村松 | 俺ね、伊丹さんからメシに誘われたの。 宮本信子さんがパルコ劇場で芝居に出てて、 その向かいの店で 一緒にメシ食おうってことになった。 伊丹さんが顔を切られた事件のあと、 まだ護衛がついてるような頃だった。 そのとき、伊丹さんに向かって 俺はこんな話をしたの。 「映画のある部分が なんでフレームインか、 なんでダブるのか、 なんでフェイドアウトなのか、 なんでこの場面の次がロングなのか、 そういうことについて、 いまの監督なんて 何もわかんないで作ってる人が 多いような気がするんだけど、 伊丹さんの映画っていうのは それがすごくよくわかる。 でも、それがわかり過ぎる」 |
糸井 | うん、うん。 |
村松 | 「映画というものは もっとゆったりした楽しみのものでさ。 昔のハリウッド映画で いま思い起こすのは、 別段クライマックスシーンではない。 ただショーン・コネリーがロビーを横切るとか、 ハンフリー・ボガードが ドアを開けてスッと入るとことか、 そういうシーンがすごくて、 それが何十年も残っちゃうんだ。 伊丹さんの映画は、 全部の場面にメリハリがついてて、 意味がありすぎるんじゃない?」 ってね。 俺、その頃は伊丹さんに あまり会ってなかったから、 この機会しかないと思って そういう感想を言ったの。 |
糸井 | 村松さん、きっとそれを すごく言いたかったんでしょうね。 |
村松 | 言いたかったの。 そしたら、伊丹さんの答えが またすごいんだ。 「いや、だからね」って、言うんだよ。 「いや、違うよ」とは言わなかったんだ。 |
糸井 | うわー! |
村松 | 伊丹さんは 「いや、だからね、日本の俳優で、 ただドアから入ってきて スッと部屋を横切ってくのを のちのちまで残るぐらいの歩き方で やってくれるやつがいれば、 そりゃあいくらでも撮るよ」 って言った。 |
糸井 | はぁあー。すごいね。 |
村松 | うん、これはすごいよね。 俺は、伊丹さんとはそういう話を わりといつもやってたんです。 論争でもないし、文句でもないし、 何か言ったからといって、べつに あとにしこりが残るっていうことでもないんだよ。 俺にしてみれば、伊丹さんは そんなことを言わないやつをバカにする、 というくらいの気もあった。 そしたら、その翌日、 信子さんから電話がかかってきた。 「ブラバスさぁ、たまには遊びにきてよ」 ってね。 「なんで?」つったらね、 俺が帰ったあと、伊丹さんが信子さんに 「あれが会話だよね」 と言ったらしいんだ。 |
糸井 | ううーん。そうか。 |
村松 | 伊丹さんは映画監督で、もう巨匠でしょ? そうなると、どうしても周囲は 屈服せざるを得ないんです。 それは、しょうがないんだ。 伊丹さんの、平気で人を捨てていくところは、 いい意味ですごいものがあったんだけど、 映画は、仲間がいなくちゃできないわけで、 そういうわけにもいかなくなった。 だから信子さんは、 たまには遊びにきて、 そういう関係抜きの話をしてくれと 言ってくれたんです。 俺にしてみると、 別にそういう意図があったわけでもない。 伊丹さんの映画は、 いつも観ることは観てたわけだし かねがね思ってたことを 久しぶりに会ってむかしと同じように言った、 ただそれだけのことです。 |
糸井 | 伊丹さんの映画について 村松さんが言ったのは、 説明できることしかしない、 ということですよね。 |
村松 | そうだね。 |
糸井 | 伊丹さんはコミュニケーションのお盆の上に すべてを載せられると思ってるところが あったのかもしれない。 載せられない派の人間は、 載せられないことについて考えたいし、 悩みたいんだけど、 伊丹さんは、説明できるまでやってみたい タイプだったんですね。 |
村松 | うん。 俺は、『問いつめられたパパとママの本』 というのを伊丹さんと作ったんだけど。 |
糸井 | あの本、編集は村松さんですか。 |
村松 | そう。あれが伊丹さんと俺の はじめての仕事なんだよ。 俺が「婦人公論」にいた頃だね。 「空はなぜ青いのか」とか、 親子のなぜなぜ百科のような質問について 伊丹さんがイラストと文でまとめるんです。 だけど、内容が科学的なことだから 専門家に質問するわけ。 最初の頃は、専門家の取材に ふたりでいっしょに行ってたんだけど、 そのうちに、伊丹さんは ぜんぜん行かなくなっちゃって、 俺が代わりに聞いてくるようになったんだよね。 伊丹さんは、理数的にすごい頭を持ってて、 俺はとてもかなわない。 きっとイトイならそんなに感心することじゃ ないかもしれないけど、 俺からは、伊丹さんの理解力ってすごいんだよ。 相手が説明する論理を、 かねがね自分が考えてるような ことじゃなかったとしても、 スーッと理解する。 それ、ほんとにすごいの。 |
糸井 | それは村松さんもそうでしょう? |
村松 | いやいや、俺はない。 俺は、自分の「かねがね」の サーチライトの中だとすごいんだけど、 外れちゃうとダメなんだ。 伊丹さんは何でもどんどん理解していくの。 あれは学力でもないんだよな。「頭」なんだ。 |
糸井 | うーん。 それはつまり、「通り一遍」ってことですよ。 ぼくは「通り一遍」が大好きですし、 伊丹さんも「あ、そういうことね」というのを やっちゃうんじゃないでしょうか。 だいたいの人はやるんです。 村松さんがやんないだけなんですよ(笑)。 |
村松 | あ、そうなの? |
糸井 | 村松さんは、ほんとうに ピント合わせていくでしょう。 |
村松 | ピントが合わなかったり違うレンズだったりしたら 俺、ポワーンとしちゃうんだよね。 で、伊丹さんが行くべきところの 科学者の取材にひとりで行って帰ってくると 伊丹さんが、 「じゃ、こことここの問題は どうなってるの?」 って言うわけ。 現場に伊丹さんがいれば 簡単に解決することなのに、 それを「どうなるの」つったって 俺がわかるわけない。 また同じ人に取材に行って、 というようなことをくり返してたんです。 子どもの使いだよね。 |
糸井 | 大変ですね(笑)。 |
村松 | 人使いが荒いというわけじゃないんだけど、 人の事情を歯牙にもかけないとか、 人はほかの時間で別なこともやってんだ、 ってなことに対する理解がですね‥‥。 |
糸井 | 村松さん、具体的な文句が出てますよ(笑)。 |
村松 | いや、人の事情を理解しないんじゃなくて、 一切その考えを作動させない(笑)。 |
糸井 | うん、頓着しないんですね。 |
村松 | しない。だから、子分と親分みたいな そういうスタイルで成り立つ仕事が 多くなっていたのかもしれないね。 しかも、やわらかそうな伊丹スタイルで。 (つづきます) |
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2009-06-29-MON |
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