第1回コタツに靴、ブリーフいっちょう。
糸井 おひさしぶりで。
村松 おひさしぶりで。
糸井 この対談のオッケーを
ファックスでくださったとき、
村松さんは、伊丹さんのことを
「一冊の本として書くターゲットとしては、
 永遠の逃げ水みたいになっております」
と書いていらっしゃいました。
ぼくはそれがなんだか
ピッタリな表現だなぁと思うんです。
伊丹さんというのは、もしかして
「逃げるように、逃げるように」いた人
だったんじゃないでしょうか。
村松 そうかもしれない。
糸井 だけど、考えてみれば、
伊丹さんとつきあいのある方々も、
そういう人ばっかりなんじゃないかなぁ?
村松さんにしても、その傾向は
あるんじゃないでしょうか。
村松 ああ、そういえば
ありますね。
糸井 ぼくも、伊丹さんのことは「なにか気になる」と
思っていた人間ですから、
つまりは、同じ病気だと思います(笑)。
村松 うん、きっとそうだよね。
伊丹さんが雑誌の
『mon oncle』(モノンクル)をやるときに、
誰かいないかなぁという話になって、
イトイと伸坊さんを紹介したのは俺なんだけど。
糸井 え?!
村松さんだったんですか。
村松 そう。だって、「伊丹十三」が「糸井重里」には、
糸井 そうか‥‥直にはたどり着かないですよね。
うーん、村松さんだったのかぁ。
考えてみれば、そうですよね。
村松 栗本慎一郎さんあたりの人たちについてもそうで、
「あいつがいるなぁ」なんて話を
ぼんやりしていくうちに
あの雑誌が成り立っていくことになるわけだけど、
伊丹さんは、まぁ、
自分がはじめから考えてたことで
すべての道が開かれたと言うし、思い込むよね。
それはつまり、本気で思い込む(笑)。
糸井 本気なんですよね(笑)。
大物は、みんなそうです。
村松 そこがコツなんだよな。
たしかにさ、
「鉄棒につかまらせてくれた人がいるから
 俺はウルトラCができたんだ」
なんてことかみしめてるやつに
できるわけないもん、ウルトラCは。
糸井 ははは、そうですよね。
そうか、どうりで『mon oncle』は
伊丹さんにしては『ガロ』っ気が強いような
おかしなメンバーが集まったわけですね(笑)。
村松さんは当時、中央公論の編集者として
伊丹さんの相談を受けてらしたんですか。
村松 うん、まだ会社にいたころだった。
伊丹さんは、俺のこと
「ブラバス」って呼ぶんだよ。
ブラバスっていう化粧品、ありますよね。
糸井 うん、資生堂の「BRAVAS」。
村松 ムラマツ、ムラマツって
言ってるうちに「ブラバス」。
あのね、伊丹さんは、俺の8つ上なんだよね。
糸井 8つ、ですか。
村松 まぁ、ブラバスって呼ばれて
うれしくてしかたがない、というわけじゃ
ないんだけどさ(笑)、
俺を最後までブラバスって呼んでた。
糸井 伊丹さんは、村松さんにとって
まず最初は、どういう存在だったんでしょう。
村松 最初に会ったのは、
会社に入った翌年か‥‥
あるいは入社の年かもしれない。
22歳ぐらいの頃です。
伊丹さんはまだ、「十三」じゃなくて
「一三(いちぞう)」と名乗ってた。
まず、伊丹さんの作った
『ゴムデッポウ』という短編作品を観たの。
糸井 最初の監督作品といわれてるやつですね。


『ゴムデッポウ』1963年公開
村松 そう。ちょうどその頃
『ヨーロッパ退屈日記』も出てたんだ。
それ、読んでさ。
‥‥俺はその頃、先輩から
1日ひとり違う人に会え、って言われてて。
糸井 22歳の新入社員だから。
村松 うん(笑)。
「知らない人に毎日ひとり、
 例えばそれが靴磨きの人だとしても、
 違う人に会ってたら、
 1年経てば365人に会うわけだし」
なぁ〜んてこと言われてさ、
実は冗談で言ってたらしいんだけど
俺はそれを本気にしてね。

