常設展示室の13のブースと、
企画展示室をゆっくりと回ったあと、
中庭のベンチやカフェ・タンポポでひと休み。
そのあとまだ公開されていない収蔵品のある
収蔵庫をご案内いただきました。
(いつか公開される時まで、こちらはお待ちくださいね。)
さいごに、見終わってからの
中村好文さんと玉置泰さん、糸井重里の話を
3回に分けて、ご紹介します。
糸 井 | いやあ、いつも印象が一緒だなあ。 伊丹さんという人は。 ああ。大変だ。“伊丹をやっていく”のは(笑)。 |
中 村 | ああ、伊丹をやっていくのは 大変だったでしょうね。 |
糸 井 | ね。本当に、俺は正反対だわ(笑)。 本当に大変だ。 中村さんは伊丹さんがもし友達だったら、 どうだったですかね? |
中 村 | どうだったでしょうかねえ。 玉置さん、僕よりちょっと年下なのに、 ちゃんと友達みたいになってたでしょ。 |
糸 井 | 同年代だと、結構付き合うの大変でしょうね。 子分になっちゃったほうが楽ですよね。弟に。 |
中 村 | 結局、ぼくも、 きっとそうなっちゃったと思う(笑)。 だって頭上がんないもの、伊丹さんには。 |
糸 井 | ああ〜。 その意味では、伊丹さんご自身が もしこの記念館に関わったら、 こんなに伸び伸びとは しなかったかもしれないですね。 |
中 村 | ああ、ぼくは多分 これほど自由にはできなかったと思う。 伊丹さんの顔色を うかがうことになっちゃいますから、 きっとうまくできなかったと思いますね。 |
玉 置 | 結局、記念館が、亡くなった後 ずっとできなかった理由って2つあって、 宮本さん自身の気持ちが まだ整理できなかったことと、 伊丹万作さんの記念館の時から 設計を誰に頼もうかっていうんで ストップしてしまっていたこと。 で、ちょうど宮本さんが作ろうと思った時期に、 中村さんのことを紹介していただいて、 もうそこからは脱兎のごとくって言うか。 |
中 村 | もう、坂道を転げ落ちるようでした(笑)。 |
玉 置 | すぐできちゃったっていう感じですからね。 |
中 村 | 早かった。すごく早かった。 もう、ほとんどの仕事を投げ打って やってましたもん。 最後は事務所のスタッフ総出、 友人の職人たち総出の戦闘状態(笑)。 |
糸 井 | なるほどね(笑)。 |
中 村 | だから、「二」のコーナーは誰、 「三」と「四」は誰とかって担当決めて、 スタッフとアイディアを出しながら、 材料集めをし、展示デザインをしましたから、 それこそすごく大変だった。 |
糸 井 | ただ、なんかその、なんて言うの、 切迫した感じが全然ないものができて、 素晴らしいですね。 |
中 村 | そうなんですよね。(笑) 切迫してたんだけど、 目が血走ってたはずなんだけど完成してみたら その大変さが、あまり感じられないんですよね。 |
糸 井 | きっと予算も納期も全部ですよね。 |
中 村 | そうですね。 |
糸 井 | うーん。 |
中 村 | もうオープンの日は決まっちゃってるしね。 オープンは伊丹さんの誕生日(5月15日)で、 動かせなかったし。 |
糸 井 | そうか、そうか、そうか。 |
中 村 | でも、3月の中旬になっても 全然アイディアが出ないものがあって。 その時のスケッチがあるけれども、 その日の日付を見るとゾッとする(笑)。 |
糸 井 | そうなんですか。 |
中 村 | でも、ぼくは割合、 能天気というか、 楽天的な性格だから大丈夫だったんだと思う。 計画性がないのがね、逆によかった。 |
糸 井 | 組み合わせとしてよかったんですね。 |
中 村 | そうそう。 自分に計画性がある人間だったら、 そら恐ろしくなって、絶対できなかった。 追いつめられてもパニックにならない性格だから、 できたと思うけど。 |
糸 井 | ある種の、偏執狂的なところが 伊丹さんにはあるから。 |
