糸井 | 伊丹さんにとって、ほんとうは、 「ひとり作業」はありえないんでしょうね。 |
村松 | うん、ありえないと思う。 俺は『海』という雑誌の担当になってからは、 伊丹さんに小説を書かせるということが ひとつの目標になった。 『海』は小説の雑誌だからね。 そういう話になったときに、伊丹さんは 「小説を書くのは50過ぎでいいね」 って言ったの。 つまりそれは、書かないよという意味なんだよ。 文章を研ぎ澄ませたり、 何かをひとりで作っていく仕事には 本来、そんなに 興味のない人だったんじゃないかな。 |
糸井 | うん、うん。 |
村松 | 『ヨーロッパ退屈日記』からはじまるような 伊丹さん節と言われる文章も、 実はそういうしくみになってんの。 つまり、自分の文章が個人の作業だとすると、 あれはおびただしい迷彩をこらす パロディの重層的なものなんだよね。 内田百フからイギリスの作家から ぜんぶのテイストをうまく使って、 日本人の子どもじみた世界に対して ちょっとひねくれた 大人びた視線を持った若者を 作り上げて書いているわけです。 だから、あの文章を書くやり方には、 団体競技みたいなとこがあったと思う。 |
糸井 | それは、レタリングをやるのと 同じ方法で、つまり 「なぜこうなってるかというとね」 と、言える作業なんですよね。 自己表出したくないという気持ちや、 しないということが 伊丹さんのいちばんの作品なのかもしれない。 |
村松 | うん、そうだと思う。 |
糸井 | それはいまの時代の人たちに ものすごく合ってる気がするんです。 みんながやりとりしてるものって、 自己表出に見せかけてるけど、そうじゃない。 自己表出しないぞという 決意に近いようなものを感じるときさえあります。 村松さんはけっこう、両方を 行ったり来たりするでしょう。 |
村松 | いや、でも、ちょっと無理があるんだよ。 俺はいろんな人の評伝なんか 書いたりしてるから、 「次は誰ですか」という話になったら 「じゃあ、伊丹さん」というふうになりかねない。 でも、いま、イトイが言ったようなことが とても重要になってくるんです。 最後の死からここへつなげて完結させよう、 なんていう古風な捉え方をしちゃうと、 ぜんぜんダメなんだよね。 |
糸井 | 違いますね。 まず、伊丹さんを 立派化しちゃいそうになるけど それはダメなんですよね。 |
村松 | 立派化しちゃダメなんだ。 だけど、あの人の最後のあたりに その端緒ができちゃったんだよ。 だけど、根拠をつけて立派にしていくことは、 ほんとうはできないんだ。 |
糸井 | ああ‥‥、どう言ったらいいんだろう、 自分でもそういうところがあるし、 村松さんもその部分を芸にしてるんだけど‥‥、 ブリーフいっちょうの ハリウッドスターというのは、 ある種の自由さと傲慢さを表現してますよね。 |
村松 | まあ、そうだね。 |
糸井 | ブリーフいっちょうになっちゃうと 誰もそれ以上尋ねないんで、 ひとりで小部屋を守っていけるんです。 それは、いまの人たちが好きなパターンです。 |
村松 | かもしれないな。 |
糸井 | ぼくもおそらくそれを しょっちゅうやってるわけです。 何かを出すときには別の何かに混ぜて、 おまけの部分が本音みたいな、 そういうことで、たぶんやってるんです。 伊丹さんと僕は、視線は全然違うんだけど、 そこのところは、わかるんですよ。 |
村松 | うん。だからさ、 伊丹さんってのは、難しいんだよね。 伊丹さんだって、 ああ見えて、掛け算で行こうと 思ってるところがあるからさ。 『ロード・ジム』も『北京の55日』も 日本での伊丹さんの 俳優としてのインパクトには そんなに関係してこなかったけど、 そりゃ、人には言わないところで、 そうとう努力してた部分もあったと思う。 |
糸井 | うん。いわゆる、すごい努力家ですよね。 |
