村松 | 俺は、26、7歳のときに、 雑誌の取材のためじゃなく、 まったく個人的な突っ張りで、 ベトナムへ行きました。 あの頃、ベトナム戦争つったら 大変なことなんだけどさ、 伊丹さんは俺を誰かに紹介するとき、 「この人は東南アジアにひじょうに詳しい人です」 てなこと言ってた。クスクス笑いながらね。 そういう伊丹さんの距離感って すごいと思うんだよ。 「ベトナム戦争はどうしたの、 俺は、そのベトナム行って帰ってきたんだよ!」 って、こっちは思ってるんだけど(笑)、 そういう世間の風のようなものに 見向きもしない伊丹さんというのは、 テレビに出るようになったあとも残っていました。 |
糸井 | 伊丹さんはそういうとき、 俯瞰でしゃべってますよね。 いまの流行り言葉で言うと「上から目線」。 きっとその塊ですよね。 |
村松 | もうね、すごい「上から目線」ですよ。 コートダジュールかどこかにいる 撮影中の役者みたいな目線で、 例えば日本の学生運動を見るわけだから。 ある意味、すごく魅力的だった。 ところが、あるとき 伊丹さんが急に 三島由紀夫が自衛隊に体験入隊したことに 刺激を受けたらしくてさ、 「一緒に体験入隊しない?」って 言ってきたんだよ。 これは伊丹さんとも思えない 変な発言だと思った。 三島さんの影響ってそんなふうに 出てきちゃうのかなって感じだった。 そのときはじめて伊丹さんが 世間の風に対して直に関心持っちゃった。 俺はそれがわかったんです。 だからそのとき、 議論するんじゃなくて、曖昧に、 クマちゃん(篠原勝之さん)みたいな感じで 頷いてた。 |
糸井 | 「あー、体験入隊ね」 (篠原勝之さんのマネ) |
村松 | そう(笑)、 これは煮詰まっちゃったら困るな、と 俺は思ってたわけです。 そしたら伊丹さんも、パッと止まった。 そうしたら、次は状況劇場にいた 若いカメラマンの影響で 伊丹さん、急にヒッピー風になっちゃったの。 米軍の放出品を着はじめちゃった。 |
糸井 | あ、そういうグラビア、 見たことあります。 |
村松 | 結局、ロータス・エランは人に渡しちゃって、 ジープに乗って 六本木の交差点をチューっと行く。 伊丹さんって、つくづく トータルファッションの人なんだな、と思った。 |
糸井 | 『mon oncle』は岸田秀さんですよね。 |
村松 | そうです。今度は精神分析の世界へ向けて、 トータルファッションになっていくわけ。 ひと頃、落語にハマってたときもあったな。 俺は落語なんて ガキの頃から知ってるわけだよ。 それを、伊丹さんは 最近知りあった人から聞いたといって、 (三遊亭)圓生の話をするんです。 LPレコード持って、 「ブラバス、これ、おもしろいんだよ」って うれしそうに言うんだけど、 おもしろいんだよ、つったってさ(笑)。 美術のことでも、 加納光於や中西夏之を 知らないで語ってるような感じがあった。 ところがね、はやいんだよ、習得するのが。 考えられないスピードでね。 |
糸井 | 三島由紀夫に刺激受けたということもそうだけど、 伊丹さんはいつも 言行一致型にしたいんですね。 |
村松 | うん。本来はそういう人なのかもしれない。 |
糸井 | あの時代の匂いというのも 影響があったとは思うけど、 言ってることとやってることを 揃えたために行き詰る、ということだって きっとありえるわけで。 |
村松 | そうだね。 |
糸井 | 伊丹さんが映画監督として 「お葬式」を撮るまでには、 デザイナーとか文筆業とか、 いろんな時代がありますけど やっぱりすべてが 映画に至る道のりだった ということなんでしょうね。 |
村松 | そうそう、俺も最近そう思うようになりました。 伊丹さんがやってた 聞き書きスタイルも、そうだと思う。 現実に起こる出来事の 風体を変えたりしていくことによって 出てくるおもしろさ。 べつに因果関係を無理に つけることもないと思うんだけど、 それは、映画に至るまでの布石だと思う。 伊丹さんの『お葬式』も、 その延長線だと思うんです。 つまり、聞き書きです。 |
糸井 | ああ、なるほど。 あれは、聞き書きだったのかぁ。 |
村松 | それが、伊丹さんの育った環境のせいで また違って出てくるわけだよ。 だって俺たちは、葬式なんてものの バカバカしさや滑稽さなんて、 知りつくしてるでしょ? だけど、伊丹さんは そういう場に立ち会うことがなかったから、 宮本信子さんのお父さんが亡くなったときに はじめてお葬式のあり方に触れたんです。 |
糸井 | つまり、外国人が見たお葬式ですね。 |
村松 | そうそう、そうなんだ。 すごく新鮮な体験なんだよね。 象徴的にそれが結晶した作品だと思う。 (つづきます) |
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2009-06-26-FRI |
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