中 村 | そうですよね。ある種の完璧主義ね。 |
糸 井 | どんどん追い詰めていくというか。 だから、そういう同じタイプの人同士だと きついですよね、きっとね。 |
中 村 | 伊丹さんがいたら きつかったかもしれないですね。 でも、そういうぼくも伊丹さんと どこか似てるところあるんだと思うんですよね。 似てるんじゃなくて、 影響を受けたんでしょうけど。 |
糸 井 | 中村さんはその後も自分がこう、 伊丹さんに影響を受けたな、 みたいなことは思うことありますか。 |
中 村 | ありますね。すごくあります。 文章を書いたりしているときなどに、 結局これは伊丹さんの真似だなと思ったりする。 そう自分で意識してなくても。 染み付いちゃっているんだと思いますよね。 |
糸 井 | 伊丹さんの真似をして 普通のことになっちゃったものを また真似してってこともありますよね。 |
中 村 | 例えば──? |
糸 井 | テレビの作り方なんていうのは。 |
中 村 | ああ〜。そうですね。 |
糸 井 | あれ、伊丹さんがいなかったら やらなかったことだよなって 今になってわかって。 |
中 村 | ああー。それはあるでしょうね。 |
糸 井 | この間も、「これはおもしろいよ」って言ってた NHKの番組で、 歴史の中に取材者が入って行くんですよ。 で、後はドキュメンタリー映像にしてるんですよ、 その取材者が行ってるという方法は。 |
中 村 | やってますね、伊丹さん、あれをね。 もうね(笑)、既に。 |
糸 井 | そういうの多いですよねえ。 あと、「そもそも」の話をしたがるのも そうですよね。 |
中 村 | ああ、そうね。 |
糸 井 | この記念館、 実現していく途中で予定通りに進まないことも あったと思うんですけど。 |
中 村 | そうですね。まあ、建築は 結構そういうこと多いですけどね。 |
糸 井 | 慣れてるんですか。 |
中 村 | はい、多いんですよ、 予定通りにいかないことも。 でも、そこを乗り切るのは割合臨機応変に やっていけるかどうか、が決め手になりますね。 こうと決めたものができないと 絶対にだめ、ってもんじゃないんで。 映画なんかも似てるんじゃないですか。 |
糸 井 | ああ、そうか。 さっきの、中庭の、 2本になってる木が欲しかったっていう言い方は、 相当その後の自分の仕事を楽にしますよね。 |
中 村 | 決めすぎなければ、ですね。 |
糸 井 | 種類を決めずに大きさも決めずに、 2本のっていう。 だけど、厳しくしないといいものは見つからないし。 その辺が中村さんの自由さっていうか。 |
中 村 | まあ、いい加減って言えば いい加減なんですね(笑)。 自由といえば自由なんだけど。 |
糸 井 | 後でバトンタッチする自分が楽になるように、 いまは一所懸命にやっておくという。 |
中 村 | そうです、そうです。 だから、時間がタイトで厳しいと言いながらも、 そこでできる最良のものをすれば いいというような感じですかね。 |
糸 井 | いや、感心したな、その木の話は。 そういう仕事の仕方はいいなと思って、 しみじみ聞きましたね。 他にも難しそうなことはしてないのに、 全部揃えるとここしかできませんよっていう。 |
中 村 | そうそう(笑)。そうかもしれませんね。 |
糸 井 | 一番難しいと思ったのはどこですか。 |
中 村 | うーん、一番難しい・・・・。 一番難しいと思ったのは、 仮に、伊丹さんに見てもらえたとして、 「ナカムラくん、これでいいよ」と 言ってもらえるかどうか、 「いいよ」と褒めてもらえないとしても 「まずまずだね」ぐらいは 言ってもらいたいわけです。 果たして、そこまでいけるかどうか、 そこが難しかったですね。 それから、現実的には 自分の考えていることが予算の範囲に ちゃんと納まるかなあと、そのことも難しかった。 |