村松 | ある意味オーソドックスなやり方なんだよね。 伊丹さんにも、 努力してもゼロになった、なんてことは あるわけだけど、 それは誰にも言わないんだ。 |
糸井 | ぼくらにとっては、晴れやかな存在として、 伊丹さんはずっといました。 |
村松 | うん。 |
糸井 | コツコツやっていけばできること というのに対して、 ものすごく真剣にちゃんとやってる。 それは、 職人さんが仕事する時の態度にすごく似てる。 |
村松 | あ、そうだね。 あの文章の作り方もそうだよ。 |
糸井 | あれはスイスイ書いてる 文章じゃないですよね。 |
村松 | ないないない。ガリ版みたいな感じ。 |
糸井 | そんなの、パッと見ただけでは 気配もわかんないですね。 伊丹さんの手法は、まず 丸裸に見せることだと思うんですけど。 |
村松 | そうだね。 |
糸井 | 『mon oncle』(モノンクル)の 聞き書きにしたって、 すべてさらけ出して書いてるふうなんだけど そんなことあるはずもなくて、 「ぜんぶ書いてるというスタイルを とっていて、 ものすごく編集してある」 というものです。 伊丹さんの文章はたぶん、 その後の昭和軽薄体や、 嵐山光三郎さんたちにも影響与えていくと 思うんですが。 |
村松 | そういう意味じゃ 俺なんか、そうとう影響受けちゃってるわけ。 『私、プロレスの味方です』なんてさ、 「と、まあ、こういうわけであります」とか やってるの。 伊丹さんだけじゃなくて、 唐(十郎)さんにしても 野坂(昭如)さんにしても、 自分がどっぷり浸かった人の染色体に 染まっちゃうところが、俺にはあります。 それに関しては、物書きとしては、 後ろめたいと思ってるところもある(笑)。 |
糸井 | それは、ほんとうは全員にあるはずです。 作家がみんな編集者出身とは限らないから 関係がわかんないだけです。 ぼくは、伊丹さんの文章って おもしろいなぁと思うんだけど 野坂さんみたいに、 何かつかまれるって感じには、 なぜだか、ならなかった。 |
村松 | それはそうだよ。 伊丹さんはつかませないんだから。 |
糸井 | うん。ただし、これはすげえなと思ってたのは やっぱり、しゃべり言葉の文体です。 伊丹さんの文章がなければ、 ぼくはデビューできてなかったと思います。 つまり、ぼくの『成りあがり』の仕事は 伊丹さんなしではできなかったんです。 伊丹さんの文章を読んだとき、きっとぼくは リアリティということを思ったんですよ。 矢沢永吉さんの取材をしたとき、 どうにでもやりようがあったのに、 無自覚で「○○なわけよ」って 書いちゃったんです。 自分としては、伊丹さんの名前さえ 忘れながらやってたわけです。 その後もずっとぼくは、 しゃべり言葉でものを考え、 しゃべり言葉を仕事にしてきました。 それはとてもありがたいと思ってます。 いまのテレビがやってることも そうとう伊丹さんの工夫に影響されています。 それはやっぱり、職人として 次の仕事が来るように仕事を返していくという、 生きる術としての仕事論みたいなものが 伊丹さんの中には根強かったからじゃないかな。 それが、実にいろんな努力と工夫を生んだし、 弱みはとにかくカバーできるって 信じてたと思う。 |
村松 | うん、そうだろうね。 |
糸井 | だから、無敵なんでしょうね、きっと。 みんなが「そんなもの説明できねぇ」と 言っていたことを 伊丹さんは全部説明しました。 そのおかげであとの人がどれだけ助かったか、 ということがひとつあるのと、 そこにおまえは何載せるんだという 問いかけが残る、ということがあります。 (つづきます) |
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2009-06-30-TUE |
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