唐(十郎)さんに出会ったのも、
みんな、そんなながれなの。
毎日違う人に会うという目的で電話して、
そのうちのひとりが伊丹さんでした。

「中央公論の村松と申しますけど、
 『ヨーロッパ退屈日記』を読んで、
 『ゴムデッポウ』というのを観て、
 おもしろいと思ったものですから」
って。

糸井 22歳の青年が。
村松 そう(笑)。
当然、「何なんですか」ってなるじゃない。
糸井 なる、なる。
村松 「いや、ちょっとお会いして、
 何を考えてらっしゃるか
 お話してみたい」
糸井 (笑)
村松 そしたらね、「どうぞ」となったんです。
糸井 なるほど。
村松 そうやって電話して行った先が、一番町の、
川喜多和子さんと伊丹さんがふたりで住んでた
独特の空間でした。
それはもう、俺にとっては、
「これが中央公論的に仕事になる」という
ことよりも、
自分の体験として、すごく新鮮な人と
出会っちゃったな、という感じでね。
糸井 伊丹さんは、そのとき30歳くらいなんですよね。
具体的にはどういう印象なんでしょう?
村松 いや(笑)、あのね、いまでこそね、
コンクリート打ちっぱなしの
だだっぴろい部屋に、
書斎なんか作るやつ、多いと思うけど
当時じゃめずらしいことでさ。

ガラーンとした何にもないようなところの、
奥のほうにコタツがあるような部屋。
それで、伊丹さんは
床の上を靴で歩いてるわけ。
外国映画なんか見れば
あった光景かもしれないけど、
「それが普通でしょ?」みたいな感じで
靴で歩いてるわけ。
糸井 すごいね。
村松 そこへ俺が行って、玄関から
靴を履いたまま上がれるか、
っつうことだよね!
糸井 はい(笑)。
村松 やっぱり俺は靴を脱いじゃった。
そうすると、伊丹さんは
「履いたままでどうぞ」とも
何とも言わないという。
糸井 (笑)
村松 自分だけカッコよく
靴で歩いてんの。
それで、奥のほうのコタツの上に
ちょこちょこっと原稿用紙が置いてあって、
そこで伊丹さんは、鉛筆で原稿を書いてた。
コタツで、靴履いてんだよ?
コール天のズボン穿いて靴履いてコタツ。
おかしいんだよね。
で、その次。
2度目に行ったら、ブリーフ姿。

また「それが普通でしょ?」ってな感じで
ブリーフいっちょうなわけ。

(つづきます)

 
01.伊丹さんの初監督映画『ゴムデッポウ』。

1962年、伊丹十三さんが29歳の頃、
初めて作ったという映画が、
短編作品『ゴムデッポウ』です。
伊丹さんはこの作品でも、
その後メジャー映画の監督として
『お葬式』でデビューしたときと同じく
脚本と監督を担当し、撮影を自宅
(『ゴムデッポウ』は当時の東京麹町の家、
 『お葬式』は湯河原の家)で行いました。

ストーリーはとくになく、当時の若者の生活様式を
ちょっと退廃的な台詞とともに綴るという、
若々しさのある作品のようです。

しかし、伊丹さん自身はそのとき、
ヨーロッパで撮影された映画『北京の55日』の
出演が終わって帰国し、その経験をもとに、
後にたいへんな人気となるエッセイ
『ヨーロッパ退屈日記』を書く、という時期に
当たります。

29歳というと若いようですが、
すでにいろいろな経験をお持ちだった伊丹さんの
当時の感覚が詰まっていると思われる
この『ゴムデッポウ』、じつは40年間行方不明でした。
1963年5月、
ATG(日本アートシアターギルド)系の映画館で
アニエス・ヴァルダ監督の
『5時から7時までのクレオ』と併映され、
1964年、赤坂の草月ホールで
勅使河原宏監督の『砂の女』と
併映されたあと、行方がわからなくなっていたのです。

それから40年。
2003年に新潮社の季刊誌「考える人」で
伊丹十三さんの特集が組まれました。
その特集の好評を受けて、大幅に増補のうえ
単行本(『伊丹十三の本』2005年)化することになり、
そこに納める写真として、
伊丹さんが亡くなられてからずっと使われていなかった
湯河原の自宅を撮影する際、
フィルム缶に納められた『ゴムデッポウ』が
発見されたそうです。

フィルムに一部、傷みはあったそうですが、
若き伊丹さんの姿は鮮明に残されていました。

たいへん貴重なものとなったこの映画は、
発見されてこれまでに一度だけ、2005年12月27日、
かつて『ゴムデッポウ』が上映された場所、
赤坂・草月ホールにて、公開されています。
このとき同時に、松山に2007年、
「伊丹十三記念館」を設立するという発表もされました。
(ほぼ日・りか)

参考:『伊丹十三の本』(新潮社)
   「考える人」メールマガジン 086号ほか
コラムのもくじはこちら
2009-06-23-TUE
 
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