糸 井 | ああー。 |
中 村 | (笑)限られた予算の中に 入れなければならない。 住宅の場合はだいたい、 この住宅はいくらぐらい掛かるって 予想がつくでしょう。 |
糸 井 | はいはい。 |
中 村 | ところが、これは、全然予想がつかないんですよ。 ある時、大規模な美術館建築などを設計している 建築家が見学に来て、この総工費を聞いて、 すごくびっくりするわけ。 「え? そんな金額でできたんですか?」ってね。 自分のところでやったら、 少なくとも倍ぐらい掛かるって。 なぜそういう金額でできたかっていうと、 スーパーゼネコンと呼ばれる 大手のゼネコンではなく、 地元の業者でやってもらったことがひとつと、 展示専門の業者を入れてないからなんですよ。 普通はね、ミュージアムって、 ほとんど展示専門の業者が入るんですよ。 |
糸 井 | 特別なノウハウが やっぱりあるんですか。 |
中 村 | そうそう。 あるんですけど、ステレオタイプの 変わり映えのしない展示デザインになっちゃう。 |
糸 井 | ああ、そうですか。 それを自分でなさったわけですね。 それは愛情ですね、一種のね。 工費みたいなのは発表してないんですか。 |
中 村 | してないです。 |
糸 井 | それは興味ありますね、とてもね。 もし聞けたらそれは、 なんて言うんだろう、励みになりますよね。 そういうこともね、ドラマだと思うんですよ。 |
玉 置 | そうですよね。 |
糸 井 | うーん。 |
中 村 | ただ、この金額というのが あまり参考にはならないんですよね。 みんなが力を合わせて採算度外視にやって 奇跡的に成立した金額ですからね。 もう二度と同じことはできないと思う。 |
糸 井 | 過剰にそういう理由をつけたら? ここは奇跡ですって。 中村さんも、資金を出したのと同じ 結果を出したっていうことですよね。 |
中 村 | ああ、そうですね。 ぼくだけじゃなく、関わった工事の人たちも、 お金以上のものを みんなで出し切った現場でした。 |
糸 井 | 手弁当でね。 |
中 村 | それはもう本当に 現場で働く職人衆全員が 一丸となってやる熱気はすごかったですねえ。 |
糸 井 | だから、結局見えないお金を足すと、 その何倍かと言われた工費と 同じになってるんでしょうね。 |
中 村 | ええ、でもお金には換算できないってのが 正直な感想ですね。 |
糸 井 | そうだと思うな。 |
中 村 | たとえば回廊のボールド天井、 少しアーチ型をしたカマボコ天井ですが、 この天井の直角に折れ曲がる部分を張るのが ものすごく難しい仕事なんですよ。 それを担当したのは髪を茶色に染めた あんちゃんでね、 それがもうあんちゃんなんですよ、 正真正銘のあんちゃんなの。 |
糸 井 | (笑)。 |
中 村 | 最初は「こんな難しいことやってられるか」 みたいな感じでやってたんだけど、 だんだん「よし、やるぞ」みたいな感じに なってきてね、ぼくが 「もうちょっとなんとかなんないかな」って 言うと、何度でもやってくれるわけ。 で、終わった時に、 「ああ、終わったね。すごくうまくいったね」 って褒めたら、 仕事をやり遂げた人間のすばらしい笑顔を見せて、 「親戚連れてきます」って言ったんです。 親戚にこの天井を見せてやりたいって。 |
糸 井 | ああー! |
中 村 | それくらい職人たちに なにかが乗り移ってました。 |
糸 井 | 映画ですね。 |
中 村 | すっごい熱かった。 それが1つの例だけど、 そういうふうにしてみんなが 一丸となってやったんだね。 その代わりね、現場が終ると、 街へ繰り出して、呑みましたよ(笑)。 |
(つづきます) | |
2009-10-19-MON |
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図版:トリバタケハルノブ